第9話 国交
いつの間にか、自治区が国になったらしい。
「…………」
俺ことレイスは、絶望的な気分で一枚の書類を見る。
『ファントム自由自治区』
『暫定国家認定』
『代表者 ファントムロード・レイス』
「…………」
破りたい。
すごく。破りたい。
『キュ?』
ミツキが。
机の上から書類を覗き込む。
「見なくていいよ。ろくなこと書いてないから」
『キュ?』
「俺が王様だって」
『キュ!』
「喜ぶな」
『キュ!』
なんか嬉しそう。
なんでだ?
俺は王様になりたくて、ここを作ったわけじゃない。
ただ捨てられたモンスターが寝られる場所、飯を食える場所……それが欲しかっただけだ。なのに気づけば、人口一万八千。領土も広大。道路は整備され、農地や病院、はたまた警備隊や国旗まである。
「国旗……誰だよ作ったの」
『グオ!』
窓の外でゴルガが胸を張る。
「お前だよな」
『グオ!』
「知ってた」
そんな平和な朝の時間に、バルガスが血相を変えてやってきた。
「レイス殿! 大変です!」
「最近そればっかりだな」
「王都から正式な使節団が来ます!」
「使節団? 何をしに?」
バルガスが固まる。
「外交です」
「……誰と?」
「あなたと」
「俺? なんで?」
「国だからです!」
「…………」
国か、嫌な言葉だ。
とても嫌な響き。
「断っていい?」
「駄目です」
「なんで?」
「すでにこちらへ向かっています!」
「…………」
「追い返す?」
「その場合、戦争になります」
「それは困る」
仕方ない。
「それじゃあ、会うだけ会うか……」
本当に嫌だけど……
そう言うと、バルガスは安堵の表情を浮かべる。
「ありがとうございます!」
「そんな大げさな……要は客だろ?」
「国家使節団です!」
「客じゃん」
「違います!」
「同じだろ」
そんな俺の認識に、バルガスは頭を抱えた。
◇◇◇
使節団が来るのは良い。問題はどこに使節団を招くかだ。
この国には、宮殿がない。
当然、王城も謁見の間もない。
あるのは俺が住んでいる半壊した屋敷くらいのものだ。
「ここでいい?」
そう尋ねると、バルガスが即答する。
「駄目です!」
「なんで?」
「壁がありません!」
「風通しいいよ?」
「外交に風通しは不要です!」
「じゃあ、外とか木陰は?」
「もっと駄目です!」
「ピクニックみたいでいいじゃん」
「国交ですよ!」
なんか面倒だ。
「それなら……」
俺は東部森林の方角を見る。
「エルドランの森にでかい木があるだろ?」
「あの世界樹級の?」
「そう。その木の下なんてどう?」
そう提案するとバルガスが黙る。
「駄目?」
「いえ、むしろ非常に神秘的です」
こうして、使節団の受け入れ場所が決定した。
◇◇◇
翌日、東部森林の巨大樹に赴いた俺はおもむろに上を見上げた。
巨大樹の樹齢は知らないが、とにかくでかい。近くで見ると圧巻だ。
俺は木の下に、プルルたちが用意してくれた、木製の机と椅子を置く。
「よし、こんなもんだろ」
『プル!』
プルルが机の上に花を飾る。
「ありがとう」
『プル!』
その横で、ミツキが綺麗に並べられた果物をこっそりつまみ食いしようとしている。
「つまみ食いするなよ」
『キュ!?」
「口に果汁がついてる。さては、食べたな?」
『キュ……』
「まあいいけど」
用意したのは、東部森林で採れた甘い果物に、ハーブティー、焼き立てのパンと蜂蜜だ。
この自治区では日常の食事だが、十分にもてなしにはなるだろう。
「これで十分だろ」
振り返ると、バルガスが唖然とした表情を浮かべている。
「何か変?」
「いえ、逆です。すべてが最高級品です」
「……これが?」
「はい」
机の上の果物を見る。
そこらへんに生ってるやつだ。
「普通だけど……」
「これらは東部森林の魔力で育った果実です。王都の市場なら、これ一つで金貨数枚は下りません」
「マジ?」
「マジです」
最近、自分の金銭感覚が怪しくなってきた。
◇◇◇
昼過ぎに、人間の使節団が到着した。
馬車が十台。護衛を含めて百人近い大所帯だ
「多くない?」
「国家使節団ですから」
「五人くらいでよくない?」
「普通はこれくらい威儀を正すものです」
なんだか面倒そう。
やれやれと首を振る俺の前に、一人の女性が歩み出してきた。
三十代くらいだろうか。整った銀髪に、きっちりとした青い正装。いかにもできる官僚といった雰囲気だ。
「――ファントムロード陛下」
「…………」
「陛下?」
「……その呼び方、やめて」
「しかし……」
「レイスでいいよ」
「…………」
女性が一瞬、固まった。
「私はアルベリア王国外交卿補佐、セレスティア・ローデンと申します」
「よろしく」
俺はスッと右手を差し出した。
セレスティアは目を見開き、フリーズしたまま固まっている。
「握手しない文化?」
「い、いえ!」
おずおずと小さな手が俺の手を握り返す。
「よろしく」
「はい!」
ものすごく緊張している。
俺、そんなに怖い顔をしているだろうか。
◇◇◇
「どうぞ、座って」
「失礼いたします」
「お茶飲む?」
そう言いながら、俺はカップにハーブティーを注ぐ。
セレスティアは差し出されたカップを覗き込み、息を呑んだ。
「……これは」
「ハーブティーだけど?」
「いえ、これは月霊草では……?」
セレスティアはカップを二度見する。
「名前は知らないけど、プルルが作ったハーブで薬効があるらしいよ」
セレスティアの顔色が変わる。
「月霊草は王宮でも滅多に出ません」
「そうなんだ。でもいっぱい生えてるよ?」
俺が畑を指差すと、セレスティアだけでなく、後ろに控えていた随員たちも一斉に絶句した。
「…………」
「月霊草の栽培は不可能なはずでは……?」
「野生種しか存在しないと聞いていたのだが……」
何かざわついているが、気にせず俺はパンをちぎって口に放り込む。
「食べない?」
「い、いただきます」
セレスティアはパンを一口食べると、目を見開き驚いた。
「…………っ!」
「どう?」
「美味しい……です」
「だろ? 自治区のパンは地面系モンスターと火系モンスターの共同制作。最近、パン焼くの上手くなったんだよ」
遠くで、ゴルガが『グオ!』と誇らしげに腕を組んでいる。
「……モンスターが共同でパンを?」
「そう」
「自主的に?」
「そうだよ?」
「…………」
そう言うと、また固まった。
よく固まる人である。
「何?」
「いえ、非常に興味深い国だと思いまして」
「国じゃなくて……」
自治区と言いかけたが、面倒なので飲み込んだ。
いちいち否定するのも疲れる。
◇◇◇
さて、ここからが本題だ。
セレスティアがカバンから分厚い書類を取り出した。
「今回、我がアルベリア王国はファントム自由自治区との間に、正式な友好条約締結を希望しております」
「友好?」
「はい」
「要するに、仲良くしようってこと?」
「簡潔に言えば、その通りでございます」
「じゃあいいよ」
「……え?」
セレスティアが素っ頓狂な声を上げる。
「よ、よろしいのですか!?」
「仲良くするんだろ?」
「はい」
「だったら、別に断る理由ないし」
そう告げると、後ろの随員たちがまたざわつき始める。
「ただ、一つだけ条件がある」
俺の言葉に、使節団の空気がピリッと引き締まる。
「……なんでしょうか?」
「この森で、勝手にモンスター捕まえないで」
「…………」
「あと、人間にしろモンスターにしろ、ここに住んでる奴らを無理やり契約させたり連れ去ったりしないこと」
「…………」
「それだけ」
セレスティアはじっと俺の目を覗き込むように見る。
「貴国から我が国に求めるものはありませんか?」
「ない」
「鉱山利権や、通商の優遇などは?」
「いらない」
「軍事協定や、領土の割譲は?」
「戦争したくないから全部いらない」
「…………」
いらないと言いすぎたのか、セレスティアは完全に言葉を失った。
「何?」
「いえ……」
セレスティアが少し笑う。
「陛下は……いえ、レイス様は欲がないのですね」
「欲はあるよ?」
「はい?」
「昼寝がしたい。できれば静かな場所で、三時間くらい泥のように眠りたい。それが今、一番欲しいものかな?」
そう告げると、セレスティアが思わず口元を押さえる。
「今、笑った?」
「いえ、決して……」
「笑っただろ」
「申し訳ありません」
だが、そのおかげか場全体の張り詰めた緊張感がスッと和らいだ。
◇◇◇
その後の細かい条約のすり合わせも、驚くほどスムーズに進んだ。
「交易は……」
「やっていいよ」
「では関税はいかが致しましょう?」
「何それ」
「輸入品に課す税です」
「必要?」
「国家運営には必要です」
「じゃあ、高くしすぎないで」
「……どの程度に?」
「知らない」
「…………」
「バルガス」
「はい」
「任せた」
「私ですか!?」
「詳しいだろ」
「私は外交官ではありません!」
「でも俺よりは詳しい」
「それはそうですが!」
「なら、決定で……次は?」
「国境管理について……」
「必要?」
「必要です」
「それじゃあ、人間もモンスターも危険なもの持ってなければ通していい」
「……それだけですか? 身分による制限や、貴族と平民の区別は設けなくてよろしいのですか?」
「何で?」
「我が国では、身分によって権利が異なりますので……」
「関係ある? 同じ人間なんだから同じでいいだろ」
なぜ、人が人に優劣を付けるのかわからず、そう尋ねると、セレスティアはしばらくの間、完全に沈黙した。
「先ほども申し上げましたが、我が国では、貴族と平民の壁は絶対のものです。それを……なんとも思われないのですね」
「そういうの面倒だから、ここでは迷惑かけないなら誰でも平等に受け入れる。そういうことにしておいて?」
セレスティアは静かに俺を見ると、なぜか少し泣きそうな顔をした。
「どうした?」
「何でもありません」
「そう?」
そこでセレスティアが少し迷ってから口を開いた。
「……一つ、条約とは関係のない個人的な質問をよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
そう言うと、セレスティアの声のトーンが、がわずかに低くなる。
「仮に、人間が自分の国から逃げて、ここへ来た場合はどのように対応されるのでしょうか?」
「……それは、犯罪者?」
「いえ」
「それじゃあ、どんな人?」
「例えば……」
セレスティアは一瞬だけ随員たちへ視線を向ける。
「……家に帰りたくない者や、主人から逃げた使用人、望まぬ結婚から逃げた娘……あるいは、生まれた場所に居場所がない者です」
「…………」
妙に具体的だなと思った。
だが答えは決まっている。
「別に来ればいいんじゃない?」
「……よろしいのですか?」
「だって、帰りたくないんだろ?」
「…………」
俺は肩をすくめる。
「なら、無理やり帰す理由ないし……」
「しかし、もし相手国が身柄の返還を要求した場合は?」
セレスティアの問いに俺は即答する。
「本人に聞く。その上で、帰りたいなら帰ればいいし、帰りたくないなら……帰さない」
カチャン。
そう言った瞬間、後ろの随員のひとりが、持っていたティーカップをソーサーに落としそうになった。
「それがどうかしたの?」
「い、いえ……」
セレスティアは俺を見つめる。
「それは、相手が貴族や王族でもですか?」
「……同じ人間だろ? 違うの?」
「…………」
とても長い沈黙……
まるで、なんと返答すればいいかわからない。そんな感じだ。
たっぷり時間をかけると、セレスティアはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。違いません」
「じゃあそれで……」
「はい」
なぜだろう。
その返事だけは、さっきまでと少しだけ違って聞こえた。
◇◇◇
こうして、すべての交渉が終了した。
「それでは、この条件で条約を締結させていただきます」
「よろしく頼む」
「はい」
交渉を終えたセレスティアは一礼し、使節団と共に帰っていく。
「終わった」
使節団が帰っていく背中を見送りながら、俺は大きく伸びをした。
「疲れた」
『キュ!』
「昼寝するけど、一緒に寝る?」
『キュ!』
「よし」
俺は木陰の柔らかな草の上に大の字になると、わずか三分で深い眠りに落ちた。
◇◇◇
一方その頃。
王都へ向かう人間の帰路の馬車の中。
「セレスティア様」
随員のひとりが、声を潜めて尋ねた。
「あのファントム王を、どう評価されますか」
セレスティアは馬車の窓から、遠ざかる東部森林の緑を静かに眺める。
「恐ろしい方よ」
「やはり……それは武力面においてですか?」
「いいえ、それ以上に」
彼は欲を持たない。領土も金も軍事力も要求しない。
そして何より――
「身分も種族も超えて、すべてを受け入れる」
「それは……ただの理想主義では?」
「違うわ」
セレスティアは目を細める。
「彼は理想を語っているんじゃない。すでに、あの場所でそれを実現してしまっているのよ」
それが、王国にとってどれほど脅威か。
もし王国が一歩間違えれば、虐げられた民衆も、奴隷も、そして行き場を失ったモンスターたちも、すべてがあの国へ吸い寄せられていくだろう。
「つまり……」
「ええ」
セレスティアは目を細める。
「武力以上に、国家として危険だわ。絶対に敵にしてはいけない」
「……そこまでですか」
「ええ」
そこで、向かい側に座っていた若い随員が、恐る恐る口を開いた。
「先ほどの亡命者についてのお話ですが……なぜあのような質問を?」
セレスティア窓の外を見ながら先ほどの問答を思い返す。
『帰りたくないなら……帰さない』
「セレスティア様?」
「忘れなさい」
「しかし……」
「条約には記載しません。国に報告も致しません。少なくとも、現時点では必要のないことでしょう」
あの言葉の重みを、今はまだ誰も知るまい。
しかし、その種はすでにまばゆい光の中で芽吹こうとしていた。
◇◇◇
数日後、アルベリア王国そしてファントム自由自治区で正式な国交が始まり周辺国に噂が広がり始めた。
「アルベリアがモンスター国家を認めた!?」
「伝説種が王を務める国と交易が可能なのか?」
「だが戦争意思はなしと聞く。なら……」
噂が噂を呼び、ファントム自由自治区には、一国また一国と使者が派遣されていく。
同じ頃、アルベリア王都の城壁の内側の貴族街。
その奥にある豪華な屋敷の一室で、一人の少女が窓辺に座り込んでいた。
年は十五、六ほど。淡い金髪に、儚げな細い身体。
しかし、その華美なドレスの袖から覗く手首には、痛々しい縄の痕が残っている。
少女の手には、一枚の新聞が握りしめられていた。
『ファントム王国、アルベリアと友好条約締結』
『――ファントム王曰く、身分を問わず、望む者を受け入れる』
「…………」
少女の指がその一文で止まる。
「望む者を……」
コンコン、と冷たいノックの音が響く。
「お嬢様、旦那様がお呼びです。次の縁談のお話……今度こそ、聞き分けていただきます、と」
少女の肩が激しく震える。
彼女は新聞を強く握りしめると、行き場のない恐怖と絶望の中で、窓の外の夜空を見上げた。
◇◇◇
その頃。ファントム王国の国境付近。
「…………」
俺は自治区の入口を見て唖然とした表情を浮かべた。
自治区の入り口には、馬車が三十台並んでいる。
「何これ」
バルガスの顔が引きつっている。
「おそらく、使節団です……」
「この前来たじゃん」
「別の国です」
「何カ国?」
バルガスは書類を確認する。
「現在、六カ国……」
「……帰ってもらえる?」
「駄目です。相手国が国交を希望している以上、無下にはできません」
「俺、昼寝したいんだけど……」
『グオオオオオ!』
「ゴルガ!?」
『グオ!』
「お前まさか歓迎式典とか準備してないよな?」
『…………』
「目を逸らすな」
『グオ……』
「何作った?」
ゴルガが指差す先に巨大な建物が建っていた。
「何あれ」
バルガスは震える声で言う。。
「おそらく、王宮です」
「……壊していい?」
『グオオオオオ!?』
「だったら、お前が住め!」
◇◇◇
だが、この日から世界地図には、一つの新しい国名が正式に記載され始める。
『ファントム王国』
人間、モンスターそのどちらにも完全には属さない史上初の多種族国家。
そして、各国がこぞって、その国との国交を求め始めた理由は、ファントムロードが恐ろしく強いからだけではない。
その国に、世界で初めて、逃げても生きていける場所が存在したからだった。
貧民、奴隷、迫害される者、捨てられたモンスター、そして、家族からすら逃げなければならない者……
絶望の中、やがて、彼ら、彼女らはこの国の名を知ることになる。
――ファントム王国。
その中には、先ほど新聞を握りしめていた一人の少女もいた。
このとき、レイスはまだ知らない。
彼が何気なく口にした『帰りたくないなら、帰さない』
その一言を命綱のように握りしめる人間がすでに存在していたことを。
そして、数日後。
国境の見張りをしていた狼型モンスターが泥だらけになって倒れている一人の少女を発見することになる。
背後からは、武装した騎兵。
胸には、アルベリア王国の紋章。
少女は、震える声でたった一言こう告げる。
「……助けて」
それが、ファントム王国史上初の人間の亡命事件。
そして、レイスが人間の王侯貴族すら敵に回しかねない新たな騒動の始まりだった。
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