Summer Evidence 〘舞鶴空想譚_2005〙

米 八矢

第1章 遠い日のノスタルジア

1


「ふぁぁ…ぁぁ」


昼休みの校舎の屋上で欠伸をしながら寝ころんだ。

春の日の空には飛行機雲が3つ浮かんでいる。

風が運んだしょっぱい磯の香りが鼻腔を擽りながら、山へと吹き抜ける。


ここは京都府舞鶴市。

かつては海軍鎮守府として栄えた港街。

だがそれも過去の話。

今となっては過疎化が進み、寂れた田舎になってしまった。

観光客と言えば、海上自衛隊のファンか物好きだけ。いや、まだ明確な観光客がいるだけマシだろう。

既に飲み切っているパックの苺ミルクのストローを咥えた。当然、中身は出てこない。それでも砂糖の甘ったるい香りが欲しかったのだ。

頭の後ろで手を組み、枕にして目を閉じた。


「3、2、1」


カウントダウンが零になると同時に、遠くから微かに汽笛が伝播する。毎週金曜日の12時15分。この屋上の片隅で静かに目を閉じて寝ころんだ時にだけ聞こえる音。

入学してから1年と1ヵ月ちょっと、誰とも話さず昼食を摂っていた僕だけが知っている音。もっとも、知っていた所で自慢などできやしないのだが……。

汽笛を最後まで聞き終える前に金属がすれる音がし、屋上の扉が開いた。中から出てきたのは僕もよく知る女子生徒。


「また君か、梓」

「悪かったわね、また私で」

「全くだ」


梓弥生というこの女子生徒は1年生の時から同じクラスで、入学したての頃に隣の席だった。それだけなら、普通の同級生ということで納得も出来た。

だが、この女には僕にとって特異点だった。


「なぜ僕の横に座る」

「あのね、1メートル以上離れてたら横とは言わない。気持ち悪いから二度と言わないで」


 梓は眉間にしわを寄せ、声を低くして言った。不機嫌が声に出やすいのが梓の特徴だ。


「訂正。なんで僕の1メートル横に座る」


 どっか行けと言葉に込めるが、残念ながら梓には効かない。今までの経験がそう告げている。


「ここにしか腰を下ろす段差はないから」


 梓は小さな保冷バックを膝に乗せ、水筒でお茶を飲んでいる。


「そうか。君の目の前にあるコンクリートは段差ではないんだな」


 僕が指差したのは、緑色のフェンスの根元部分。腰をかけるのに丁度いいくらいの高さに見える。座ったことはない。なぜなら、そこは必ず日が当たる場所だから。


「段差である事には間違いないけど、日が当たるから即却下。冴羽が行けばいいじゃん」


 梓はボブヘアーでそれほど長くない後ろ髪を、ヘアゴムで結んだ。薄紫色の髪は、赤いヘアバンドが良く目立つ。いつもこうしているので、食事中に邪魔にならないようにしているのだろう。


「なんでだよ。僕が日焼けするだろう」

「男なんだから日焼けしたっていいじゃない。大体ね、冴羽は白すぎるのよ」


 僕は自分が色白だという自覚があるが、梓は僕以上に白い。不健康なほどに。


「そういう君は雪女の様に白いな。生きてるのか」


 梓が雪女なら、巳之吉の母はお雪のことを気に入りはしないだろうな。礼儀がなっていないから。


「さぁ? 生きてるかどうかなんて自分では分からないわ」


 洋画でよく見る、やれやれというジェスチャーをしながら梓は答えた。


「哲学的だな」


 中学生の頃はそんなことを考えた日もあったな、と思い出した。


「そうかしら。高校生ならこのぐらい考えるんじゃない?」


 僕はもう考えていない。だが、思春期真っ只中である17歳の女の子なら、それくらい考えても仕方ないのかなと思う。

この間たまたま姉さんに借りたラノベに丁度いい言葉が載っていた。たぶん梓には伝わらないだろう。


「どうやら君は高二病らしい」

「なにそれ」


 やっぱり梓には伝わらなかった。あのラノベと同じ様に説明をしてやる。


「その名の通り、高校2年生の時に発症しやすい病気だ」


この会話の中でも弁当を広げる手を止めていなかった梓は、手を合わせて小さく「頂きます」と言ってから食事を始めている。

対人以外の礼儀が正しいのも梓の特徴だ。

食事を始めても僕との話を止めるわけではないらしく、質問を投げかけてきた。


「中二病の派生形?」

「御名答」


 流石に中二病は知っているらしい。梓も通った道だったりするのだろうか。たぶん通っているだろうな。性格の捻くれ具合が拗らせた証拠だ。


「あー確かに。瑠璃に中二病っぽいって言われた事あるかも……」

「南川、か……」


 春休みの記憶が蘇る。すると、なんとも居心地が悪くて仕方がなかった。思わず空を見上げて逃げたくなる僕もまた、中二病なのかもしれない。


「どうしたの?」


 黙り込む僕を不思議に思ったのだろう。梓は箸を止めて言った。思い出したくない思い出は封印し、誤魔化す様に答える。


「いや、南川は聡明だなって思っただけだ」


 梓の親友、南川瑠璃は才色兼備な少女だ。勉学に関してだけではなく、人間として。


「学年2位だからね。頭がいいのって羨ましい」

 

ミニトマトを器用に箸でつまみ、口に運ぶ。僕ならたぶんトマトがころりんして、ネズミの餌になっているだろう。


「それは君が勉強してないだけではないのか」


 梓の成績とかは知らないが。話している感じでは、馬鹿ではない思う。少なくとも国語はできるんじゃないだろうか。


「あのね、天才って言葉の意味を知ってる?」


 今度はえんどう豆を箸でつまんで口まで運んでいる。箸使いが立派過ぎて、ツッコみたくなる。ある意味、天才の技だ。

だがしかし。今はその話の流れではない。読めるときは空気を読むのも大事なこと。


「どうせ、努力が出来る凡人とでも言うんだろう」


 数多の小説やドラマで言われる文句だ。


「そういうこと。私は努力が出来ない凡人なの」


 次はうずらの玉子を箸でつかもうとしている。


「ない胸を張りながらいう事じゃないな」


言い終わった後に失言だったと気づいた。これはただのセクハラだ。

未成年でも容赦がない昨今、冗談では済まされない発言だったかもしれない。


「そりゃ、あんなスタイルのいい後輩ちゃんを見てれば私なんてまな板同然でしょうけどね。私じゃなかったたらセクハラよ」


 梓は、これまた器用にうずらの玉子をつまんで持ち上げた。僻んだ口調だが、態度だけ見れば言うほど堪えてなさそうに思う。


「……君にはいいのか」


 警察沙汰は避けられた、と考えて良いだろう。


「胸に関してはもう諦めたからね。お母さんもミニマムだし仕方ないよ」


 はむっとうずらの卵にかぶりついた。いや、一口で食べ終えているのだから、かぶりつくと言う表現は最適ではないかもしれない。


「遺伝でサイズが決まってしまうのか?」


 橘花のお母さんは胸が大きかっただろうか?思い出すが、いまいちピンとこない。そういう目で見たことがないから。

昔からの馴染みのお母さんを、そういう目で見ることのできる人間がいるのなら、それは才能だ。

誇ってもいい。いや、悔いた方がいい。懺悔しろ。


「まぁそうでしょう。遺伝子にない物は形成されないのが人間だから」


 梓が次に口にするのは、スイートコーンのようだ。どうして箸でつかみにくい物ばかり詰め込んでいるのだろうか。マナービーンズの大会にでも出場するのだろうか?


「ご愁傷さまとでも言っとけばいいか?」


 とりあえず、梓のご機嫌を窺っておく。女性の扱いは難しい。その胸の内に秘めた所存は、シャーロックホームズでさえ完璧に推理することは難しいと言っている。


「そうね。付け足して飲み物でもあれば百点かも」


言い切った梓は僕の方を全く見ず、黙々と食事を続けた。その態度が意味することは一つだ。

ここまであからさまな態度をされると、名探偵ではない僕でも確信を持てる。

だが、どう切り出すべきか……。少し考えて、深呼吸してから口を開いた。


「僕は飲み物を買いに行くけど、梓はなにかいるか?」


 すると梓は、「及第点ね」と呟いて何かを考える仕草をとった。


「じゃあついでに紅茶をお願い。甘いやつね」


 いつも梓が飲んでいる甘いやつなら何か分かるから、迷うことはなさそうだ。及第点、と言われたのは少し癪に障る。何事もどうせら100点を取りたい。


「分かった」


僕は屋上の扉を開け、階段を下った。正面玄関を出てすぐの所に、珈琲や紅茶などの食後に飲む系ドリンクの自動販売機がある。

正面玄関には昼食を摂り終えた生徒たちが、グラウンドで運動に勤しむべく、競い合って靴を履いて走って行った。

そんな生徒たちとは逆方向を上靴のまま進む。外廊下を通ると自販機が見える。


まずは梓から要求された甘い紅茶を購入。見慣れない新商品が並んでいたが、いつものミルクティーの方がいいのだろう。

しかし、いつも飲んでいる銘柄は売り切れている。他のミルクティーを探すが、某有名珈琲店とのコラボ商品しか置いていない。


「しゃーないか」


少し高いが快晴の空に免じて、それにしてやった。快晴の日は気分が良いので、多少は寛大になれる。

毎日が快晴ならば世界は平和になる、と子どもの頃は本気で思っていた。

世界はそんなに簡単じゃないと気付けたのだから、義務教育も無駄ではない。

次は自分の飲み物だが……いつも買う練乳珈琲の隣に気になる飲み物が並んでいた。その名も『めんたいいちごみるく』。


「こんなの誰が飲むんだよ………そもそも辛いのか甘いのか分からんぞ」


未知の味に飲んでもいないのに胸やけがしてきた。


「うぅ……」


呻きながらその横の練乳珈琲を購入。やはり甘味はシンプルに限る。

飲料を手に取り、屋上に戻ろうとしたとき、いずこからピアノの音が聞こえてきた。

聞き覚えのあるリズムだ。


「……春」


この音色は誰もが一度は聞いたことのあるクラシック音楽だ。ヴィヴァルディの『四季』、その中の『春』という曲。本来はヴァイオリンがメインの曲だが、ピアノで弾くのも悪くはない。

ただ不思議なのはずっと同じリズムが繰り返されているということ。冒頭の一番耳に残る旋律だけを繰り返している。

とは言え、この春の快晴の日に聞くには丁度いい。


「時間ならあるよな」


腕時計をチラ見して自分に呟く。音楽室は屋上への帰り道なので覗いてみることにした。2階まで上ると音楽室は目と鼻の先。

すぐに到着した目的地の閉まった扉の前には、小さな先客がいた。扉のガラスから中を覗いているようだ。


「何をしている橘花」


 先客の橘色の髪には見覚えがあった。というより、よく知っている。

僕の幼馴染で後輩である宇垣橘花だ。

梓が胸で幻滅する要因を作った張本人。自覚はないんだろうけど。


「あ、先輩。音楽室から不自然な春が聞こえてきたので、先輩が弾いているのかと思って……違ったようですね」


 未だに橘花の敬語には慣れない。今まで通りにタメ口で話してほしいものだが、高校生になったのだから、その辺りはちゃんとしたいらしい。

真面目な性格は美点であろう。


「僕はもうピアノは弾かない」


 ピアノなんてただの暇つぶしでやっていただけ。だから未練なんて微塵も、ない。


「そうですか……勿体ないです。折角上手なのに」


 橘花の残念そうな顔を見ると、少し申し訳ない気もしてくるけど。それくらいで僕の気は変わらない。



「僕なんかちょっと弾ける程度だよ。橘花の方が上手に弾けてるさ」


 昔は先生みたいなことをしていたが、今じゃもう追い抜かれて置いてけぼりだ。

嬉しくもあり、寂しくもある。


「いえ、また教えて下さいね」


 橘花は微笑みながら言った。その笑顔に嫌味はない。本当に教えてくれと言っているんだろう。

だけどもう僕に教えてあげられることは何もない。

楽譜の再現度も、指先の動きも、演奏中の呼吸の仕方も。今の橘花は僕を超えている。


「観客なら喜んでやるよ」


 だから、できることはこれくらいだろう。


「はい! また連絡しますね」


 橘花は素直で裏が無い。たぶん本当に連絡が来るだろう。それはそれで楽しみにしておこう。


「それでどうする? 覗くか?」


 橘花がここにいるという事は、ピアノの主が気になっているのは間違いない。


「ノックしてからなら……」


 恐る恐る言う橘花の肩をポンポンと叩いて、僕はこう言った。


「よし、じゃあ任せた。僕は届けなきゃならんものがあるから、またな」

「え、ちょっと先輩⁉ えー‼ もうっ!」


音楽室の前で地団駄を踏む橘花を尻目に、屋上へと急いだ。

奏者の正体は気になるが、あんまり遅いと梓に文句を言われそうなので、こちらを優先。

階段を駆け足で上っていると、踊り場で女子生徒とぶつかりかけた。


「おっと。悪い、委員長」

「階段は走るな、冴羽」


いかにも真面目そうな黒髪おさげの委員長は、クイッと眼鏡を持ち上げて去って行った。怒られたからには守るしかなく、先ほどよりもゆっくりと階段を上って屋上を目指した。


「お待たせ」

 

屋上の扉を開けた先には、弁当を仕舞う最中の梓の姿があった。もうちょっとおかずのラインナップが知りたかったな。

 もともと座っていた場所に腰を下ろし、隣の梓にミルクティーを差し出す。


「ん、 ありがと。いくらだった?」


 意外にしっかりとしている梓は、財布を出しながら言った。シンプルなクリーム色の折財布だ。


「え、いや別にいい。奢りだ」

「あら珍しい。どうしたの?」


 キョトンと首を傾げる梓。橘花がやったら可愛いらしい仕草なのに、梓がやると不快感を覚えるのは何故だろうか。


「天気がいいからな」

「……?」


 梓は顔をしかめてしまった。全く梓には伝わらなかったが、男には天気が良いだけで気分が高揚する日があるのだ。それは理屈なんかで説明はできやしない。


「気にしなくていい」


 ずっと顔をしかめられているのも困るので、話を終わらす。


「そう? じゃあ頂きます」


梓は律義に礼を言い、ミルクティーを飲み始めた。それを見届けた後に僕も珈琲を口にする。


「そういえばさ、さっきまで変なピアノが流れてたね」


 屋上までピアノの音は聞こえていたらしい。自販機からの通り道だったとはいえ、それなりに距離はある。梓の耳がいいのか、音の通りがいいのかどっちだろう。


「同じところばっかりループしてたやつか?」


 念のため、同じピアノを聞いたか確認する。この学校にはピアノは一つしかない。体育館のピアノは修理中だからだ。

けれどもしかすると、アコーディオンを弾いていた変り者がいたかもしれない。


「そうそう。聞いたことあるんだけど、曲名が出てこないんだよ」


 ならば、同じ音を聞いている。アコーディオン奏者の変わり者はいなかったようだ。


「春だよ」


 梓も耳に覚えがあるであろう曲名を答えた。


「そうだね、春だね」


 梓はたまに天然を発動する。普通、この流れで季節に触れたりしないだろう。ちょっと考えれば分かるはず。


「いや、そうじゃなくて。曲名が『春』っていうんだ」

「そうなんだ」


 気になっていた割には、あっさりとした返事だった。女子と言うのは実に難しい。梓は特に。


「まぁ別に知らなくてもいいだろ」


 話を淡泊にフェードさせるために、そう言ってみた。


「流石は冴羽。元ピアニストなだけあるじゃん」


 が、梓は話を止めなかった。それどころか、触れられたくない場所を素手で触ってきた。


「冷やかしはやめろ」


 いつもより声を低めにして言ったのだが、天然を発動中の梓に意図が通じることはなかった。


「えー。上手だったじゃん。中学の時のピアノ伴奏、凄かったよ?」


 お世辞か本心か微妙に分かりづらい言い方をされた。


「そりゃどうも」


 なるべく感情を宿さないように、無色透明であるように吐き捨てた。

これまた無敵の天然モードの梓には効かない攻撃だ。


「照れてる?」

「まさか」


 今の梓に察しを求めるのは無意味なので、大人しく諦めた。そのころ、ピアノの音色は先ほどの物よりも綺麗になっていた。ループもしていない。橘花が弾いているのだろう。

 そのピアノの音色は予鈴が鳴る5分前まで鳴り止まなかった。

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