〔NEVADA〕ラスベガス 六月十四日、正午
フリーモント通りの外れに、古いダイナーがあった。
看板の電球が、昼なのに半分だけ光っていた。
「主任。ここ、僕が選んでよかったんですか」
「十二時に開いている。それで十分だ」
モンローは席に着いて、時計を見て、それからメニューを見た。
順番が、いつも同じである。
「ハン」
向かいで、銀髪の男が椅子を引いた。
「安い店だ」
「レイモンド。あなた、食べないのに文句だけは言うんですね」
運ばれてきたのは、ミートローフと豆と、薄いコーヒーだった。
モンローはナイフを入れて、端から順に食べはじめた。
レイモンドが内ポケットから赤い柄のナイフを出した。栓抜きを開いて、瓶の蓋を弾く。
カチッ、と小さい音がした。
「マーク君」
「はい」
「残すな」
「まだ何も残してません」
「言うのは、残す前だ」
◇
三日目の昼だった。
マークの体は、あちこちが青くなっていた。攻撃は一度も習っていない。
彼はフォークを置いて、少し迷ってから訊いた。
「あの、お二人って、どのくらい一緒なんですか」
「五年だ」
「……五年?」
「二十五年は、網と鎖で走っていた。道具などなかった」
モンローは豆をすくった。
「五年前に、本部から一本まわってきた」
「それが」
「これだ」
彼は、向かいを顎で示した。
「試したのが二人。どちらも一月で返したそうだ」
「ハン」
レイモンドが、瓶の蓋を指で回した。
「返したのではない。誰も、まともに喋らなかっただけだ」
◇
「最初の一年は、ひどかった」
「ひどい、とは」
「二件、取り逃がした」
モンローは、そこを隠さなかった。
「私が『待て』と言う。こいつは、待たない」
「なんでですか」
「先に片づくからだ」
銀髪の男が、当たり前のように答えた。
「使用人は、言われてから動くものではない」
「でも、手順が」
「遅い手順は、手順ではない」
「勝手に出るな、と私は言った」
モンローがコーヒーを一口飲んだ。
「こいつは、こう言った。『命令されるために、ここにいるのではない』」
「……喧嘩じゃないですか」
「喧嘩だ。半年やった」
「半年!」
「無駄な半年だった」
レイモンドが、はっきりそう言った。
「ハン。あの頃のモンローは、私を鎖だと思っていた」
「……主任。それ、怒らないんですか」
「事実だからな」
◇
「どうやって直したんですか」
「直していない」
「え」
「片方に合わせるのを、やめたんだ」
モンローは、フォークを置いた。
この三日で、二度目である。
「私は命令をやめた。代わりに、先に予定を言うことにした」
「予定」
「『私は三分で正面へ出る。拘束具は左だ』。それだけだ」
「指示じゃなくて」
「指示ではない。予告だ」
彼は、卓を軽く叩いた。
「そのあとで、こいつが何をしようと口を出さん。……予告の内側にいるかぎりはな」
「ハン」
レイモンドが、鼻で笑った。
「そのぶん、こちらも一つ譲った」
「譲った?」
「刃を、先に開かないことだ」
マークは、赤い柄のナイフを見た。
「一度に一つしか開かん、って」
「そうだ。先に大刃を開けば、その日はもう殺す道具しか持っていない」
銀髪の男は、瓶を卓に戻した。
「だから、鑢(やすり)から開く。鋏から開く。……面倒だ」
「面倒でも、やってるんですね」
「ハン」
それは、否定ではなかった。
◇
「あと、食事だな」
「食事」
「私が食わねば、こいつは消える」
モンローはミルクを注いだ。
「昔は、現場が終わるまで食わなかった。倒れたことがある」
「それで」
「こいつが、栓抜きを開けるようになった」
マークは、卓の上の瓶を見た。
蓋は、もう開いている。
「……心配してるんですか」
「ハン。していない」
レイモンドの答えは、早かった。
「腹の減った主人は、手順を間違える。片づけるのは、こちらだ」
「主任。今の、心配ですよね」
「そうだな」
「違う」
二人が、初めて同時に喋った。
マークは、笑いをこらえるのに失敗した。
◇
「もう一つ、訊いていいですか」
「うん」
「レイモンドさん、なんで主任のこと、呼び捨てなんですか」
マークは、三日ずっと気になっていた。
「主任、一級ハンターですよね。……普通、怒りませんか」
「ハン」
銀髪の男が、先に答えた。
「敬称は、順番を作る道具だ。私は順番を作らん」
「それ、答えになってますか」
「なっている」
モンローは、豆をもう一口食べた。
「昔、本部に言われたことがある」
「はい」
「『番号で呼べ』とな」
「……断ったんですね」
「断った」
彼は、コーヒーの湯気を見ていた。
「番号で呼ぶと、番号のことしか考えなくなる」
「四条、ですね」
「四だ」
モンローは、そこだけ小さく言った。
「呼び捨てにされて、初めて分かったことだ」
◇
「それで、第七位になったんですか」
「なった」
モンローは、そこだけ短く答えた。
「フレズノの倉庫だ。三体いた。……初めて、一度も止まらなかった」
「一度も」
「私が予告して、こいつが先回りして、私が拘束具を掛けた。十九秒だ」
「すごい」
「翌月、格付けが上がった。そこからは上がる一方だった。下から二番目から、七位まで一息でな」
「四年で、七位ですか」
「三年半だ」
「……速すぎませんか」
彼は、ミートローフの最後の一切れを口に入れた。
「本部の書式には、こう載った」
「なんて」
「『本器、単体性能の再評価により第七位』」
マークが、顔を上げた。
「……主任のことは」
「載らん」
「載らないんですか」
「噛み合った、という欄が、あの書式にはない」
モンローは、皿の縁を指で押さえた。
「五だ。見た者が、書け」
「……はい」
「書式に無いものは、見た者が書くしかない。……誰も書かなければ、無かったことになる」
◇
外を、観光バスが一台通っていった。
マークは、報告書ならどう書くかを考えて、やめた。
書けない種類の話だと思った。
「主任」
「うん」
「五年って、長いですか」
モンローは、窓のほうを向いた。
「短い。……ただ、たまにな」
「はい」
「こいつは、私を見ていない目をする」
マークは、向かいを見た。
銀髪の男は、何も言わなかった。
瓶の蓋を、指で二度、回しただけである。
◇
「毎日同じ卓につくって、家族みたいなものですね」
言ってから、マークは失敗したと思った。
「ハン。道具に家族感情はない」
「そうだな」
モンローは、あっさりそう言った。
それから、最後の豆を一つ残らずすくった。
「だが、道具は主人より長く残ったりするものだぞ」
マークは、その言い方に少し引っかかった。
引っかかっただけで、意味は分からなかった。
モンローは伝票を取り、金額を確かめ、そのまま自分の胸ポケットに入れた。
「次は、君が払え」
「次があるんですね」
モンローは、答えなかった。
彼は立ち上がり、上着の前を直し、時計を見た。
十二時三十分ちょうどだった。
「マーク君」
「はい」
「腹は」
「……いっぱいです」
「よろしい」
モンローが、ドアのほうへ歩き出した。
「主任」
「うん」
「結局あの人とは、仲、良いんですか」
モンローは、ドアの前で少しだけ立ち止まった。
「良くはない」
「……そうですか」
「ただ、五年、一度も約束に遅れたことがない」
「ハン」
レイモンドが、先に外へ出た。
白いセダンが、昼の光の中へ出ていった。
その夜、ラスベガス北部で無線が鳴る。
「道具は主人より長く残る」。
マークがその意味を知るのは、もう少し先のことである。
☆不定期開催豆知識☆
二人乗りの自転車は、前の人がハンドルとブレーキを持ち、後ろの人はペダルだけを漕ぎます。
後ろの席からは、進む先がよく見えません。
それでも速く走れる組は、必ず声を掛け合っています。曲がる前に、必ず。
