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AIというか君も書けてないでしょ

…という新しい観点から見るのはどうだろうか。エンジニアや学者はopenAIの登場ににかなりびっくりしただろうが、それ以外の分野のひとは一目見たときからこうなることは予想していただろう。ほとんど人間の品質と変らないというか作業の中身がまったく同じだからだ。いわゆるほどほど。読み捨て、閲覧され、使用されるもの。そこに人間としての何かより機械的な気持ちいいを現代人は愛してきた。いわば公共の売春である。私はこれは主に男性には、そう癖があるというか、ある種のタフへの強い気持ち&強い思いがあるのだと思う。しかしこうも公共で堂々脱がれたことにはアフタートークは必要だろう。これには人間とは、文章とは、みたいな雲を掴むような議論が好まれるようだが、これはインターネッツが出てきたときの雑誌と一緒である。勝てない、と思うようだ。たしかに娯楽の多様化によりいっときはかなり落ち込むだろう。しかし雑誌とは、年中どのページもおもしろいわけではなかったはずだ。実際インターネッツ以後も総合雑誌やコンセプトのある雑誌の創刊は続いた。日本人はやらなかった。ブログやソーシャルが全盛になったからだ。日本人はずっとSocialでネッツを使うことをしてきた。お買い物からネッツへの移行。実際起きたことは品質の低下や仕入れの鈍化である。ひとはセレクトショップにて買い物するにあらず。パルコやマルイはいくら客入りが良くても冷やかしばかりでは干上がってしまう。普通のデパート、そごうや西武、東武のようなものは死守しなければ首都圏はアウトレットやモールというわけにもいかない。いまのようにニトリと無印では、まるで全館サナトリウムである。

そうそう、なんだったんだろう、みたいなアフタートークよね

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