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R-18文学賞一次選考落選したのですが

実はそれほどショックでもないというか……
あー、ダメですね。
ほんとはショック受けないといけないのにな。
でもねー、応募作を書いていた頃は不調でいまいち筆が進まなくて、「きっとダメだろうな」と思っていたんですよね。
(坊っちゃん文学賞の時もそうでした)
ちなみに応募作は、過去作「ショコラ・オランジュ」を改稿したものでした。
(*'-'*)ンー……
などとかわいい顔文字で誤魔化してみましたが(笑)、やっぱりまだ「私なんかが文学賞に応募だなんておこがましい」的考えを捨てきれていなかったのが不調の理由だったのかもしれません。
個人文学賞ならまだしも、有名で大きな文学賞なので。
だから応募作を書く時にやけに構えてしまって緊張状態になるんです。
こんな言い方するのもちょっとどうかと思うのですが、本当はただの専業主婦ですからねぇ。
高校生大学生の頃に文芸部にいたわけでもない、本をたくさん読んでいたわけでもない(たくさん読んでいた時期はあったけど、常に、ではなかった)、書き始めてまだ2年8ヶ月しか経っていない。
「私なんかが応募したら他のすごい人たちからバカにされるのではないか」と思ってしまう。
でも挑戦したがりなところもあるので、書きたいという気持ちも捨てられない。
┐(´д`)┌ヤレヤレ

ということを吐き出せる場があってよかった。
なろうで孤独にやっていた頃は本当に寂しかったので、カクヨムに引っ越してきてよかったです。
褒めてくださる方もギフトをくださる方もいらっしゃるので、弱音を吐いてばかりではいけないと思っています。
応援してくださる方々に感謝を。
これからもがんばります。

あ、そうそう、話はころっと変わりますが、顔が赤く腫れてかゆくなった件で皮膚科に行ってきたんですよ。
それで「一旦落ち着いたんですけど……」と言ったら「落ち着いて見えても内部ではまだじくじくしていたりするので」と言われました。
アッハイ……デスヨネー……。
そして薬を処方してもらいました。
これで何とか平穏に年を越せそうですw

ではみなさま、ごきげんよう。

3件のコメント

  • いやいやいやいや、たいしたもんですよ、その挑戦心は。
    僕なんかまだ一回しかない(必然的に、一次落選も一回w)

    来年は頑張ってみないとなあ、と昨年末も思っていましたわww
  • この文学賞という領域は、ふつうの物書きとは明確に違う人達の集団、と云うイメージが付きまとうんですよね💦
    延長線上にはたぶん、「芥川賞」とか「直木賞」みたいな、サブカルとは別軸の文学マニアたちがひしめく「業界」みたいなものが広がってるイメージなんですけど……。カクヨムとか、こういう軸とはまた別なところにあるような感覚だったんです。だから、といってはなんですが、そこに挑戦するという時点ですでに超越してらっしゃる、自信を持ってください。あたしなんぞは挑戦する勇気もありませんw ただ、この二つの軸が離れすぎてるのもなんかさみしいなぁ、という意識はあるんですよね。天川賞はその中間に位置するものとして始めたという背景もありまして……(そう云えばしばらくやってないなぁw)ラノベはラノベ、文学賞は文学賞、みたいな……🌀
    ごちゃまぜにして同じ価値基準で評価したら、日の目を見なかった作品が浮上してくるんじゃないかしら?? という思いはどこかにあります。まあ、文学賞界隈はそれなりに業界政治も働いてそうではありますが……。ラノベに関しては純粋に面白いものが評価される、であってほしかったのですが、最近は「売れるもの」という評価基準になってしまってるのが切ない……💦
    文学的作品、それも「業界」のしがらみに巻かれない自由さが、欲しい気がしますね。
  • >くじらさん
    ありがとうございます!
    わたくしたぶん、挑戦心だけで何とかしておりますww
    公募にはなかなか……という方のお気持ちもわかるんですよね。
    大小色んなコンテストやキャンペーンが開催されるカクヨムが優秀すぎるんです、きっとw

    >天川さん
    ありがとうございます!
    いやぁ、私も人に勧められなければいつまでもカクヨムでいいやーってなってたと思うんですよねぇ。
    あ、個人文学賞はnoteでまあまあ盛んに行われていたりするので、参戦していたかもしれないですが。

    何で軽トラにゴミ積んでゴミ収集車追いかけることはできるのに公募には勇気を出せないのでしょう……🤔
    (あのコメントめちゃくちゃ面白かったw)
    とまあ冗談はともかく、文学賞についてはハードルが高いと感じるのもわかるし、カクヨムである程度交流できる人が増えてくると満足感を得られたりしますものね。
    自分の場合は、既に一度手を出してしまったので、もしこのまま書き続けていったら見えるのはやはり文芸的な方の文学賞なのではないかと、本当におこがましいながらも考えるのです。
    そこに向かっていく気概が必要というのは当然ですが、腐らずに書き続けていたら、もしかしたらその高みに行けるのではないか。
    行けなかったとしても、脳みその老化防止にとても良いのではないか(笑)。
    そんなふうに考えるのですw

    天川賞には何にも縛られない自由さがあって良いと思います!
    本当はどの文学賞にもそうであってほしいところですが、やはり資本主義社会、そうもいかないところがあるでしょうw
    すみません、長くなってしまいました。
    ありがとうございました!
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