外れスキル《聞き耳》で成り上がる~なぜか未来の彼女の声まで聞こえます~

月森ナギ

第1章 外れスキルと、未来の彼女

第1話 壁の向こうで、相棒に出会った

「カイル、壁の向こうを聞いて」


 知らない女の声だった。


 俺は薬草を摘む手を止めた。

 第三層の通路には誰もいない。壁の窪みに据えられた魔石灯と、今しがた置いた俺の籠。それで全部だ。


「誰だ?」


 返事はなかった。

 代わりに、壁の向こうで何かが砕けた。薄い硝子を一度に割ったような音。続いて、女の短い悲鳴。


 俺は剣を抜いた。


 授かったスキルは《聞き耳》だけ。火の玉も出せず、剣に雷をまとわせることもできない。二十歳になった今も、浅い階層の採取でその日の飯を稼いでいる。

 今朝、討伐の募集札を出したときも、受付の女性はスキル欄を見て首を振った。


『この募集は、攻撃か防御の技能がある方だけなんです。見張りでしたら、採取隊に空きがありますが』


 そちらの報酬は、薬草を一人で摘むより少なかった。札を戻して、いつもの籠を背負った。

 それでも、人がどこにいるかくらいは分かる。

 今、向こうにいる人を見つけるのに、攻撃魔法はいらない。


 脇道へ入り、崩れた柱を飛び越えた。

 銀髪の少女が壁際に追い詰められていた。杖を構えた両手の前に、割れた氷の破片が散っている。

 目の前の魔物は全身が黒い甲殻に覆われ、持ち上げた爪は俺の剣より長かった。


「逃げて! そいつ、魔法を弾く!」


 俺は少女の腕を引き、横へ転がった。

 爪が床を砕く。石の破片が頬に当たった。痛い。だが、今は触っている暇がない。


 魔物がこちらを向いた。

 右足を踏み出す直前、膝の辺りできしむ音がした。

 もう一歩。今度も鳴った。


 俺は左へ回った。魔物が追って踏み出す。右膝の内側だけ、甲殻の縁が大きく開いた。

 そこへ剣を入れたい。だが、踏み込めば頭の上から爪が来る。動く相手を一人で止める手段がない。

 訓練場で藁束を何度突いても、この差は埋まらなかった。小型を追い払うことはできても、こんな相手を倒して稼ぐつもりにはなれない。

 俺は少女の杖へ目をやった。


「足を、一瞬止められるか」

「止めても甲殻が――」

「膝の内側にはない」


 少女は魔物へ目を走らせ、杖を握り直した。


「三秒、止める」


 床を白い線が走った。

 魔物の両脚が氷に捕まる。

 爪はまだ上がりきっていない。いつもなら退くところで、初めて前へ足を出せた。

 俺は踏み込み、右膝の内側へ剣を突き入れた。

 硬いものを割る手応えはなかった。刃が深く通り、巨体が右へ傾く。


 倒れかけた首の下に、もう一つ隙間が見えた。

 剣を引き抜き、全身で突き上げる。


 腕へ重みが落ちてきた。俺は柄を離して飛び退いた。黒い体が床を打ち、爪が二度引っかいて、それきり動かなくなった。


 自分の息ばかり大きく聞こえる。

 十数える間、魔物を見ていた。起きない。


「……三秒って、短いな」

「二秒で倒した人が言うこと?」


 少女が壁から離れた。膝が折れかけたので手を出すと、今度は彼女の方からつかんできた。


「ありがとう。助かったわ」


 近くで聞いて、気づいた。

 同じ声だ。


「さっき、俺を呼んだよな」

「さっき?」

「カイルって。壁の向こうを聞け、って」


 彼女は目を瞬いた。


「あなた、カイルというのね。私はセナ」


 嘘をついているようには見えなかった。首元では、青い小さな晶が銀の鎖に下がっていた。その内側に一度だけ光が走り、すぐ消えた。


「あなたを呼んだ覚えはないけれど」


 俺は入ってきた通路を振り返った。

 足音はない。

 握っている手だけが、ひどく温かかった。


 魔物の首から剣を抜くと、刃に小さな欠けができていた。

 俺が刃を眺めていると、セナが顔をのぞき込んだ。


「ちょっと見せて」

「まだ使える」

「剣じゃなくて、頬」


 水筒の水で布を濡らし、彼女は俺の顔を拭いた。近い。目の色が薄い青だと分かるくらい近かった。


「そっちは怪我してないか」

「擦り傷だけ。氷を広く張りすぎたの。奥に逃げたら行き止まりで」


 言いながら、彼女は魔物の爪を短刀で切り取った。討伐を証明する部位らしい。俺なら薬草の袋へそのまま入れるところを、布できれいに包んで渡してくる。


「二人で倒したんだから半分ずつね」

「足を止めてもらった分、そっちを多く」

「二人。半分」


 短く区切られた。値切っているわけでもないのに、交渉で負けた気分だった。


 帰りの分かれ道で、俺は彼女を止めた。

 右奥で、乾いた羽音が一つ。


「上にいる。まだ飛んでない」


 セナが杖を上げる。

 天井に張り付いていた針蜂の腹で、細い音が高くなった。俺は彼女の肩を引いた。

 直後、さっきまで顔のあった場所を針が通る。

 セナの氷弾が蜂を壁へ縫い付けた。


「攻撃の前、分かったの?」

「腹の中で音がした」

「魔力を溜める音?」

「そういう音なのか、あれ」


 セナはしばらく蜂を見上げ、それから俺を見た。


「《聞き耳》って、遠くの声を聞くスキルでしょう?」

「説明にはそう書いてある」

「それで、壁の向こうの魔物を探せて、攻撃の準備まで分かるの?」

「静かなら。うるさい場所だと、ごちゃごちゃになるけど」


 彼女は杖の先で俺の肩を軽く押した。


「明日、時間ある?」

「薬草を――」

「私と潜らない?」


 俺の返事を待ちながら、セナは杖を下ろした。


「私の魔法、当てる場所が分かればもっと役立つ。あなたなら教えられるでしょう」

「俺の方こそ、一人じゃあの膝へ届かなかった」

「届くようにするのが私の仕事。どこを狙うか教えてくれるのが、あなたの仕事」


 セナは杖を肩へ載せ、さっき魔物を倒した部屋を見た。


「合わせたら勝てたでしょ。次も、そうしたいの」


 戦闘の誘いを受けたのは初めてだった。

 荷物持ちでも、見張りだけでもない。


「俺でいいのか」

「今、あなたを誘ってるの」


 彼女は先に歩きだした。三歩目で振り返る。


「それとも、薬草の方が好き?」

「肉が付く方が好きだ」

「じゃあ、決まりね」


 俺は置いてきた籠を拾い、セナの隣へ並んだ。


* * *


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