先日私が執筆したシンギュラリティという作品。
これについて少し語りたいことがある。
読んでいない方はそちらを読んでからこの文に触れることをおすすめするが、別に読んでなくても読める文章にはなっている。
ブレインロット、という言葉を1度くらいは聞いたことがあるのではないのだろうか。
直訳すると「脳が腐る」であるのだが、主に若い人に対して使われることが多い印象である。
この言葉の源流はネットに大量生産されるショート動画だったりしたはずである。(違うかもしれない。)しかし最早ブレインロットという現象は一般化されているものではないのだろうか。
その一例として、昨今のいわゆる「なろう系」を私は挙げてみる。この「なろう系」はタイトルで多くを説明したり、シンプルな勧善懲悪なストーリー性にて「読みやすい作品」としてスポットライトを浴びてきたと感じる。書かれている内容をそのまま受け取り、爽快になれる。そのような似た形の作品が大量に出ている…ネットにおけるブレインロットに少し似ている側面があるのではないだろうか。
単純性。それは確実に万人受けをし、全ての人に嫌われることのない(好かれるかどうかは知らん)要素だ。しかしやはりデメリットはあるもので、思考を奪いかねない。目の前の情報を短絡的に処理することは、想像力、思考力の欠如を生む可能性があるのだ。
だからと言って、単純化かれた小説を読むのを止めろとは言わない。むしろ文学に触れる行為なのだ。是非ともして欲しい。しかし、たまにでいい。作者も考えていないような解釈を考えて欲しい。「この言葉はこういう裏があるのではないか?」「ここの感情は複合的なものであり、こんな感情とこんな感情が実は混ざっているのではないか?」作者が苦笑いしてしまうようなそんなことを考えて欲しい。
持論にはなるのだが、小説の読み方には読む→咀嚼する→考える→吸収する→…というサイクルがあると思っている。そのようなサイクルを行うためには、やはり妄想しながら、思考しながら読むことが肝要になってくるであろう。
結論、私は思考の幅を持たせられることがウリの小説を書いていくつもりである。私の作品も、私以外の作品でもこのことを少し思い出して読んでくれると嬉しいと思う。
これを読んでくれた貴方に何かが残ることを願っている。では。