婚約破棄したらデスゲーム始まった

さいべり屋

婚約破棄したらデスゲーム始まった


 もっもっもっもっ。


 小さな頬を栗鼠のように膨らませて、エレナは次の料理にフォークを突き立てた。


 本日を以ってエレナたちはこの学び舎を卒業した。

 欲しくもない卒業証書を配られる茶番と入眠儀式のような来賓の有難いお話を経て、小さな大人たちのために初めてのパーティが開かれた。

 要するに謝恩会だ。


 上位貴族の方々は本物の夜会のようなドレスに身を包んでいるが、子爵令嬢に過ぎないエレナには無縁だ。制服のまま参加し、滅多にお目にかかれないご馳走をせっせと頬袋に詰め込んでいる。


「エレナ、卒業おめでとう。楽しんでる?」

「ソフィーもおめでとう。楽しんでるわよ。この料理、端から全部制覇してやるんだから」

 同じく制服組の親友ソフィーが、エレナが陣取っている立食スペースまで声をかけにきた。


「まあね、こんな豪勢な料理、卒業したらあたしには無縁だものね」

 ソフィーもフォアグラの乗ったピンチョスを三つまとめて取り皿に乗せてからエレナに向き直った。

「でもエレナ、あんたは侯爵夫人になるんだからいいじゃない。こんなもの普段から食べられるようになるでしょう?」


「侯爵夫人になんか、ならないわよ。婚約破棄されたもの」

 元婚約者がエレナの家に訪れて婚約破棄を願ったのは、一か月ほど前のことだ。しかも変な条件まで付けて。


「ええ~! 噓でしょ、あのゲイリー様が?」

「嘘なもんですか。今日は徹底的に食べるつもりで来たの。どうせやけ食いして太るなら美味しい方がいいもの。なんたって食べ放題だしね」

 周囲の生徒たちは礼儀正しく、しかし確実に聞き耳を立てている。エレナは美しく彩られたキュウリのサンドウィッチを三枚まとめて突き刺して口に運んだ。

 頬袋を膨らませてもっもっと咀嚼し、果実水で一気に流し込む。


「あのゲイリー様がねえ。エレナにべた惚れだったじゃないの」

「下級貴族の娘が物珍しかっただけでしょう。卒業を機にもう用済みはポイして、ちゃんとしたお嬢さまと結婚するんだわ」

「そんな方には見えなかったけどねぇ……」

「しょせん男なんてそんなもんよ」


 新たに運ばれた湯気の立つ皿に吸い寄せられながら元婚約者の愚痴を零していると、フロアの中央から何やら騒がしい声が聞こえてきた。


「ロザリンド! お前のような高慢な女はもううんざりだ! 本日を以って、この婚約を破棄させてもらう!」

 怒鳴り声と生傷をえぐる内容がエレナの癇に障った。


「あのお声からして、ステファン殿下かしら」

 ソフィーが声を潜めて耳打ちする。

「そのようね。ちょっとこのタコとオレンジのマリネ、絶品」

「卒業次第ご成婚なのに、婚約破棄ってどういうこと? あらほんと、ピンチョスなのが口惜しいわね。大盛りで頂きたいわ」


 エレナの話に聞き耳を立てていた者たちも、突如始まった不愉快な余興に釘づけだ。矢のような視線の降る先には、夜の闇のような藍色のオフショルダードレスに身を包んだ公爵令嬢、ロザリンド様。


「ステファン殿下、お控え遊ばせ。──本日は卒業式でしてよ。騒動を起こして皆の門出に水を差すなど、次期国王に相応しい振る舞いとは思えませんわ」

「うるさい!」

 図星を突かれたのか、ステファン殿下は青筋を立てて怒鳴った。


「そうやって口喧しいから、私の寵愛を得ることができないんだ──私は真実の愛を手に入れた」

 そう言ってステファン殿下はやに下がった顔を傍らの小柄な女生徒に向けた。

「私は貴様との婚約を破棄し、このルリカと婚約する──国民も気立て良く愛らしいルリカが王妃であった方が嬉しいであろう?」


 婚約破棄を宣言した時点で他の令嬢をぶら下げているのだから、どちらに否があるのかはお察しだ。あのゲイリー様ですら、婚約破棄したときは土下座せんばかりに頭を下げていたし、腕に真実の愛をぶら下げたりもしていなかった。


「──さぁ”真実の愛”頂きました〜!」


 そこへ突然、目元に仮面をつけた制服姿の男子生徒が躍り出てきた。

「”真実の愛”。それこそが、運命のゴング! これより、デスゲームを、開始しまぁ~~~~っす!」

 巻き舌で宣言する男子生徒の合図と共に、同じく仮面で顔を隠した生徒たちがわらわらと現れて、殿下と令嬢を羽交い絞めにした。


「真実の愛、それは気高く! 我ら衆愚の徒には計り知れぬ尊いもの! しかし殿下はそれを手に入れたらしい! さっすが王子様! 素敵ィ! 痺れちゃう! 憧れちゃう!」

 男子生徒が大声を張り上げたので、手にしたマイクがキーンと不快な音を立てた。中肉中背の特徴のない身体つき。変声機を通した甲高い声。制服の肩からタスキ掛けにかけられた布には「ゲームマスター」と黒々と書かれている。


 パーティ参加者たちは一様に呆気に取られていた。


 エレナもマリネを飲み込むのも忘れ、栗鼠のほっぺでぽかんとゲームマスターを眺めていた。

「そこで! 我ら王立魔法学園デスゲーム研究会。とある筋からの出資を受けまして、憧れの真実の愛に迫りたいと思います! 名付けて”王子様のちょっといいとこ見てみたい! チキチキ☆KING OR DEATHゲーム”!」


 ゲームマスターがぱちんと指を鳴らすと、さらに制服姿の女生徒たちが乱入してきた。皆仮面を付けていて顔はわからないが、よく見ればどう見ても女生徒ではない体格の者もいる。

 エレナとソフィーにも仮面が配られたので、一応付けておくことにした。


「では第一ステージ!”愛してるならわたしのこと見分けられるよね?”だッ! これはサービス問題過ぎましたかね~。一発勝負でいきましょうか」

 言うが早いか殿下の足元に真っ赤な陣が形成され、シャンデリアの付近まで上がっていった。

 いかな天井の高いパーティー会場とはいえ、この高さから落ちただけでは死にはしないだろう。

──殿下の首に渡された縄がなければ。


「やめてよ。せっかくのご馳走が不味くなっちゃう」

 何が起きるのか察しが付いたエレナは顔を歪めた。


 女生徒の中には顔を覆ってしまった者もいる。エレナはソフィーと目配せして脱出を図ろうとしたが、出入り口では女生徒の制服を着た屈強な男が脇を固めている。

「デスゲーム研究会だと? そんなものこの学園には……ッ」

 魔法仕掛けのロープが締まった。

「嫌ですねえ。野暮は言いっこなしですよ。さあ早く見つけてください。真実の愛を」


「くっ。ルリカ! どこだ! 返事をしろ!」

 今やパーティー会場は女生徒の制服を着た有象無象に占拠されている。同じく制服だったルリカ嬢は完全に人波に紛れてしまっていた。

「返事はありませんよ。声が出せちゃあ、流石にヌルゲーすぎますからね。顔や声なんか分からなくったって、必ず見つけられるでしょう? なんたって、真実の愛なんですから」


 ステファン殿下の真下は制服の洪水が起きているため、ドレス姿のロザリンド様は舞台から遠ざけられ、壁際の椅子に座らされていた。扇子で顔を隠してはいるが怯えている様子はなく、切れ長の目は冴え冴えとしている。


──とある筋とはどんな筋なのか。

 長生きしたければ知らない方がいいことなのだろう。その冷たい視線にエレナは気付かなかったことにした。

 ステファン殿下の視線を攪乱するためか、仮面の制服集団はちょこまかと動き回り、一部の者たちは手に手を取って脚を上げダンスを踊り始めた。


 会場が混迷を極めたとき、少し離れたところで皿やガラスが割れる音が響いた。皆の視線がそちらに向かう。

 女生徒が恐怖のためか倒れてしまい、その拍子に傍らのテーブルの物を落としたらしい。声は聞こえないが、その身体は小刻みに震えている。


「ルッ、ルリカ! いたぞ、あれがルリカだ! 見たか、これが真実の愛だ!」

 殿下は早く縄を解けとジタバタ暴れ出し、倒れた女生徒を心配する素振りもない。

「う~んこれは、アクシデントですねぇ。仕方がない。今回は良しとしましょうか」

 倒れた女生徒の仮面を取ると、果たしてルリカの顔が現れた。同時に殿下の首縄もしゅるりと解けた。まだきつく締められていたわけでもないのに、殿下は激しく咳き込んで何度も息を吸った。


「貴様っ……。このようなことをして、ただで済むと思うなよ」

「勿論です王子様。このゲームを生き延びたなら、如何様にでも」

 真っ赤な顔で睨みつける殿下を軽くいなし、ゲームマスターはまた素っ頓狂な声を張り上げた。


「では第二ステージ! ”愛してるならわたしのこと全部知ってるよね?”だッ!こちらは三ポイント制となっておりますので、ラッキーパンチは効きませんよ!」

 真っ赤な陣がまた輝くと、ズズズと音を立てて人の背ほどもある神像が生えてきた。憤怒と復讐を司る女神だ。普通の女神像と違うのは、表も裏もどちらもが顔の彫られた正面であること。

 ゲームマスターが恭しく双頭の女神を開くと、そこには無数の棘が並んでいる。


──アイアン・メイデンだ。ふたり用の。

 翼のように開かれた女神の内側に、背中合わせの男女が据えられた。

 鈍色に光る無数の先端に、今度こそ冗談では済まないことを思い知らされる。


 悲鳴を上げるもの。悲鳴すら出ないもの。

 エレナも食べる気の失せたローストビーフの皿を置き、万一に備えて転倒しないよう手近な壁に寄りかかった。

「ではまずルールのご説明から! 申し上げた通り三ポイント制となっております。 三回正解すればクリア、逆に三回間違えれば蓋は閉じ、いと高き女神の国へとごあんなーい! させていただきます」


 ルリカがヒィッと声にならない声を上げた。

「あ、ふたり揃って正解しないとポイントにはなりませんよ。なにしろ真実の愛ですからねぇ。また、虚偽の回答をした場合にはペナルティとして二問分の不正解ポイントが付きますので、ご注意くださいね!──それでは早速第一問。ステファン殿下には他に何人のご兄弟がいらっしゃるでしょう?」


「……は?ふざけているのか。三人に決まっている」

「そ、そうよ!この国の民なら常識だわ!」

 簡単な問題に拍子抜けしたのか、鉄の女神の中から威勢のいい答えが返ってくる。


「はーい、正解です! 陛下と妃殿下の間には他に、アエリアナ殿下、アルフォンソ殿下、マクシミリアン殿下。いずれ劣らぬ素晴らしいお子様方がいらっしゃいます」

 鉄の女神の蓋が、ズズッ、と重たい音を立てて一歩下がった。


「ですから、ステファン殿下が女神のもとに赴かれても大丈夫! 安心してゲームを楽しんでくださいね──それでは第二問。おふたりが初めて真実の愛を結ばれた場所は?」


「なっ……」

 あまりと言えばあまりの問題に、会場が一瞬虚を突かれた。

「一応これ全年齢なんでぇ、詳しくは言えないですけど、わかりますよねぇ⁉ おふたりの真実の愛のメモリー、是非聞かせてください!」


 下世話だ。

 あまりにも下世話。


 しかしこれに答えと言うことは、婚約破棄の正当性を自ら手放したと同然。

「あっ、あたしたちは、そんなことっ」

「おおっと。虚偽の回答は二失点ですよぉ。ファイナルアンサーでいいですかぁ?」

 ゲームマスターにぴしゃりと遮られ、ルリカは口を噤んだ。この質問の意味するところはわかっても、死を以て尊厳を貫くほどの覚悟はできていないようだ。


「──会室だ」

 ステファン殿下が歯ぎしりの隙間から声を絞り出した。

「生徒会室だ! 昼休みの! これで満足か出歯亀共が!」


 ……手放した。

 生徒会室から見下ろせる位置には、学生食堂のテラスがある。

 エレナもよくそこで、ソフィーやゲイリーと楽しく過ごしたものだ。

 そのすぐ側にこんな獣がいたなんて。エレナは青春の思い出が汚されたような気がした。


 ちらりと藍色のドレスに目を走らせるが、扇子に隠された表情は不快げではあっても驚いた様子はない。

「はーい正解ー! 午後の光が降り注ぐ生徒会室! 昼休みに笑いさざめく生徒たちの声をBGMに、見つめ合う恋人たち! ひゅ~、ロマンチック~!」

 ゲームマスターがわざとらしく身を捩る。


 彼の口ぶりからして、見つめ合うだけでは済まなかったことは明白だ。会場にしらっとした空気が漂った。

 鉄の女神はまた一歩下がり、恋人たちとの距離を広げた。

「えっ、もう二点先取ですか! あと一点取ったらクリアしちゃうの? すごいですねえ、さすが真実の愛! では第三問いきましょうか。この学園でルリカさんに金品を貢いだ男の人数は?」


「ちょっ──」

「そんなの私ひとりに決まっているだろう!」

 ルリカの抗議の声をかき消すようにステファン殿下が吠えた。


「おやおやぁ? 宜しいんですか、そのお答えで」

 確認するゲームマスターの声は弾むように楽しげだ。画面に隠れて見えなくても、その目と唇が蛾眉がびのようにたわんでいるのがわかる。


「当たり前だろう! お前らが散々煽ったのではないか、真実の愛だと。それに嫉妬に狂ったロザリンドに無体をされぬよう、このところは常に供をつけさせていたのだ!」

 意気軒昂にがなりたてる殿下とは裏腹に、背中合わせのルリカは口を噤んだままだ。


「さすがです殿下! さすがです真実の愛! これでルリカさんが同じ答えで正解すると、三ポイントゲットでこのステージはクリアとなります!」

 さあ!とマイクを突きつけるゲームマスターに、しかしルリカは何も答えない。


「ル……リカ?」

 やっと己の失策を悟った殿下がぐぎぎ、と振り向こうとするも、背中合わせに縛り付けられた恋人の顔を見ることは叶わない。

「殿下とルリカさんの答えが違えば失点一。虚偽の回答をすれば失点二……。ああ!こっちもリーチですね! これは面白い」


「なっ、なぜそうなる。私は既に二点取っているではないか!」

 そう。ふたりは既に二問正解している。そこから減算していくのなら、殿下たちには五点のアドバンテージがあることになるが……。


「それはそれ、これはこれですね」

──ならないようだ。


「おふたりはまだ失点ゼロですからね。敢えてのお答えで視聴者を煙に巻くのもよろしいでしょう。そうすれば前代未聞のダブルリーチ! 次の問題が生死を分ける! 盛り上がること間違いなし!」


 ルリカはまだ黙っている。その沈黙こそが、雄弁に事実を物語っていた。

「ル、ルリカ? ルリカ……おい」

 初めての失点の予感に、殿下は譫言うわごとのように恋人の名を呼んでいる。さきほどロザリンド様に婚約破棄を突き付けた威風堂々たる姿は見る影もない。


「答えろ、ルリカ……。二点は、拙い」

 それでも暫く沈黙が続いたが、ようやく長い吐息と共に声が吐き出された。

「……だって、ルリカは可愛いんだもの。ルリカに何かしてあげたいって思う男の子はいっぱいいるのよ。貰ってあげるのが親切でしょう?いちいち、覚えてなんかいられないわ」


 でしょうね。

 正直、見たことこそないが、エレナもソフィーも話だけは聞いていた。敢えて皆に同じ品をリクエストするらしく、後日それが中古屋で大量に出回るのだとか。


 男は知らない。女たちだけが知っている噂だ。

「なっ、このっ、阿婆擦れがッ」

「なによっ。殿下が言えって言ったんじゃない!」

 背中越しに言い返すルリカは、先ほど殿下の腕にぶら下がっていた時とは別人のようで、か弱くも守ってあげたくも見えなかった。


 そのまま醜い罵り合いを始めるかと思われたが、鉄の女神が重い音を引き摺りながら一歩迫ってきたせいで、その余裕もなくなったようだ。

「はーい、ざんねーん。真実の愛ペア、ここで初めての失点一となりました!でも大丈夫ですよぅ、正解ポイントもリーチですからね。一問でも正解したらステージクリアできますから!」


 ここにきて観衆の空気が一段緩んだような気がする。デスゲームの牙がどうやらこちらには向かないことが分かってきたからかもしれない。

「……ねえ、ソフィー。殿下がこのゲームをクリアしたら、ゲームマスターはどうなるのかしら」

「──制裁、されるでしょうね。一族諸共」

 エレナは仮面の男から目を離すことができない。青い顔のソフィーは今にも崩れ落ちそうだ。


 ステファン殿下は王子の威信にかけて、草の根分けてでも逆賊を探し出すだろう。しかしこの醜態を目の当たりにした我々が、彼を王と仰ぐことができるかは別の問題だ。

「──では第四問。殿下がルリカさんに貢いだ金品。その資金はどこから出ていたのでしょう?」

「……? なんだ、私の金に決まっているだろう」


 ステファン殿下が即答した。

 ロザリンド様の眉がぴくりと動いた。


「そ、そうよ。王子様だもの。お金をいっぱい持っているんだから!」

 ルリカも追従し、ゲームマスターは少し戸惑ったような素の雰囲気を見せた。

「虚偽の回答……では、ないようですね。本気なのか」

「あ、当たり前だ。私はこの国の王になるのだぞ」


 殿下はむっとしたように言い返した。この期に及んでその態度がとれるとは、ある意味大物。

「確かに、この国は豊かです。財源は豊富にある」

 ゲームマスターは噛んで含めるように説明し始めた。


「しかしそれがポケットの小銭と違うのは、予算があるということです。人件費、交際費、修繕費──殿下のお小遣いにも」

 コッ、コッ、と弁舌をふるう男の足音だけが響く。

「私財からと言い張るには、ちょおっと、お楽しみが過ぎましたね──残念ながら、不正解です」


 一連の設問が大きなうねりとなって、民意をどこかへ連れて行こうとするのが分かる。

 この男が本当に暴きたかったのは、真実の愛などではない。

 もっと大きなもの。この国の根幹を揺るがす事実。


「正解ポイント二点。不正解ポイント二点。さあ、どちらに転んでも最終問題です──第五問。腹の子の、父親は誰か?」


 殿下は即答しなかった。

 先ほどの失点を経て、さすがに学習したらしい。


 ルリカも即答しなかった。

 背中合わせの男と女。

 極限状態デスゲームの中では、愛しい人の背のぬくもりがたったひとつの支えになる──はずだった。

 ひとたび疑心暗鬼に包まれてしまえば、その生暖かい温度は、汗の湿度は、単なる不快な異物に成り下がる。


「ルリカ──まさか」

 ルリカは複数の男から金品を受け取っていた。

 見返りにその身体を差し出していなかったとは、もう誰も言い切れない。


「さあ、お答えください、さあ!」

 空気を読まないマイクが突きつけられ、赤く色づいた可憐な唇がゆっくりと開いた。

「そんなの……わかんないわよ」

 会場が静まり返った。







 パン、パン、パン。


 破裂音のような拍手が鳴った。

「クリアおめでとうございまーす! 箱の中の猫の生死は開けてみないとわからない。腹の子も然り。極めて哲学的な難問でしたねぇ──あれ。僕、特定の誰かの話してましたっけ?」


 しらじらしい。

 手拍子のひとつひとつで銃声のように彼らの尊厳を撃ち抜きながら、ゲームマスターはさも今気づいたかのような素振りをした。


「なんと彼らの真実の愛は三ポイント先取で第二ステージクリア! 次は惜しまれながらもラストステージっ! 題して”愛してるならわたしの代わりに死んでくれる?”だッ!」


 ザァァー


 深紅の陣が光り、今までで一番大きな魔法がさざなみのような音を立てて舞台を作り替えていく。

 女神の装飾を施された巨大な天秤が現れ、双方の皿にひとりずつ、殿下とルリカが乗せられた。

 その下には大きな水槽。禍々しい真っ赤な液体が、ごぼごぼと沸き立っている。


「最終ステージは極めてシンプル。一分後にこの天秤は落下します。ただし、その前にどちらかが飛び降りれば、もう片方は助かります──さあ、真実の愛は、自分を犠牲にしてでも貫かれるものなのでしょうかっ!」


 カチ、カチ、と時を刻む音がする。

 エレナたちはただ、固唾をのんで見守るしかない。

「あ、あたしは、妊婦なのよ。王位を継ぐべき子供を死なせるわけにはいかないわ」


 ルリカが身じろぎするたびに、ゆら、ゆら、と天秤が揺れる。

「なにが王位だ、この売女め! どこの種とも知れぬ子に王位を継がせるわけがないだろう!」

 ステファン殿下が罵り返すと、ぎし、と天秤が傾いたような気がした。


「私は王になる男だぞ。国を思うのならば、私を生かすべきだ」

「あたしが死んだ後の国なんかどうでもいいわよ! なんであんたの為に死ななきゃなんないの!」

 醜い罵り合いを歯牙にもかけず、呑気な声が割って入った。


「はぁい、カウントダウンはいりますねぇ~。五、四、三……」

 美貌の男女が同時に叫んだ。

 極限状態で赤黒く変色した顔で、今日いちばんの相性ぴったりのタイミングで。


「お前が死ね!」

「あんたが死ね!」

 ぷつん。

 綱が切れた。


「はいタイムアップ~! ゲームオーバーでぇす!」

 どぼんという音とともに、大きな水しぶきが上がった。


「アァー! アッ、アッ、熱っ──」












「──くないではないか!なんだこの湯は!」


 ぐらぐらと沸き立つ赤い液体の中から、殿下とルリカが立ち上がった。

「こちら、肩こり腰痛もスッキリ!発泡温熱入浴剤となっております!」

 言いながらゲームマスターは鉄の女神にダイブした。


「こちらも超大手寝具メーカーから提供を受けた、低反発マットレスでーす。めっちゃ寝心地いいんですよ──僕、全年齢って言いましたよね? 学校の部活動で物理的DEATHはやらないでしょ、普通」


 命の危険がなくなったと知ったステファン殿下は、ずぶ濡れの姿でゲームマスターに掴みかかった。

「こ、この私をたばかったのか!デスゲームなどと嘘をついて」

「いいえ? デスゲームは執行されました」

 ゲームマスターは先ほどまでの軽薄な口調をかなぐり捨て、淡々と語り始めた。


「このデスゲームは、全国ネットで生配信されています。

 不義密通。

 公金横領。

 玩物喪志がんぶつそうし

 あなたの行状は余すところなく拡散されました。


 陛下と妃殿下の間には他に、アエリアナ殿下、アルフォンソ殿下、マクシミリアン殿下。いずれ劣らぬ素晴らしいお子様方がいらっしゃる。

 民意を失ったあなたを担ぎ続ける理由はどこにもない。


 あなたはもう死んでいるんですよ。──社会的にね」

 ステファン殿下はがっくりと膝をついた。


「それでは、余興はこのへんにしたいと思います。皆様の門出が素晴らしいものになりますように──帰り道、気を付けてくださいね」

 ゲームマスターは胸に手を当てて大仰なお辞儀をすると、仲間たちを引き連れて去って行った。


 急に人影のまばらになったフロアの隅で、ソフィーはへなへなとへたり込んだ。エレナも長い長い溜息をついて、胸に淀んだ空気を吐き出した。

「とんでもない卒業式になったわね」

 強がっているようなソフィーの唇が少し震えている。


「ねえ、ソフィー。顔や声なんか分からなくったって、見つけられるのは、真実の愛かしら」

 エレナは研究会の去った方を見ながらつぶやいた。


「え? ああ、ゲームマスターの台詞ね。そうね、そうかも──エレナ、あのデスゲームの最中にそんなこと考えてたなんて、随分肝が据わってるじゃない」

「こんなことだろうとは思ったのよ──だって、虫も殺せないような人だもの」


 元婚約者がエレナの家に訪れて婚約破棄を願ったのは、一か月ほど前のことだ。

 土下座せんばかりに頭を下げて、なのに変な条件までつけて。

 ──卒業式が終わるまでは、新しい婚約者を探さないで欲しい、と。


「ねえエレナ、どこかに移動して、仕切り直さない?」

 ソフィーの誘いをエレナは首を振って断った。

「いいえ、帰るわ。新しい婚約の申し込みが来そうな気がするの」


 そしてエレナはその申し込みを受けるのだろう。

 たとえ、その人がどんな姿をしていても。

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