共同打ち合わせは、予想以上に長くなった。
クライアントの会議室で、悠真と怜司は並んで座っていた。新プロジェクトの方向性を詰めるための会議だ。二人が組むことを、クライアント側が強く希望してきた。前回の修正案が評価された結果だったが、悠真にとっては複雑だった。
会議中、怜司はほとんど私語をしない。的確な指摘と、短い提案だけを淡々と並べる。悠真もそれに応じ、資料を指し示しながら説明を続けた。肩が触れそうな距離。時折、怜司の袖が悠真の腕に当たる。そのたびに、皮膚の下で小さな電流が走った。
「では、詳細は来週までに」
ディレクターが締めくくり、会議は終わった。すでに外は暗く、窓に室内の明かりが映っている。関係者たちが次々と席を立ち、部屋に残ったのは悠真と怜司の二人だった。
「送る」
怜司が短く言った。拒否する理由が見つからない。終電までまだ時間はあるが、タクシーを探すより早い。悠真は小さく頷き、荷物をまとめた。
車内は、静かだった。
エンジンの低い音と、タイヤが濡れた路面を噛む音だけが聞こえる。雨が降り始めていた。ワイパーが規則正しく動き、フロントガラスに水滴を払う。怜司はハンドルを握ったまま、前方を見ている。横顔はいつものように冷たく、感情を読ませない。
信号で止まったとき、怜司が突然体を寄せた。
「……っ」
唇が重なる。熱い。雨の匂いと、香水が混じる。舌が深く侵入し、悠真の息を奪った。抵抗する時間がなかった。いや、抵抗する気が、最初から薄かった。悠真はシートに背中を預けたまま、怜司のシャツを掴んだ。キスは深く、長く、容赦がない。なのに、どこか丁寧だった。
唇が離れると、細い糸が光を捉えて切れた。互いの呼吸が、車内に乱れて落ちる。悠真の頰は熱く、唇が微かに腫れていた。怜司の瞳も、いつもの冷たさとは違う熱を宿している。
「これは、遊びだ」
怜司が低く言った。声は落ち着いている。まるで、事実を確認するように。
「……わかってる」
悠真も短く返した。声が、わずかに掠れている。わかっている。ただのストレス発散。憎しみと欲情が混じった、一時的な関係。それ以上の意味など、つけるべきではない。
なのに、胸の奥が、冷たく沈んだ。
信号が青に変わる。怜司は体を戻し、アクセルを踏んだ。車が動き出す。雨音が、再び二人の間を埋める。悠真は窓の外を見た。ネオンの光が、水滴に歪んで流れていく。
『わかってる』
自分で言った言葉なのに、心のどこかが拒否している。遊びだと言いながら、さっきのキスは熱すぎた。拒まれなかった自分も、熱すぎた。怜司の「遊びだ」という言葉の冷たさと、唇に残る温度が、対照的に胸に残っている。
「……いつまで、続けるつもりですか」
沈黙に耐えきれず、悠真が口を開いた。
「お前が拒むまでだ」
「私は、拒んでます」
「体は、そうじゃなかったな」
悠真は唇を噛んだ。反論できない。事実だった。車内の空気が、妙に重い。怜司はそれ以上何も言わず、運転に戻った。悠真も黙って、自分の膝の上で拳を握りしめた。
家の前で車が停まる。悠真はシートベルトを外し、ドアに手をかけた。降りようとして、ふと後ろを振り返る。怜司はハンドルに手を置いたまま、こちらを見ていた。瞳の奥が、微かに揺れているように見えた。
「……おやすみ」
「ああ」
短い返事。悠真は車を降り、雨の中を玄関へと急いだ。傘を差す余裕もなかった。ドアを閉め、背中を預けて深く息を吐く。服が濡れている。髪からも水が滴り落ちた。
スマホを取り出す。画面に、怜司からのメッセージは何もない。当然だ。遊びなのだから。
なのに、悠真は画面を見つめながら、小さく呟いた。
「この関係、いつまで続けられるんだろう」
答えは、出なかった。
ただ、唇に残る熱だけが、なかなか冷えなかった。
雨音が、窓の外で続いていた。