誰も苦しまないで欲しい、悲しまないでほしい、そんな願いはひとつも叶わない。
「苦しいことや悲しいことは、嬉しさや楽しさを知るためにあるんだ。」
そう言い聞かせて20歳をすぎるまで生きた。
でもなぜ?苦しみや悲しみを受けても、善人になる人は限られているのに。私は素直に受け止めて心を痛めて、いちいち立ち止まってうずくまってばかり。ばかみたいだよね。
苦しみや悲しみがないと、美しいものを見て、「なんて素敵なのだろう。」と、感嘆することもできないの?人間は。
私にとってはすべてが苦痛で悲しいことだった。
だから、せめて0.00000000001でもいいから窒息死する寸前の沈没していく船の中で、残り少ない酸素を吸いに行くように、自分の心がプラスへ動く何かを探して、その数少ない楽しみを反芻して生きてきた。
病名があるのなら、悲劇のヒロイン症候群とでもいうのだろうか。まあ病気なんだったら、早く私を治してくださいな。
苦しみも悲しみもなくたって、美しいものは美しいし、楽しいことは楽しいんじゃないの?って話。
それなのに苦しみや悲しみを植え付け給うたその真意を、いつか、根源に聞いてみたいね。
人間って本当に不思議で、考えても考えても、その答えの枠からどんどんはみ出ていく。結論は常に「考えても仕方がない。」
いつだってすべて単なる事象である。
今度こそ小説の続きを書くぞ。(フラグ)
日記に書くほどのことでもないし、なんとなくここに記してみた。
これぞ戯言ですな。