夜の王城中庭。
そこは相変わらず薄い霧に包まれていた。
その中で、そっと剣を抜き放つ。
ゴウルさんから受け取ったばかりの新武器――<蜥鋭剣>。
純黒に沈んだ刀身。
月の光すら吸い込むように鈍く輝いている。
……さあ、やろう。
今夜ここへ出てきた目的は二つ。
一つは、この蜥鋭剣の斬れ味を試すこと。
もう一つは、さっき習得したばかりの<回避転>――ローリング回避の無敵判定を、実戦の中で確認することだ。
あまり危険すぎる場所は避けたい。
なので僕は、あえて王城内側の安全域寄りで待ち構えることにした。
すると、地面に落ちた影がぬるりと歪む。
影犬が二体。
それから少し遅れて、槍を持ったカゲビトが一体。
よし。いつもの相手だ。
これなら気軽に回避転の無敵判定を試せる。
「グルルルルッ!」
一体目の影犬が、姿勢を低くして飛びかかってきた。
僕はその突進に合わせ、前へと身を投げ出すように前転する。
――<回避転>。
その瞬間だった。
ふわり、と。
無重力でも得たかのような奇妙な浮遊感が体を包む。
影犬の体当たりが、確かに僕へとぶつかった。
なのに、当たっていない。
抜けた。
まるで僕の体の方が、薄い幻にでもなってしまったかのように。
「……ヨシッ、かわせてる!」
思わず小声が漏れる。
すぐに二体目の影犬が追撃してくる。
僕は着地と同時に、もう一度転がった。
爪が、鼻先をかすめていく。
いや、かすめたように見えただけだ。実際には触れてすらいない。
そこへ今度は、カゲビトの斬り下ろし。
槍が月光を反射して閃く。
僕は横へと転がり、その一撃を抜けた。
……すげぇっ、マジで無敵判定だ!
特殊武芸の良いところ。
それは、武技と違って会得の必要がないことだ。
パリィと同様、条件を満たせばいつでも誰でも発動できる。
これまでの<瞬走斬>の時のように、何度もデスしながら剣を振るう必要もない。
コツを覚えて実戦に挑む。
それだけで効果を実感できるなんて……。
素晴らしきお得感だ。
──ただし。
そんな条件でも。
問題というのは発生するものだ。
「はぁっ、はぁっ……」
四度、五度と連続で転がり、気付く。
コレ……体力消費が激しすぎる!
そりゃそうだ。
言ってしまえば、コレはマット体操だ。
激しめの運動なんだもの。
すでに息が上がっているのは言うまでもない。
加えて膝が重い。
腹筋も悲鳴を上げている。
調子に乗ってやりまくったら動けなくなる!
頭では爽快アクションゲームのように無限に軽やかなローリング回避ができる様子を想像していたけれど、現実はそんなに上手くはいかない。
どっちかっていうと。
あの某モンスターをハンターするゲームみたいに。
回避のたびに体力ゲージが失われていく感覚に近い。
しかも。
その体力が失われるたび。
筋肉や関節に疲労感が蓄積されていく仕様ときた。
現実って厳し過ぎる!
そんな荒くなった僕の呼吸の隙を突くように、三体の異形が一気に距離を詰めてきた。
* * *
一匹目の影犬が真正面から突っ込んでくる。
僕の息は上がっている。
けれど、もう慣れたものだ。
タイミングは体が覚えている。
僕は下段に構えた。
……今なら――合う!
飛び込んでくる影犬の喉元へと、下から上へ切り上げる。
――<昇流斬>モドキ。
蜥鋭剣の刃は、驚くほど軽く影犬の体を裂いた。
スパッ、と。
まるで最初からそこに切れ目でも入っていたかのような、あっけない手応え。
影犬の体が真っ二つになって霧散する。
……おお!
やっぱりこれまでの鉄剣とは別物だ。
これで<昇流斬>モドキで仕留めた敵の数は……何体だろう?
もうそろそろ武技として会得できそうなんだけどなぁ……。
だが、悠長に思い返している暇はない。
二匹目の影犬が大きく口を開けて飛びかかってくる。
そのすぐ背後にはカゲビト。
二体同時に相手どらなければならなそうだ。
さすがに、会得していない昇流斬で挑むのは慢心というヤツだろう。
「試すか」
影犬の噛みつき。
そのタイミングに合わせて。
僕は蜥鋭剣をその場に置くように振る。
直後、青白い輝き。
――パリィ成功。
ガラスの砕けるような音と共に。
影犬の体が、まるで蹴られた小石のように吹き飛んだ。
そしてそのまま背後のカゲビトへと激突。
影犬もカゲビトも。
その体勢を崩し、大きくよろめく。
チャンスだ。
僕は石畳を蹴った。
――<瞬走斬>。
大きく踏み込み。
そして蜥鋭剣を横なぎにする。
すると。
驚くほど軽い抵抗。
いや、抵抗と呼ぶのも変だ。
蜥鋭剣は、影犬とカゲビトの胴をまとめて裂き、そのまま通り抜けていた。
「……おおっ!?」
僕は思わず振り返る。
二体の体が、時間差でぐらりと揺れ、塵へと崩れた。
同時に……斬れた?
まるで豆腐を斬っているかのような軽さだ。
斬れ過ぎるな、この剣。
思わず喉が鳴る。
この斬れ味なら……。
パリィに頼らぬ正攻法でも影蜥蜴を倒せる。
そんな確信があった。
僕は蜥鋭剣を握り直すと、そのまま王城の水堀へ向かって走り出した。
* * *
中庭を抜け、外壁方面へ向かう途中。
ふと、足が止まった。
……暗い。
いや、夜だから暗いのは当たり前なんだけど。
それにしたって、いつもより暗すぎる。
僕は空を見上げた。
月が、暗い?
霧のせいじゃない……。
そこにあったのは、地面から立ち昇る黒く濃い煙のようなものだった。
帯のように夜空へ伸びて、月の光を遮っている。
「……なんだ、あれ」
胸の奥がざわついた。
嫌な感じだ。
理屈じゃなく、皮膚がそう告げてくる。
その直後だった。
──カァン、カァン、カァンッ!
王都外壁の方角から、緊急事態を知らせる鐘が鳴り響いた。
次いで、ズンッ――と。
腹の底に響く巨大な衝撃音。
中庭の石畳がわずかに震える。
どこかで鳥が飛び立ち、城内の灯りが揺れた。
……地震っ? いや、違う……!
揺れがあるわけではない。
今のはどちらかといえば単発の震動だ。
「何が……何が起きたっ?」
まったくもってわからない。
だけど。
何かかなりマズいことが起きている、それだけはわかる気がした。
まず、あの鐘の音はなんだったのか。
その情報が知りたい。
「戻らないと――!」
僕は踵を返す。
今しがた僕が中庭に出るために使った王城の裏手へと走った。
ラング教官あたりが様子を見に来てくれているかもしれない。
だが。
──グニャリ。
その行く手を阻むように。
僕の手前で影が大きく膨れ上がった。
そこから現れたのは、これまで見たことのないほど濃い影の異形たち。
一体は狼。
だが影犬よりも遥かに大きく、その目は冷たく濁っている。
体の低さ、しなやかな四肢、月光を拒むような黒い毛並み。
一目で、格が違うとわかった。
そして、もう一体。
牛の頭。
筋骨隆々の巨体。
握っているのは、人間一人をまとめて薙ぎ払えそうな巨大な斧。
まるでミノタウロスのような姿の異形が仁王立ちしている。
……なんだっ? どうなってる……!?
あまりにも強そうだ。
影の門から離れてるここは、弱い個体しか出ないはずなのに!
僕は思わず一歩下がった。
理解が追いつかない。
だが、その瞬間。
ある推測が脳裏に刺さる。
「まさか……」
思わず、外壁の方角を見た。
その一瞬を、牛頭の異形は見逃さなかった。
巨体に見合わぬ、あまりにも速い踏み込み。
僕がそれに気づいたときにはもう遅い。
「なっ――!?」
斧が水平に振り抜かれる。
風が鳴る。
視界が回る。
痛みより先に、首が落ちる感覚だけがやってきた。
……見た目通り、やっぱり、強いのか――。
まあ、いいや。
これで城の中には戻れるし。
僕の世界はそこで、暗転した。
* * *
目を開けた。
冷たい石の床。
いつも通り。
僕は儀式場の魔法陣の上にいた。
肺に空気が流れ込み、現実へ引き戻される。
──今夜初のリトライだ。
僕は跳ね起きた。
いつものように悠長にしているわけにはいかない。
まずは、ラング教官に話を聞きに行かなくては──。
「──アキラ殿!」
だが、僕が駆けつける前に。
儀式場に走り込んできたのは、ラング教官の方だった。
いつも以上に入念な装備を身につけている。
「やはり、アキラ殿であればショートカットと称してここに飛んでくると思いましたぞ!」
「いや、まあ……普通に不意を突かれてやられちゃったんですけどね。ミノタウロスみたいな影の異形に」
「ミノタウロス?」
「牛の頭に筋肉ムキムキの体をした異形です」
ラング教官の目が見開かれた。
「それは影牛……! 影の門の力が強まっているときに現れる異形です。ということは、やはり……」
「影将クラウヴァルト、ですか」
僕の問いに、ラング教官は一瞬だけ息を呑むと、それから重々しく頷いた。
「ええ。私もそうだと考えております。アキラ殿はどうして?」
「その影牛にやられる直前に気づいたんです。衝撃音のした方角……その王都の外には、ヤツがいたことを」
「その通りですな。私も、あの警鐘が鳴らされる事態など、影将クラウヴァルトが動き始めたこと以外に思い当たりませぬ。ヤツがとうとう影の門の力を最大限に引き出して、王都への侵攻を始めたのでしょう」
「……でも、なんでこんな突然っ?」
「わかりません。影将の行動には不明な点が多い。今でなければ外壁が壊せなかったのか、あるいは偶々今だったのか……ですが、それを考えているヒマはありませぬ。一刻も早く王都民たちを避難させなければ」
その言葉に、僕はようやくラング教官の格好をちゃんと見た。
今夜の装備は、いつもの訓練用とは違う。
本気で戦うつもりの兵士の姿だった。
「まさか、ラング教官も前線に出るんですか……!?」
「もちろんです。私とて、兵士の片割れ。王都民の逃げる時間を稼ぐために戦わなければ」
迷いはない。
ラング教官の顔は、いつもの穏やかなモノじゃなかった。
戦う者の顔だった。
「……当然、僕も行きます」
「ありがとうございます。今のアキラ殿は、以前とは比べ物にならぬほどご成長されましたからな。安心して背中をお預けできます」
僕たちは視線を交わし、同時に走り出した。
儀式場を飛び出す足音が、石壁に響く。
* * *
回廊を走りながら、王城内で響く混乱の声、鐘、影の異形の遠吠え、城外で兵士たちが戦う音が重なってくる。
不思議と、僕は思ったより落ち着いていた。
たぶんそれには理由がある。
──<影将クラウヴァルトとの戦いからは絶対に逃れられない>
そんな確信めいたものを抱いていたからだろう。
……だけど、倒すのは今じゃない。
まずは王城の外に住む人たちを、安全圏へと逃がすことだけを考えよう。
今夜は攻略戦じゃない。
救出のための戦いだ。
僕は、蜥鋭剣を握る手に力を込めた。
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次回16話「王都民救出戦」は明日公開です。
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