ライヒが帰還するより十年ほど前。
アドルインは表向きは平穏、変化のない日々を送っていた。
だが、一部の人間には日々生きづらさが増していく都市となっていた。
最大の理由は締め付けであった。
冒険者を含む『職能認定者』──つまり戦闘能力を認められ、それによって財貨を稼いだ経験のある人間への都市独自の依頼に対しての参加奨励。
ただ、奨励と言いつつもそれは実態的には命令である。
断ればその人物に与えられていた一種の特権的なもの。
例えば他都市への通行に関わる税の免除の剥奪であったりとか、都市からの悪評が与えられる『かもしれない』といった見えない毒が回ってしまっている。
最初こそ都市からの奨励依頼は付近のゴブリン退治やら賊の討滅などが主であり、冒険者ギルドなどが出す依頼にそれほど違いはなかった。
ただ、奨励依頼の全ては都市のためになることが第一。
内容の善悪について都市から語られることはない。
毒はギルドと冒険者たちの中を静かに巡っており、ある日を境にそれが決壊した。
今まではギルドは都市のそうした奨励依頼に横から口を出して、あまりにも危険度の高いものは排除させてきた。
だが、都市はそれに合わせて形を変えた。
奨励依頼が通らぬならば、ひっそりと冒険者ギルドの依頼に混ぜてしまえばいい。
未来においてはより強固な人事が行われることになってはいるものの、当時は都市の息が掛かったものがギルドの業務に口や手を出していたのは事実である。
✘✘✘
ギルドの門が開かれる。
血に汚れた姿のまま現れたのは駆け出しからは抜け出した新人の一人。
ただ、アドルインの冒険者ギルドにおいては目立つ新人であり、その理由の最たるものはその人物が貴族であり、長子であり、見た目や所作なども令嬢そのものであったことにある。
その新人──ライヒ・グレイトキャピタルは血に汚れた姿のままギルドへと入った。
片方の腕で太紐を引いている。後ろには急拵えの担架のようなものが置かれており、そこに厚布で保護されたものが置かれていた。
いや、冒険者であれば見たことのあるものの多い代物。それは|死体袋《ボディバッグ》だった。
弔いまでの間に入れるものこそがそれだった。冒険者となれば死に様も凄惨であることが多い。
だからこそ、ボディバッグを携帯することを勧められていた。それが役に立つ日が来ないことを祈りながら、ほぼ全ての冒険者がそれを携える。
もう片手にはじゃらりと|認識票《タグ》が握られている。
「……ら、ライヒ?」
受付嬢、彼女もまだ新人であり、だからこそライヒたちとは親く仕事をしていた。
「あの仕事。──騙したんですわね」
「騙し……?」
その視線は受付嬢、フィニーを見てはいない。その後ろにいる市からの監督者を睨んでいた。
今、冒険者ギルドで依頼を出せるのはその人物を通さない限りは無理な話だった。
「騙した?
人聞きの悪い。依頼に問題があったとして、それはそちらの力量不足なだけだったのでは?」
「賊だと言ってましたわね」
フィニーを押し除けるようにして前に。
彼女が気がついた。ライヒもまた軽傷ではない。
「賊ですよ。……我らアドルインにとっては」
「正規兵でしたわよ。ベイシンの」
「そうですか」
「そうですか、ですって?」
「ふう。いいですか。私は市長閣下の話をあなたたちに伝えているだけ。私を恨むというのはまったく筋違いというも──ぶごああっ!?」
振るわれた。
認識票で固められた拳がお見舞いされていた。
「わたくしの手にあるものは、一党の、仲間の認識票と」
腰嚢から取り出したのは交戦したものたちが迂闊にも残した『隣国の身分』を示す幾つかのもの。
それらを一緒握り込むと、ライヒは監査官に向い獰猛に踏み込んだ。
「これが!! 証拠品!! ですわよ!! お前らが、お前らが無理な仕事を示して冒険者を失って、達成した!! 仕事の、結末を知らせるものだッッ!!!」
拳が打ち付けられる。冒険者としての認識票。他者が持っていることは即ち死を伝えるに十分な意味を与えている。
依頼の中にあったものとはまるで違う相手だった。
準備どころかそもそもの戦力の見立て違いも甚だしい。急ごしらえの一党には荷が勝つ依頼だった。
ライヒが生きているのはいくつかの運と噛み合いによるものでしかない。それらを持たなかった冒険者は命を落とした。
「やめっぎゃぼぐえ! ぐっ」
官の声が弱弱しくなっていく。重篤な状態にまで追い詰められていた。
凄惨な現場となったが、ようやくそこで兵士たちが動こうとする。
それでもやろうとしたのは官の救護ではなくライヒへの攻撃であろうとする。
だが、監査官からの今までの扱いに我慢の限界が近かったところに、死んでしまった冒険者仲間たちへの無念は、せめてライヒだけは助けねばならないという思いに転がり、立ち上がらせる。
監査官の護衛をしていた兵士たちは流石にそれらと張り合うようなことはせずに、官を拾い、逃げるようにさっていった。
「フィニー……。みんなを弔ってくださいますか」
死んだものたちは皆、流れ者だった。近隣では食っていけないとしてここに来た冒険者。
顔馴染みではあるが、深い間柄ではない。それでも、死んで悲しくない相手ではなかった。
それはフィニーにとっても同じだ。
そして、何よりフィニーは冒険者ギルドの職員としてあるまじき、権力への屈服と守べき冒険者を守れなかった無力に声は出なかった。それでも頷きはする。
新人の彼女に抵抗の術も反抗の力もない。
それらができたものたちの多くが市長にへりくだる道を選んだ。止められなかった自分が、新人である自分が悪いのだ。苛むのは己の心だった。
ライヒもそれを察していた。けれど、まだ未熟な彼女にフィニーを抱きしめて、
「あなたが悪いわけじゃありませんのよ」
そのように慰める度量はまだ持てていなかった。
兵士たちが官を連れていくために手に持っていたハルバードが置かれている。
既にライヒの持っていた武器は失われていた。代わりのものが必要だった。
馬上での長柄武器の扱いは貴族の嗜みである。騎乗できねば地に足をつけて振るうべき技術は領地を護るべき領主の嗜みでもある。
それらは学んでいる。ライヒの技はお稽古事と言うには十分な殺傷力があった。
「ら、ライヒ。どこにいくの」
「……正すべきを正しに行きますわ」
「待って、ライヒ!」
フィニーの制止も聞かずに出ていくライヒ。
追いかけようとする彼女はボディバッグに一度目が向く。自分が弔わねばどうなるのか、わかっていた。無縁仏として処理される。何も感慨もなく、今の職員たちはそう扱うだろう。
家族がいるのか、遺された財産の行き先など、全て考えられることはない。
だからこそライヒはフィニーに頼んだのだった。彼女だけが唯一、今この街で信じられる職員だったからだ。
死亡した冒険者のための処理を始めたところでギルドに一団が入ってきた。
支部長と、彼が抱えていた一党だった。ギルドも一枚岩ではない。だが、彼らはこの状況をどうにかするために動いていた。明るみに出れば数と権力で押し潰されるからこそ、多くのことは言えなかった。
支部長はただフィニーに、
「状況と証拠は揃った。告発し、この都市を清浄化する」
そう告げた。
✘✘✘
ライヒは市長の住む屋敷へと進んでいた。
出入り口はしっかりと市の正規兵が固めている。
ハルバードを持った女が歩いてくれば当然、警戒した。
押し入る前に彼女は立ち止まった。
懐からポーションを取り出す。
敵から奪い取った賦活剤だった。眠気を散らし、集中力を与える。飲み過ぎれば毒であった。
一本飲み、瓶を投げ捨てる。ぱりんと割れた。
「……」
まだだ。まだ足りない。ライヒは二本目に手をつける。
投げ捨てた。再びぱりんと割れる音。
少しはマシな気分になった。
「お退きなさい。自らの判断で引くならば害することはしませんわ」
冒険者としてはまだまだ未熟。
戦闘能力もまた、未熟である。
見てくれとてそこらの少女と変わりはないはずだった。
だが、凄みがあった。
恐ろしさがその声に秘められていた。
賦活剤の影響か、そもそも怒りがその血を活性化させたのか、彼女の祖先を辿れば見える猛将の血が激っていた。
瞳から、赤涙のように稲妻が迸っていた。
「あ、い、あ……」
武器を落とし、逃げ出す門番たち。
ライヒは約束通り背を斬ることはなかった。
「バカがっ!!」
一部の人間を除けば、だが。
逃げ出すふりをしていた門番が悪罵を吐きながら襲いかかる。
だが、ライヒは振り向きもせずにハルバードを回転させて、その重さで逆袈裟にして斜めに寸断した。
血飛沫が舞う。振り返ることもなくライヒは進んだ。
✘✘✘
「侵入者だ、進ませるな!」
「冒険者か? ……俺がやってやる」
屋敷内。状況を理解して殺到してくる兵士たち。廊下。兵士たちから一人が飛び出る。おそらくは彼らの中で最も実力を備えたものだろう。
だが、遅かった。飛び出たと同時に飛来したのはハルバードだった。予想外だった。自らの武器を投げ捨てるなど。
ハルバードがその兵士の肩口と壁を縫った。殺すつもりなら殺せただろう。それを理解できた兵士たちに沈黙を強制した。
肩を貫かれた兵士の手から剣を奪い、進む。騒ぎを聞きつけ、状況を理解した市長が逃げようとしていた。
「ぼ、冒険者風情が!! 殺せ、殺して鎮圧しろ!!」
兵士に命じ、従って動く。ここまで来て容赦をする心は一欠片もあるわけがなかった。
進んでくる兵士は距離があった。
ライヒは再び賦活剤を手に取り、飲んだ。ビリビリとした痛みが喉と脳に走る。
息を吐いて踏み込む。痛みを置き去りにするような速さだった。兵士たちを切り伏せる。膂力に耐えきれなかった刃が砕けた。
一瞬で護衛が切り倒されたことに慄く。
「くそ、まて、待てえ!! 何が望みだ!!」
声を大きくして望みを聞く。狙いがあった。その声に兵士たちが現れることを期待していた。
ライヒも理解していたが関係などないと踏み入る。
市長の喉元を掴み、持ち上げた。小柄な男だからこそ、ライヒに持ち上げられていた。
「な、なにか言え、か、かか、怪物め」
声を聞きつけた兵士たちが現れる。
外回りから帰ってきた腕のいい兵士も含まれていた。これまでのようにはいかない。だとしても状況はライヒに有利であった。
盤上において取るべき駒は既にライヒの手にあったからだった。
「は、はなせ。はな」
ぱっと手を離す。男が着地する──それよりも早くライヒの拳が何発も腹に腕に胸に、顔面に何発も打ち込まれた。
「げぶるあ!?」
血反吐を吹き散らしながら壁に叩きつけられる。
兵士たちが市長を離したのを見て次の手を思考する。あるいは踏み込もうとした剣士も居た。
だが、
「そこまで!!」
ギルド支部長の声が響いた。
「アドルイン市長パールシモン殿、あなたに他国との関係をはじめとした疑義がかけられています。いますぐ出頭を」
残った意識で這いつくばりながら声の方向へと進む市長。
冷たい瞳でそれを見て、それから声の主へと視線を移した。
「どうか、穏便な引き渡しを」
彼の背後には一党が控えている。全員がライヒを知っていたし、ライヒに同情的ではあった。
同時にライヒもまた彼らを知っていた。実力のある先輩たちであり、おそらくこの一件を解決するために今日まで尽力してきたのだろう。
そしてなにより、彼我の実力差は明確だった。
新人冒険者である彼女は腑抜けた兵士たちを相手にして暴れ回れても、完全武装で戦局を睨んでいる格上冒険者に勝てる確率はゼロであることをライヒは理解していた。
何より、ライヒにとって彼ら冒険者は敵ではなかった。
「……」
ライヒは歯噛みした。
あと少し。どうしてあと少し早く証拠とやらを見つけてくれなかったのか。
そうすれば、共に依頼に入った仲間たちは死なずに済んだと言うのに。
貴族としての教育が彼女に理解させてしまっていた。
ギルドの支部長が持つものは確実に市長をその座から引きずり下ろし、その後も暫くは都市とギルドを最悪の状況からは回避させ続けられるだろうことを。
それだけの証拠を揃えていることも。慎重に、しかし確実にそれらを集めたことを。
『どうして──あと少し──』
そう呟きそうになった。口がかすかに動いた。だが、それを飲みくだした。
彼女はそのまま進む。
怒りをぶつけたりない市長を通り過ぎ、支部長を通り過ぎ、一党を通り過ぎた。
そこでようやく止まり、
「わたくしの罪状は」
「多くを加味して、君には数日ほどの禁固刑が妥当となるはずだ」
「多くを加味して?」
首に提げられていた都市の居留権利を示すネックレスをぶちりと引きちぎる。
「これほど暴れ回ったのです。より強い罪になりましょう。
ですが、状況を動かしたこと、逃げようとしていた市長を捕らえたことを、多くを加味する中に含めてくださるなら」
市長が逃げようとしたのはライヒが暴れたからだけではない。
実際に、自分を裁こうとするものが現れる日は近いと感じていた。
市長はなりふり構わないで我欲を求めることもある、直情的な悪党であったが、上り詰める程度には目端は効いた。つまり、支部長の動きを察せられないほど愚鈍ではなかった。
ライヒに暴行されたのは本当に運が悪いとしか言いようがない。もちろん、その運の悪さは自身が得るための利益追求によって使い捨てられた冒険者や傭兵たちの怨嗟が生み出したものではあった。
「何を望むんだい」
「都市追放刑でご寛恕いただければ幸いですわ」
支部長と市長の間に投げ捨てられた権利の証。
返事を聞くよりも先にライヒは去る。
ここにあと一分、いや十秒、瞬きひとつの分でもいれば気が変わりそうだったからだ。この邸のことだけではない。アドルインに少しも滞在できる気がしなかった。
後に、これはアドルインで詩人に酒場で唄われる功績となる。
義の冒険者ライヒ、悪の市長を討つ。
拡大解釈と噂による肥大化を含めた詩は形を変え、内容を変え、こんにちまで残っていた。