ストーリーテイリングは「効果的に物語を伝えるために、構造を計算して書くもの」ということを、何度か申し上げました。
では「受けるだろうから」と、お涙頂戴な展開として、計算された感動的なセリフを散りばめれば名作となるのでしょうか。
他の方のことはわかりませんが、私の場合は違うと思いますし、やろうと思ってもできません。今回はその話をさせてください。
優れた物語は、登場人物に魂が載ると思っています。登場人物の魂が同じでなければ、セリフが感動的でも、物語から浮くだけという感覚があります。
だから、私にとっての物語づくりとは「登場人物の人間性が素直に発揮される舞台づくり」となります。
こうした場合、登場人物のセリフなどは私の思惑は二の次となります。
最近の『モノクロームトリガー』で言うなら、シナリオ上の想定では「辺廻が、偽りの家族への真意を口にすることがなく討たれて、死の間際に詩奏や直澄に見抜かれる」というものでした。
この方が、辺廻が家族を口にすることに重みが出ます。計算するのであれば「家族への想いを煙に巻く」のが正しいとは思うのです。
でも、書いてみると、辺廻は詩奏たち、偽りの家族を想像以上に大切にしていました。彼は“偽りの家族”を偽りのまま扱えるような存在ではなかったのです。
そして、詩奏は祐奏の母だけあって、何も誤魔化されないのです。
私は登場人物の魂が降りて来るタイプの小説書きなので、物語の都合で登場人物の声を曲げることはしません。というかできません(商業であれば、校正としてある程度は受け入れるとは思いますが、この作品は同人ですからね)。
ですから、辺廻がどういう人間性を持つ存在なのか、全員知りつつ戦うことになりました。私はそれが切なくて、泣きながら書いていました。
情報開示がいいのか、悪いのかは読者様が判断なさることなので、私が断じることはできません。ただ、私の場合は「シナリオ」は構造構築しますし、できますが「セリフ」は計算しては書けないということです。
計算できないことは、商業小説家を目指す上では、あるいは致命的弱点かもしれません。TRPGのゲームマスターをしすぎて、魂が降りて来る(あるいは自動生成される)ようになってしまったので、悩ましいところではあります。
計算できれば、もっと面白い物語にできるかもしれないので、そこは読者の皆様に申し訳ないとは思います。
計算できない部分もありますが、その分だけ登場人物の魂は嘘をつきません。
この物語を一緒に歩んでくださる皆様に、心から感謝しています。