江島縁起とは……
古の時代、鎌倉の底なし沼に、五つの頭を持つ邪悪な龍が住みついていた。
この五頭龍は子供を喰らい、天変地異を起こしたりと、好き放題に暴れ回り、人々を苦しめていた。
そんなある日、相模湾の海底の一部が突如、隆起を始め、一つの島を創った。
これが江の島である。
そして江の島の誕生と共に、一人の美しい天女が、多くの眷属を引き連れて島に降り立った。
この天女が、江の島弁財天である。
五頭龍は、弁財天の美しさに惹かれ、求婚する。
が、弁財天は悪事を働く龍とは結婚出来ないと断り、五頭龍に悪事を止めるようにと諭した。
諭された五頭龍は改心し、悪事を止めた。
それを認めた弁財天は五頭龍の求婚を受け入れ、夫婦となる。
改心し、弁財天と結婚した五頭龍は、今度はその力を人々の救済に使う様になる。
人々が日照りで困れば雨を降らせ、津波が海岸の村を襲えば、その身を挺して堰き止めてみせた。
だが、そうして人々の為に力を使い続けた結果、五頭龍はその身を急速に衰えさせてしまう。
そして、五頭龍に死期が訪れる。
五頭龍は江の島の対岸に身を横たえ、この地と一体になる事で、弁財天と共に、永遠にこの地の守護する存在になる事を約束し、死ぬ。
死んだ五頭龍の肉体は、やがて大きな神の山に変わった。
これが鎌倉腰越の龍口山であり、この一連の物語が江島縁起である。
そして五頭龍は龍口山となったが、江の島弁財天の伝説は続く。
時代が過ぎ、江島縁起を聴いた幾人もの高僧が江の島を訪れたのだが、彼らの多くが、生身の……つまり生きて江の島で暮らす、美しき弁財天と邂逅しているのだ。
高名な弘法大師空海もその一人で、自ら彫った弁財天像を岩屋に奉納している。
弁財天は生身のまま、神仏習合の金亀山与願寺の祭神となったのだ。
更に時が過ぎても……それこそ江戸時代になっても、生身の弁財天との邂逅伝説は続いていく。
こうして江の島は、生身の弁財天が暮らす神の島として、長く、広く、人々の信仰を集めたのだった。
が、明治になり、状況は一変する。
明治の狭量な為政者たちは、神道である神社で、外国の神である仏教神が祭られるのを極端に嫌り、神仏分離政策を推し進めた。
廃仏毀釈の嵐は江の島も例外ではなく……いや、江戸時代、徳川家との関係を深めていた江の島の与願寺と弁財天は、むしろメインターゲットとして、新政府から苛烈な弾圧の対象となったのだ。
寺は廃寺となり、島内の仏教施設はことごとく破壊され、新たに神社が建設された。
弁財天像も破壊され、わずかに隠されたのもだけが残った。
そして弁財天は祭神の座を追われ、神社には無関係の九州の女神が、祭神として祭られることになった……
だが、この地域の人々は弁財天を忘れなかった。
そして、弁財天に思いを馳せた。
江の島から追い出された生身の弁財天は今、どうしているのか? と。
弁財天と五頭龍の子孫たちは?
弁財天が引き連れていた眷属たちは?
彼らはどこで、何をしているのだろうか? と。
そうした人々の思いの中、一つの物語が、密かに語られるようになった。
それは明治以降も脈々と続く、現代の弁財天とその眷属、そして五頭龍の物語である。
今、その密かな物語……新江島縁起をここに記す。