第2章 隠し通路の先で、暮らしが変わる

第7話 霧の森に、明日の稼ぎを残す

 第十一層には、森があった。

 頭上は岩盤なのに木が育ち、枝から白い霧が垂れている。地図を持ったセナが、最初の曲がり角で立ち止まった。


「この赤い印の木、どれだと思う?」


 前にも右にも左にも、赤い実を付けた木があった。


「全部、印を付けたくなるな」

「地図を描いた人に案内してほしいわ」


 俺は木の幹を指で軽く叩いた。

 葉の裏から、細かな引っかき音が返った。

 手を握る。二人が止まった。


「上だ。枝と枝の間に何か張ってる」


 セナが霧を少し凍らせると、空中に細い白線が現れた。

 蜘蛛の糸だった。膝の高さから頭の上まで、何重にも張られている。

 糸の端を目で追った先に、丸い胴が見えた。


「一匹?」

「待って」


 俺は石を一つ、糸へ当てた。

 震えが枝へ伝わる。一番近い蜘蛛が動いた後、左奥、真上、木の裏で爪が鳴った。


「四匹。真上が一番早い」


 ミアの結界が俺たちの頭上を覆った。

 落ちてきた蜘蛛が透明な面へ腹をぶつけ、長い脚をばたつかせる。セナが腹の柔らかい部分を氷弾で貫いた。


 俺は左へ走った。

 糸を避けるため、低い枝の下をくぐる。降りてきた二匹目を斬り、三匹目が飛びつく前に木の反対へ回った。


 蜘蛛は自分の糸を踏んだ振動でも動く。

 俺が鞘で枝を叩くと、最後の二匹が同じ場所へ寄った。


「そこ、まとめて!」


 白い氷が枝をつないだ。

 戦いが終わった後、セナは地図の木の横へ、大きく蜘蛛の絵を描いた。


「目印は?」

「蜘蛛がいた木」

「倒したから、次には分からないだろ」


 セナは絵の下に、慎重な字で『枝に残った凍結の傷』と書き足した。


     *


 霧の森の依頼は、銀糸蜘蛛の糸を採ることだった。

 切って束ねるだけだと思っていたが、そう簡単ではない。粘る部分をつかむと手袋ごと持っていかれる。


「そこは使えない方」


 ミアが俺の手から糸を外した。


「糸にも当たり外れがあるのか」

「蜘蛛が歩いてるところなら、粘らないでしょ」


 もっともだった。

 俺はさっき聞いた爪音の場所をたどり、固い糸だけを選んで切った。


 セナが満足そうに束を持ち上げる。


「これなら織物の芯に使えるわね」

「俺たちの服も蜘蛛の糸だったりするのか」

「それは今、考えない方が食事がおいしいよ」


 ミアの忠告は一歩遅かった。


 昼前、地図にある道が水で塞がっていた。

 飛び越すには広い。靴を濡らせば、そのまま歩く距離が長い。

 引き返そうとしたとき、上の方で水音が途切れていることに気づいた。


 見上げると、倒れた大木が水路をまたいでいた。

 霧に隠れて、向こう岸が見えない。俺は木へ手を当て、柄尻で叩いた。中が腐った軽い音ではない。根元から先まで、しっかり震えが通る。


「渡れそうだ。先に俺が行く」


 腰へ縄を結び、もう片方の端をミアに持ってもらった。滑る苔はセナが薄く凍らせて剥がす。

 渡り終えると、腰から縄を外し、対岸の枝に固定した。


 セナは途中で足を止めた。


「下、見たら思ったより高いわ」

「俺を見て来い」

「今それを言うと、少し格好いいわね」


 それを言われたせいで、迎える手が妙にぎこちなくなった。

 最後のミアは危なげなく渡り、俺たちを見て笑った。


「いい近道。地図に載せようね。次の人が手をつなぐ場所も書く?」


 霧の切れ目で、運搬車の荷台に積まれた小さな木箱が鳴っていた。

 箱が斜めになり、中の硬い粒がぶつかり合っている音だ。


 根のくぼみに、採掘用の運搬車がはまっていた。

 持ち主らしい女性が、車輪の下へ枝を差し込んでいる。


「手伝います」

「助かる。重くて、一人じゃ上がらなくてね」


 俺が前を持ち上げ、セナが車輪の下へ氷の坂を作った。

 ミアが後ろを押す。車は拍子抜けするほど簡単に根を越えた。


 礼にと差し出された飴を、セナが先に受け取る。

 俺は荷台の石を見ていた。


「この石、どこで採れるんですか」

「奥の斜面。よく響くでしょ。細工物の材料にするの」


 石に混じって、小指ほどの黒い結晶があった。

 妙に鈍い音を返す。それだけは荷の揺れと合わない。


「そっちは?」

「最近混じるんだよ。買い取りも安いし、困ったものさ」


 女性を道まで見送り、俺たちは斜面へ向かった。

 採掘跡は表面だけで終わっていた。硬い岩に当たり、そこで諦めたらしい。

 俺は岩を順に叩いた。

 右の低い場所だけ、音の余韻が長い。


「この裏に、さっきのよく響く石があると思う」

「全部割る必要はないのね」


 セナは割れ目へ氷を入れ、少しずつ押し広げた。

 薄い岩板が剥がれ、その下から淡い金色の筋が現れた。


 俺たちは採れる分だけを包んだ。

 全部持とうとして籠を上げたら、肩が抜けそうになった。


「欲張らない」


 ミアが俺の籠から石を三つ、自分の袋へ移した。

 セナも二つ取った。


「あと一つなら」と俺。

「次も来られるでしょ」とセナ。


 彼女は道を地図へ描いた。

 俺は最後の石を岩棚へ戻した。目印に白い布を結ぶ。

 初めて、明日の稼ぎを地面に置いて帰った。


* * *


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