悪魔に睡眠はあまり必要ないが、たまにルイエスは人間の真似をして眠りに就くことがあった。その日、眠ったルイエスは不思議な夢を見た。
夢の中のルイエスは、よりによって黒髪ロングの少々生意気そうな少女になっていた。最近この姿でいることが多かったから、そのせいだろう。この姿には瑠衣という名前があったが、夢の中で誰かに名乗る訳でもないので、いちいち「私は」なんて取り繕うことはせず、ルイエスのままで散策することにした。
ところで、ルイエスはこれが夢の中ということを理解していた。もやがかかった白い空間だ、混乱していなければ誰でもすぐに思いつくだろう。この不可思議な空間で、俺に何をしろと言うんだ。
しばらくの間、あてもなく散策していた。とはいえ、道もなければ方向も分からない。白一色なので、歩いている実感も湧かなかった。退屈になったら夢から覚めればいい。ルイエスは思ったが、なぜか温もりが心地よく、今のところ夢から覚めたいと心から思うことはできそうになかった。
何分歩いたのか、そこにタンスが現れた。徐々に近づいたというよりは、気づいたら急にそこにあったような感覚だった。タンスを見つけたルイエスは、その上に一体のテディベアが置かれているのが目に入った。
テディベアはタンスに短い足を伸ばして座っていて、服を着ていないシンプルな作りだ。大きさは座高四十センチくらい。かなりボロボロで、年季が入っているように思えた。使い込まれてはいるが、大切にもされている様子で、きちんとしたテディベアらしい姿勢を保っていた。
ルイエスにはそれが最初、ただのテディベアに見えた。しかし、見れば見る程にこちらに何かを訴えるような、強い感情のようなものを感じた。なので、気がつくとルイエスは無意識にそのテディベアへ話しかけていた。
「なんだ、お前は?」
と、声が漏れてから自分がぬいぐるみに話しかけたことを恥じた。そして恥じてから、夢の中で誰に恥じることがあるか、と開き直った。が、不意に声が聞こえたので、ルイエスは驚いて辺りを見渡した。
――てすてす、あー、あー。オイラは今、君にテレパシーを送っている。聞こえますかー?
「誰だ? どこにいる?」
――え、聞こえてる? 嘘? 本当かい?
ルイエスは一つの可能性に行き当たり、テディベアを睨んだ。まさか、こいつが話しかけてるんじゃないだろうな。すると、動けないテディベアはテレパシーで反応を示した。
――そんなに睨まないでくれよ。怖いから。
「やはり、このぬいぐるみか」
――受け入れるの早いね。オイラはまだ、オイラの声が君へ聞こえてることに混乱しているよ。
そうは言うが、ルイエスから見てテディベアの表情は変わっていない。そこから不安も緊張も見て取れない。ルイエスは相手のペースに飲まれるのがとても嫌いなので、あくまでも平常心を装った。
「俺がそう簡単に驚く訳がないだろう」
――君はリコちゃんの友達かな? 見たところ同じくらいの年齢だけど。でも、リコちゃんの話に君のような人は出てきてないかもしれないな。
「リコちゃん? なんのことだ?」
――いや、知らないならいいんだ。ちなみにリコちゃんは、オイラの好きな人なんだよ。
「はっ、ぬいぐるみが一丁前に恋をしているのか」
ルイエスは、相手がやけに落ち着いているので癪に障っていた。馬鹿にしようとか、出し抜こうとは考えておらず、ただ相手に遅れを取らないようにと必死だった。ルイエスは必死な時に、言葉が尖った。
――うん、そうだよね。でも、好きなもんは好きなんだよ。
テディベアが一瞬、傷ついたように見えて、ルイエスは躊躇した。それは気のせいだと自分に言い聞かせたが、随分と感情が豊かなぬいぐるみだと、少し感心してもいた。
「……まぁ、いい。それで、ぬいぐるみが俺を夢の中に招待したのか? どういうことだ?」
――オイラには分からないよ。あと、オイラ名前あるんだ。くまきち、って呼んでくれると嬉しいな。
「名前も感情もあるとはな。なんて贅沢なぬいぐるみだ」
――そうかな、へへ、ありがとう。
「皮肉だ、これは」
絡みづらいと思いつつ、しかし、ルイエスはくまきちに素直さを感じてもいた。カヴエルと話していると手のひらで転がされている気分を感じる時もあったが、くまきちと話していると自分が優位に立てている気がして悪くはなかった。
「で、どうすれば夢から覚める?」
――念じればいいんじゃないかな。オイラも念じたら、なんか君と話せたし。
「それは恐らく、俺が話しかけたからというのもあるだろう。お互いが望むと、たまにそういうことが起こる」
――君は長く生きてるみたいな言い方をするんだね。落ち着きもあるし、オイラが思ってるより年上なのかな?
「……それはこの姿が年増に見える、ということか?」
――いやいや、違うよ! むしろ姿が若いから、喋り方が大人びて聞こえるんだよ。
「ふん、お前は年季が入ってる割に幼いがな」
――ありがとう。嬉しいよ。
「悪口だ、これは」
――君の名前は?
途中からルイエスはぬいぐるみと遊ぶ幼児を想像して、一人なのに周りからそう見られてやしないかと急に不安になった。夢にしたって、ガキが見るような夢じゃないか。全く、何が目的なんだ。
「俺はルイエス。悪魔だ」
――あー、なるほど。いい名前だね。
くまきちが遠慮がちに対応したので、ルイエスはむきになって言い返した。
「本当の名だし、本当に悪魔だっ! 馬鹿にするな!」
――オイラ、まだ馬鹿にしてないよ。
「これからもするな! こてんぱんにされたいか?」
ルイエスは腕をまくるような仕草をした。もはやぬいぐるみというのを忘れて、一発ぶん殴ってやろうという魂胆だった。が、そんなルイエスのことは気にも留めず、くまきちは話を進めた。
――じゃあオイラたち、これで友達だね。
「は? 友達?」
焦るな。ぬいぐるみ如きにむきになるな、と自分を落ち着かせていたルイエスは、唐突なくまきちの言葉に戸惑う。
「友達だと?」
――うん。自己紹介し合ったら、もう友達でしょ。それに君は、悪い人じゃなさそうだしね。
悪魔に友達なんていらん。ルイエスは断りかけて、口を噤んだ。最近、高校生として過ごしていたせいで、カーストのようなものを意識していた。そして、自分より青春に適応できそうなくまきちに対して、負けん気が働いた。
「友達。いいだろう。友達」
友達、という言葉になぜか安らぎを感じて、ルイエスは気持ちよくなりそうな自分を無理やり制した。
我に返った時、同時にルイエスの目も覚めていた。
ルイエスは最後に一度だけ「……友達」と呟くと、やたら恥ずかしくなった。その為、勢いよく立ち上がって切り替えることで、夢ごと忘れようと努めた。悪魔に睡眠はあまり必要ないのだが、しかしルイエスはまるで快眠から目覚めた時のように清々しい表情をしていた。