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ふたたび創作世界に没入することについて

作ることと読むことは違う。
もっと言うと商業と趣味は違って、商業はいまなら鏡であること、小難しい言葉にするとユンギアン的サイコロジーの世界の提示を求められる。
それはたしかに心踊る。別の世界だからだ。

しかし大人になると違うのではないか。 せいぜい良く書けてると面白がれるか否かで趣味の世界はまた違うコミュニティになる。かつてオタクと言われず、マニアとかなんとかファンと言われたもの。
わくわくするような、永遠の夏休みのような⋯ゼルダの伝説みたいなもの。

まあわかるような、わからないような、そんなときが自分にもあったような…

いや、なかったのだと思う。
私にとって作られた世界は常に二次的なものだったし、日常にあえて補完するものだった。
贅沢かと言われると困る。
文庫五百円、青空文庫の1ページ、投稿サイト
いずれも日用品である。安い早い美味いの文学
でも最近安い外食は千円超えるし、それなら個人店でうまいもんが食いたい。
そうなると出会いとか偶然に左右される。私なら貰った本とか古本かな
出会いとか偶然がない場合、即売会に行く(笑)

あれはまさに婚活だと思います。

じゃあ作り手は違うのか

というとそんなことない。たいてい子どもの頃のサムシングに向かって業界を手玉に取ってわんさかやる。

でもそれは逃げじゃないか、いやいまは逃げだ逃げこそが

そうして業界と一体になります。

アイドルですね

まあ世間とか社会に戻らない

それが最も良心ある行いですね

これが社会に目覚めて、ゲーム作ってんのに繋がり大事とか

無茶言うな!

と言われるなら本物、歓待受けたらニセモンでしょうか

私には繋がり大事という人が言う人間らしいとか感覚って、なんか日常でなく非日常なんです。それだって真っ赤な嘘に過ぎない。

とうとう時が来てしまった

近代の毒親(笑)

一生懸命なんだけれども、どこか薄っぺらい

逃げろや逃げろというより、誰よりも速く駆け抜ける

夜に駆けるってかそれじゃただの若年性痴呆徘徊なので(あっ)

そう、あれは永遠のドリームタイム

Radical Innocence 🏝️

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