第9話 噴水の下。水の音を追って

 神殿の守護者は、人よりも蟹に似ていた。

 左右に長い石の腕を持ち、床に触れる脚は六本ある。腕の間で、さっき見た青い魔石が光っていた。


 俺が右へ避けると、左の腕が先回りした。

 剣で受ければ折れる。

 身をかがめ、床を滑った。水に濡れた裾が腰まで冷たい。


「床を全部凍らせる?」

「俺も止まれなくなる!」


 セナは杖を引き、守護者の右側だけ凍らせた。

 六本の脚のうち三本が滑る。巨体が傾き、腕が床へ当たった。

 俺はそちらへ回り、共鳴剣を腕の根元へ当てた。


 魔石から、短い脈動が二度。脚が動く。

 三度。腕が振られる。


「三つ鳴ったら腕が来る。右を使わせて!」


 ミアが右側へ結界を置いた。

 守護者が右腕を伸ばし、その指で透明な壁を挟もうとした。腕の根元に隙間が開き、俺はそこへ刃を入れた。

 薄い金属の管が切れ、水が噴く。


 右腕が落ちた。

 セナが魔石の周囲へ氷を巻き付ける。


 その瞬間、神殿全体で大きな水音がした。

 管を切ったせいで、部屋の水位を保つ仕組みが壊れたらしい。床の穴から水が湧き上がった。


「石を取って、戻る!」


 俺は残る左腕の下をくぐった。

 守護者の台座へ足をかけ、剣の鍔で魔石を持ち上げる。セナが氷の柄を付けてくれたので、素手でつかめた。


 青い石を抜くと、六本の脚が折り畳まれた。俺は石を荷袋へ収めた。

 しかし、水は止まらない。


 ミアが扉を結界で支えていた。


「急いで。ここを閉めて、廊下への水を減らす!」


 俺たちは外へ飛び出した。

 扉が閉まる。足首を越えた水が、膝へ上がってきた。

 戻る階段は、水の壁の向こうに消えていた。


 階段から入ってくる水を、セナが氷の板で抑えた。

 大きくふくらむ。長くは持たない。


「横の部屋は?」

「底まで水だ。空気の音がない」


 俺は壁沿いに走った。

 指で石を叩いても、厚い響きばかりが返る。

 焦るほど、あちこちの水音が重なった。


 ミアが俺の肩へ手を置いた。


「一つずつ。私はセナの壁を支えるから」


 息を吐いた。

 その隙間へ、声が届いた。


「噴水の下。水の音を追って」


 俺は振り返った。

 セナは杖を両手で押さえ、階段の氷を見ている。晶だけが襟元で白く光っていた。


「噴水だ!」


 縁へ駆け寄る。

 水音が大きすぎる。俺は共鳴剣を噴水の底へ沈め、石へ当てた。

 下に流れがある。

 右奥。そこだけ、水が途切れながら吸い込まれていた。


「底の板を外せるか」

「右側?」

「そう!」


 セナが片手を振った。

 噴水の底へ氷が走り、石板を持ち上げる。黒い穴が現れ、部屋の水が勢いよく吸い込まれた。

 通れる。だが、そのまま入れば流される。


 俺は柱へ縄を巻いた。

 ミアが穴の中へ結界を押し込み、流れを二つに割る。セナがその間の水を凍らせ、段差を作った。


 俺が先に下りた。

 膝を打ち、歯を食いしばる。暗い管の向こうに、乾いた音があった。


「前に空洞がある。縄を持って!」


 セナが続き、最後にミアが滑り込んだ。

 結界が消えると同時に水が押し寄せた。

 俺たちは三人で、横穴へ飛び込んだ。


 水だけが背後を轟々と流れていく。


 セナが俺の袖をつかんだまま、床へ座り込んだ。


「……今日のパン、水びたしね」

「食べておいてよかった」


 返すと、彼女は顔を伏せて笑った。

 俺も息が整うまで、濡れた袖をつかませておいた。


 横穴は、神殿の裏側にある点検室へ続いていた。

 壁の札をセナが読む。


「調整石を外すと、上の水が排水路へ抜ける。緊急時は点検路へ……最初に読ませてほしかったわ」


 俺たちは噴水の裏から、その点検路へ落ちてきたらしい。

 ミアが俺の膝を診ている間に、セナは出口の位置を確かめた。


 壁には管理路の全体図もあった。神殿から第一層の西坑口へ続く斜路が、普段使う階段と別に描かれている。セナが地図へ写した。


 帰れると分かると、ようやく寒さを感じた。

 俺は荷袋を開き、油布で包んだ靴下を取り出す。


「乾いてる」

「勝った顔ね」とミア。

「今、この部屋で一番価値がある」


 セナへ一組渡し、自分の靴を脱いだ。

 ミアは予備の靴下を持っていたが、セナの分は水筒の栓が緩んで濡れていた。セナが無言で俺の靴下を受け取った。


「少し大きい」

「縮むよりいい」


 彼女が足先を折り返して履いている間、俺はその場に座って待った。


 点検室の棚には、防水箱が並んでいた。

 中身は調整石の予備部品と、古い銀の細工物。持ち帰ってよい物だけを札で確かめ、三人で分けて包んだ。


 点検室から入口の広間へ戻ると、水位は足首まで下がっていた。

 俺は水圧の抜けた大扉を押し開けた。奥にあったのは、宝物庫ではなく巨大な貯水槽だった。


「最初に開けなくてよかったな」

「耳に感謝ね」


 セナは晶を服の上へ出した。三つ目の花びらが白くなっている。


「声は、私だった?」

「ああ。噴水の下だって」


 彼女はしばらく石を見ていたが、やがて襟へ戻した。


「だったら、礼を言っておく。助かったわ」

「届くのかな」

「届かなかったら、そのうち直接言う」


 俺たちは出口へ歩いた。

 セナの歩幅は、少しだけ小さかった。靴の中で俺の靴下が余っているのだと思うと、妙に気分がよかった。


* * *


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