小説をSNSで紹介するとき、「キャッチコピー」を付けています。
そして、公開前と公開後では、同じ話なのに少し違う言葉を選んでいます。
たとえば第14-4話。
公開前には、
理性の糸が手繰り寄せた、他者という名のもう一つの鏡
同じ理を生き、同じ過ちへと向かう歴史の渦
告白された分岐の前に立ち、新たな道を選び取れ
https://x.com/tadano_mofuneko/status/2095841489230364715?s=20
と書きました。
これは、できるだけネタバレを避けながら、「収斂進化」「文明の類似」「人類は同じ過ちを繰り返すのか」という話の大きな構造を伝えたかったからです。
これを公開後に読むと、少し違って見えるかもしれません。
そして、公開後はこう書きました。
水に抱かれ光で会話した、見知らぬ誰かの愛おしい日常
暴かれた過去のページをめくる手が、静かに震えて止まる
知性の獲得とは、他者の傷口をその身に宿す孤独
https://x.com/tadano_mofuneko/status/2096753860505382974?s=20
こちらは、ケフィリアンという「他者」を知ってしまった田村の感情に寄せています。
「同じ文明が、同じ過ちを犯した」という話を知識として理解するだけなら、まだ距離があります。
でも田村は、そこで立ち止まってしまった。
「人類は、まだ分岐すらしていないんじゃないか」と。
「絶滅の4時間前を歩いているだけなのかもしれない」と。
予告と公開後で言っていることは、似ています。
でも、見えているものが、少し違うと思いませんか?
公開前は「文明」の話。
公開後は「その文明を知ってしまった、一人の人間」の話。
私はこう考えることがあります。
SNSのキャッチコピーも、小説の一部ではないか、と。
だから、読んだ後にもう一度見返して、
「なるほど。あの言葉は、そういう意味だったのか」
と思っていただけたら、とても嬉しいです。
さて、14-4話を読んだ皆さんは、
公開前のキャッチコピーと、公開後のキャッチコピー、
どちらの方が、物語の本当の意味に近いと感じたでしょうか?
あるいは――
どちらも同じ話をしていたのに、見えている景色だけが違っていたでしょうか。