ねじれ記

濵﨑健吾

陽が降る日に〈1〉

 イカれた奴はどこにでもいるもんだ。多坂(おおさか)の埋田(うめだ)は昨日から陽(ひ)降り続き。不夜城の街にも疲労が帯びてきた頃、私はいつもの真っ黒なビニル傘を差して歩いていた。


 10年前の今日は歴史的降陽(こうよう)でどこもかしこもクローズ中。市内の学校は全て休校に、コンビニもろくに空いていない。あの時はニュースで幾回も自宅待機を呼び掛けていた。


 それに比べれば今日の陽はまだ浅い。いつもは焼ける足首もあまり焼けてない。私は小学への道のりを不安と共に歩んでいた。不安に自我を支配されないように注意すると、幾分かいつもより歩みが遅くなる。


 不安の正体は大学、高校でいじめを受けていたものから成る。私がまだ幼く、大学入学直後、4回生になったばかりの時、仮名川(かながわ)からの人間ということもあり、所謂ガキ大将に目を着けられてムシやハブキを喰らっていた。


 高校に下がっても、高校は地元の公立で、ほとんどの同じ大学の生徒が入学したこともあり、ムシやハブキは継続された。どうしても標準語でしか話せない、イイトコ育ちの優等生。そのステータスが彼らの癪に障り続けていた。


 昔を懐かしんでいると、曲がるべき角を曲がらずに一つ奥の袋小路に立っていた。私はすぐに方向を転換して、順路に戻ろうとする。


 すると、足元に柔らかな感覚。見るとそれは中型の段ボールであった。陽に曝されてカサカサに乾燥している。大きな側面には「可愛がってあげてください」の文言。中には幾らかの水が入れられたカップと、今度はエサのカップ、そしてリクガメが入っていた。


 やれやれ、捨てガメかよ。そう思って見ていると、リクガメと目が合う。結構前に捨てられたらしく、肌は乾燥してひび割れかけている。仕方ない、こんな陽だから。


 目を潤す涙も枯れてしまってのであろう、私のことを認識できていないようであった。これじゃまさに生き地獄。死に喰われるのをゆっくりと知覚しているようなものであった。


 私にも人の心はある。バッグから水を入れた水筒を取り出してリクガメ全体にかけてやる。そうすると、幾らか元気を取り戻しようで足を甲羅から取り出して体を持ち上げる。


 時計を見ると、もう47時10分。私は目を零しそうなほど目を見開き、時計とリクガメを交互に見る。その果てで、私は傘をリクガメが焼けないように段ボールに立てかける。そうして、走り去っていった。


 *


 校門に入ったのが49時2分。14分間、つまり840秒のランのお陰で入学式に間に合うことができた。もちろん、傘を置いてきたので、陽に曝されて肌がかさかさに乾いている。こうなるんだったら、保湿液入れとけばよかった。私はそう準備の怠りを悔いる。


 校舎に入り、廊下を歩いていると、人々は好奇の目でこちらを見てくる。当然である。入学初日にかさ乾きで登校する奴は前代未聞であると、私自身でも認識していた。この目は、大学の頃に傘を奴らに隠された時以来で、懐古の念が湧く。

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