この小説のきっかけになったのは、救急搬送をされたときの救急車の中での体験です。
オチを行っておくと、結果的には、脳にも、体にもなんにも異常はなく、1週間の入院の後、脳神経科、精神科のお世話になったものの、「極度のストレスによるもの」というふわっとした診断で尻窄みに治療が収束したのですが、「あれ、死ぬってこういうことだったの?」と妙に納得した体験でした。
事前に伝えておくと、私は、特定の宗教を信仰していませんし、特段、死について考えるなどということとは程遠い生活をしている普通のヒトです。
下記に、当時、私が友人たちに向けて書いた文章がありましたので、転載します。
実は、金曜日の夜に救急車で運ばれまして、現在、入院しております。当日記憶障害があって、記憶が所々あいまいなのですが、自分への記録も兼ねておもいだしながらダラダラ書いているので、長文かつ駄文です。
金曜の夜、24:30頃だったと思うのですが、自分の部屋(地下)でゆっくりしていたら、突然目の前がグラグラしてきて、立ち上がったら、泥酔した時のように足元がぐらついて、うまく歩けない。
しばらくしたら、落ち着くかなとおもって待っていたのだけど、どんどんひどくなる。こりゃ、まずそうだなと階段を上がる。(僕の書斎は地下なので)
足に力が入らないので、手すりにつかまりながらなんとか1階まで上がる。これは、救急車を呼ばないとまずいかもしれない。
息が苦しい。今までに経験したことはないくらい鼓動が速い。
3階にいる妻を叫んで呼ぶが、言葉がうまく発せられない。
(注:我が家は5層構造になっていて、僕は最下階、妻は最上階に)
なんとか、救急車と伝えるが、発された言葉は、「うーうーあー」にしか聞こえない。ああ、これは駄目だ。
「どうしたの?」の問いに、なんの説明もできない。救急車を待っている間に、だんだんカラダが動かなくなり、崩れ落ちて、階段にひれ伏す。
なかなか救急車が来ない。これ、発症から救急車までの時間が勝負なやつじゃないんだっけと言う考えが頭をよぎる。意外と意識ははっきりしている。言葉は発することはできないが、頭の中はかなりクリア。ちょっと頭対たいくらい。
救急車が来たので、担架で運ばれ、救急車に乗せられる。おそらく、大通り沿いに止まっているんだと思う。腕も足も固定されていて、あまり動けない。喉がカラカラに渇き、掻くことができない足先が何と無くかゆい。でも、体が動かないのでかけない。時間の流れが遅い。かゆいのにかけないもどかしさと喉が渇いて辛い。
あーーーーかゆい。あと飲み物何か飲ませてくれないかー。
不定期に自分の意思に反して 体が痙攣して波打つ。
救急車に乗ってから10分は経っただろうかと思って、車内の時計に目をやると、30秒しか時間が経っていない。もしや、時間の流れが止まっている?
喉の渇きとかゆいのにかけないもどかしさが永遠に続くのに、時計を見ると、数十秒しか経っていない。カラダの感覚が遠い。足先が10mくらい先にある感覚。うごかそうと思っても、一瞬遅れて、しかも、思った通りに動かない。
自分の声が副音声のように聞こえてくる。
「死というのは、どこか別の世界に行くのではない。死に至る最後の時間が永遠に続いて終わらない。それが死なのである。」
え、そうなの?
つまり、この救急車の中で、足先がかゆいのにかけないもどかしさと、癒されることのない喉の渇きに苦しんだまま、この時間が永遠に続くのかと、割と素直に受け入れる。
ああ、明日の朝イチ、美容院営業時間前に髪を切ってもらうために、親しい美容師さんに早朝にお店を開けてもらうことになっている。週明けの会議と採用面接あったな。明日の約束、すっぽかしちゃうな。
このまま死んだら、伝わらないまま、約束すっぽかしたことになるのかな、なんてことを考えてる。
時計を見る。時間はほとんど進んでいない。
いや、時間戻ってない?さっき1:25だったのに、1:20になってない?
救急隊員の方が話してること、さっきと同じこと繰り返してない?「済生会病院と虎ノ門当たります」
脳卒中です。と病状を伝える声が遠くで聞こえる。
ああ、脳卒中なのか、だから、言葉が話せなかったり、カラダが動かなかったりするのか。
でも、俺には、このまま明日はやってこないのかな。俺以外には俺のいない明日が来るということなんだろうかとか考えてる。
やりたいこともあったし、行きたかったところあったけど、今回はここまでか。明日は普通に来るものと思ってたけど、突然こなくなるものなんだな。
と思っていたら、病院決まりましたの声。
救急車がサイレンを鳴らして、動き出す。
あれ、場面が進んだ。あれ、俺死ぬんじゃないのか?
病院に着く。
いちにっさんで、隣のベッドに移動させられる。これ、よくドラマで見るやつだーとぼんやり思う。
Tシャツを脱がされ、いろんなセンサーが付けられて、採血とか同時進行で進む。CTスキャン、MRIで調べられるが、それぞれ検査時間が永遠に感じる。
MRIもCTも毎年受けていて、今年の1月にも受けているのに、MRIの頭を固定する仮面のようなものがすごく怖くて拒否する。
「MRIダメですか?」
いえ、ダメじゃないはずだけど、今は怖い
呂律の回らない言葉で答える。睡眠導入剤を点滴してもらって、やっとMRIに入る。意識はなくならず、眠くもないまま、ただぼーっとしてる状態で、MRI。
さっきと同様、時間が止まっている。全然終わらない。体感的には、2-3時間だが、実際はおそらく15-20分なんだと思う。
38度超の体温。酸素6リットルという声が聞こえたので、おそらく、酸素がかなり足りないのだと思う。
ひと通り検査が終わって、病室に移って、脳波を取られる。「綺麗ですね」という声が聞こえる。
しばらく入院になりますと説明を受ける。
CTとMRIでは、脳梗塞とかくも膜下出血とかが起きた形跡は全くないとのこと。考えられるのは、過労と極度のストレスによるてんかん。
当日の記憶障害も、眠気も発熱もてんかんの症状だそうで。
ここ1ヶ月お酒もほとんど飲まず、週3でジムを復活して、カラダを整えようとしてた矢先ですが、最近、ほとんどちゃんと眠れてないし、ストレスはあるっちゃあるけど、最近特になんかあったということではないですと。
ちなみにストレスは本人は感じていないケースが多いとのこと。
入院から3日経って、運ばれたことが嘘のように、言葉も話せるし、体も動くようになってます。が、熱は37度から下がらないので、頭はぼーっとしているものの、脳の障害はないみたいです。
しばらく入院して、精密検査するそうです。
以上が当時自分が残したメモです。
この数十秒が何時間にも感じる間隔。喉が渇いたまま癒せず、痒い足を書くこともできないままの状態が永遠に続く。ここから先に時間が進めないことをもしかして、死と呼ぶのかと。
意識はここで、留まり続けるのだけど、通常の時間の流れに乗っている肉体や他の人達は、いつも通りに時間が過ぎていく。死の瞬間が壁となって、死ぬ人間はその先に進めなくなるのが死なのではないかという考えが、このときに浮かび、そして納得感を持って受け入れたような気がします。
これをただ横で見ている存在、介入はしないけど、ただ見届ける存在として我々が死神と呼ぶ存在がいてもいいんじゃないか。
この死神を通じて、僕の死生観を作品として残せたらと思い、この小説を書きました。
本来介入せずに見届けるはずの死神が少しずつ介入したら面白いかなとおもって書きました。
読み終えても何も心に残らない。何の感動も与えない。そんな作品が、読んだ方の役に立てたとしたら幸せです。