●久江雅彦、内田恭司(編著)『証言 小選挙区制は日本をどう変えたか』(岩波書店)
2024年6月7日 第一刷刊行
政治をテーマに書くためには政治についてある程度知らなければならないわけだけども、だからと言って政治家の立志伝ばかり読んでいても仕方がないように思ってしまう。
もちろん政治も人が営むものであるから、それを担う当事者の人柄・人格というものをよく知る必要はあると思う。ただそれはそれとして政治を生み出す制度とその運営について気になってしまうのが私の個人的な性分だ。
例えば、喩えが良くないかもしれないが、人格者だけど組織人としては仕事の運びが上手くないという人はいる。人当たりが良さそうだとか、誰にでも分け隔てなく接する、賢くて有能であるという要素が必ずしも組織やプロジェクトをよく回す能力には結びつかない。そういう矛盾。
だとすれば人間性や性格に共感や強みを持っていても、政治という舞台では全く逆効果な人物というのはいるはずだ。ところでそういう状況を冷静に分析するには個人攻撃をするだけではなく、制度にも目を向けたほうがいいというのが個人的な考えで、テレビだってスポンサーの悪口は言えないのと同じようには、その立場の人間を制約するのが制度なのである。
さて、国会議員の行動を縛るものは何かというと、選挙制度そのものであろう。選挙に当選しなければそもそも議員にはなれないからだ。党派や派閥というものがなぜ力を持つのかといえば、それは選挙で自分が当選するために必要だからだ。この辺りの分析は渡邉恒雄の『派閥』からこのかたずっと政治学上の分析が続いているのだけれども、本著はその中で令和にも至る小選挙区制と比例代表制(特に小選挙区制)が、今の政治シーンにどのような影響を落としているかを当事者含めた複数の証言から紐解いていく。
論点は文字通り「小選挙区制の導入結果を振り返って良しとするか否か」。この点、名を連ねる細川護熙、石破茂、岡田克也、野田聖子、辻元清美、田原総一郎など、それほど政治に明るくないわたしでも知っている名前がずらりと並んで、さまざまな振り返りを見せてくれる。
面白かったのは「小選挙区制」以前の「中選挙区制」について、自民党の内部でも否定的な感触を持つものが多かったということだ。
その筆頭格が石破茂で、彼は証言の中で「同じ自民党内の候補が敵になり、互いに悪口を言い合う」と言った表現で批判的な眼差しを向ける。中選挙区制とは1つの選挙区から3〜5人程度の当選者を出すという制度で1994年まで運用されていた。この制度の問題点は、石破が指摘した同じ政党でも候補者同士が相争うことで、その争いの過程で、支援団体の葬式や結婚式に足繁く通うなどのサービスを競い合う争いが起きたことだ。これをサービス合戦と言っている。
また、リクルート事件、佐川急便事件などの疑獄事件に代表されるように、金権政治の問題も多く噴出した。政治とカネは当時から今に至るまで延々と課題であり問題だった。選挙は人手と金がいつも必要とされている。その政治のあり方の常識を批判する人もいれば、より現実的に政治資金を透明化していくべきだという人もいる。この辺は立場の違いが出る。
小選挙区制ではこの政治と金の問題と、党内部での派閥の対立や金権政治の問題を解消したかのように見せたが、別の形で露呈した。まず選挙区内で二、三人選ばれれる(つまり選挙区内のNo.2、No.3でも当選できる)のが、一人だけになった。しかも比例代表と重複立候補できるわけだから、小選挙区で落ちても比例代表で復活することもできる。
また、小選挙区制は当選が1人なので、自民党のような大きな政党だと執行部によくみられたいがために党内部での積極的な姿勢がなくなったという話があり大変興味深かった。総裁含め党内の有力者に応援してもらわないと与党でも当選が難しいのがこの制度の本質なのだ。かつて中選挙区制では何らかの”強み”があればNo.2、No.3としてのマイナー寄りの当選が可能だったのだが、小選挙区制では選挙区内のNo.1ただ一人となるため自然と「八方美人」な振る舞いが多くなる。でないと幅広い有権者の支持を得られないからだ。
もちろん政治資金の動き方も変化する。中選挙区制では”強み”を持った人物が議員になるチャンスがあったが、これは同時に官僚と業界団体と密着した族議員の発生を促したともある。この点、選挙制度の問題だけが絡んだわけではなさそうだが、そうみられているかのようなナラティブがあったのは興味深かった。
一方、そういう”族”ではなく「八方美人」と化した小選挙区制では政治資金パーティーとしてパーティー券配りなどの政治とカネの問題が露呈する。このあたりは制度の運用という別の視座も必要で、小選挙区制の問題とも言い難い。しかし、「八方美人」で「党執行部のお伺いを立てる」議員が、ちゃんとした政治家であるかどうかは疑問で、しれっと「政治家が小物ばかりになる」という批判が当時すでにあったことも面白い(ついでに言うと、その批判をした当人
小泉純一郎は、自身小選挙区制の恩恵を授かった人物でもある)。
この一冊だけで日本の政治の病理を網羅しているわけでもないし、諸悪の根源を政治と構造に還元することも難しい。第一どのような制度だってそうは簡単には腐敗を防げるものではないのだ。しかし、この本の中で議論され、批判された内容はそのまま現代の2026年の政治的状況をフラットな視線で見るための補助線となりうる。そう言う意味で、とても良い本だった。
●マウリツィオ・カティーノ『世界犯罪組織研究 マフィア、暴力団、三合会の組織構造分析』(東京堂出版)
2021年6月20日初版刊行
※原著は2019年
コーザ・ノストラやンドランゲタ、ヤクザ(本文中では暴力団)、三合会からロシアン・マフィアまでの組織構造を、企業などを分析する組織論の観点で抽出し分析することを目的とした正規の学術書。海外にはこのようなアウトローや反社会組織をアカデミックに研究する系譜があるが、国内ではどちらかというと専門誌に寄稿しているジャーナリストが体を張って取材する(溝口敦や鈴木智彦など)といった書籍が目立つ。例外は猪野健二の『やくざと日本人』などの書籍か。歴史的事象から現代に至るまでを俯瞰している書籍はそう多くない。それでいいとも思わない。これがわたしの世間知らずゆえであることを願うばかりである。
マフィアを組織論で研究する文脈は、本著の序文を見る限りそれなりに深い歴史があるようである。著者はマフィアの組織構造を研究する際によくある偏見や誤りについて述べている。マフィアに公式組織の構造を当てはめたり、あるいはマフィアは犯罪ネットワークであり組織ではないなど言ったりするようなものがそれだ。
しかし、実際にはマフィアは極めて特殊な制約条件を科された秘密結社的組織であり、そのために採用活動や広報、組織内教育や会計の概念を適用し分析することが可能である。マフィアの採用活動だなんていうとライトノベルのタイトルみたいで少し可愛く見えるかもしれないが、本著は大真面目に人事の話をしている。経済学者や経営学者の先行研究がバンバン飛び出して、歴史性をもつ犯罪組織(※本著では例えば半グレなどの歴史性を持たない特殊詐欺グループや反社会組織を研究対象外としている)の独自の組織論理と、その特殊性ゆえのジレンマまで紹介する。
詳しくは図書館なりで手に取って読むしかない(普通に買うと22,000円する)のだが、つまむようにいうと、例えば採用活動における新入りをどのように評価し、信用を担保するのかということについてのつぶさな事例が書いてある。警察の潜入捜査を排除しつつ、腰抜けでもなく、組織のメガネにかなうような人材を血縁関係や組織構成員の他者評価から取ってくるか。そのために重要なのは実は国籍や人種、血縁関係であり、だからマフィアでは「ファミリー」という呼称に強い意味があるのだとか。
逆に血縁を優先してても、犯罪には高度で複雑なオペレーションが必要で、そのために組織内学習が必要だが、マニュアルやドキュメントを残すわけにはいかない、など。結構混み入った事情があるのだとわかると非常に面白かった。
アメリカのドラマで『THE WIRE /ザ・ワイヤー』というドラマがある。ボルティモアを舞台にした麻薬組織と地元警察の攻防を軸に描いた5シーズン完結の大河ドラマなのだが、その1st シーズンで麻薬組織がいかに上層部と麻薬売買部隊を管理し、それに対する警察がややこしい組織やチームワークの不和といった軋轢に巻き込まれながらどのように捜査し、組織を追い詰めるかというプロセスが群像劇の手法で丁寧に描かれている。その中で描かれた、麻薬組織内のコミュニケーション手段の制約やビジネスの展開、警察側がどうやって立件していくかの手口が上述の著作と重なることが多く、副読本としても役に立った。
『怪事警察 S.U.C.I.D』はこちらで読めます
https://kakuyomu.jp/works/16818093085917175274