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いくひ誌。【1161~1170】

※日々時代の分け目を生きている。


1161:【ペンギンハイウェイ】
森見登美彦さんの小説「ペンギン・ハイウェイ」が映画化されるらしい。2018年8月だって。あと5か月。原作のおもしろさは言うに及ばず、映画の予告編のワクワク感がハンパない。すでに10回以上観返している。1分ちょっとなので、10回観ても10分だ。大ヒットする未来しか見えない。楽しみである。


1162:【違和感】
共感、共感って。さいきん、なんかこわい。共感できないことを理解しようとする姿勢のほうがだいじじゃない? 物語において、共感や賛同はそれほど重視する要素ではないような気がする。このひと(キャラ)を理解したい。そう思ってもらえるように工夫してかなきゃじゃないの? わかんないけど。


1163:【こめでぃ】
おもしろくなりたーい、いくひしです。あのですね、いくひし、おもしろいこと言えない病にかかってけっこう経つんですよ。産まれてから数年はニコってしただけで目のまえの人間どもをほくほくにさせることにかけては定評のあったいくひしさんなんですけれども、物心ついたころにはもうね、ひとこと何か言うだけで場がしらける。四歳くらいだったかなぁ。いくひし、物心つくのがわりかし早かった。あ、死んだら誰にも会えないじゃん。そう思ってこわくて泣いたでしょ。物心ってなにかがよくわかってないけど、たぶんあれが物心だった。そうそう、寄り目をすると景色が歪んで見えるじゃん? じゃあ世界のほうも、こう、二つに分かれちゃってんのかなぁって思って、写真に写るときにはいくひし寄り目してた。でも写真はちゃんとピントあってる。ひとりだけ変な顔で寄り目してるいくひしがいるわけ。もうね、そのときに気づいたよね。あ、いくひしの見てる世界と、ここにある世界そのものは別物なんだなって。それもだいたい四歳くらい。きっとそれも物心だった。で、そんときくらいから、いくひし、しゃべると場がしらける。おもしろいこと言えない病にかかった記念すべき時期。でもコメディは好きだった。ホームアローンとか何回も観てお腹抱えて笑ってた。あ、わるい人でも憎めなくていいんだって、いくひしの記憶に刻まれた記念すべき映画。もうなんか、この時点で、おもしろくないよね。おもしろいこと言いたいんだけど、おもしろいこと言えないんだもん。ていうかさ、おもしろい話って、九割くらい、しゃべるひとのしゃべり方じゃない? 話自体がおもしろいってなかなかなくない? もしあったらそれだけで食べてけたりするよね? 食べてけてないいくひしさんはじゃあ、おもしろい話できなくてあたりまえじゃない? しょうがないじゃんね。でも悔しいからおもしろい話がんばってしてみる。なんだろ。このあいだね、久しぶりにデパート行ったの。待ち合わせ場所としても有名で、家族連れとか恋人どうしとかがそこそこごった返してて。建物が全面ガラス張りで、ガラスっていうか鏡かな。待ち合わせしてる大学生とか、男女関係なく鏡で身だしなみ整えてたり、奥さんの買い物が終わるのを待ってるのかな、子供を抱っこしたお兄さんとかを見かけるわけ。赤ちゃん好きだからさ、いくひし、鏡越しに変な顔して、赤ちゃんを笑わせに走るわけですよ。走るよね? やんない? ちょくせつ変な顔してみせてもいいんだけど、すこし間違えたらいくひし迷子の子猫ちゃんでもないのにおまわりさんのお世話になっちゃいそうだから、鏡越しくらいがベターかなって。で、べつにいくひしが誰かを待ってたわけじゃないんだけど、そうやって赤ちゃんと鏡越しのにらめっこをして立っての。したらさ。赤ちゃんだって鏡が気になるみたいでさ。だってそうだよね、目のまえにへんちくりんないくひしがいて、さらに横にも同じようなやつが見えるんだもん。赤ちゃん、鏡をべたべた触るわ、触るわ。ただでさえヨダレまみれの手ですからね、赤ちゃんの手形がもうべちょべちょ。鏡掃除するひとたいへんだろうなぁ、って思いながらいくひし変顔つづけてたら、赤ちゃん抱っこしてたお兄さんとばっちり目があって、気まずかったなって話。うん。しらけるのやめよ? で、気まずくていくひし、場所移動したのね。あ、話つづきます、ごめんよ付いてきておくれ。入口からすこし離れた場所にも鏡があって、なんでかそこはひと気がなくて、んー、となりの建物とのあいだに空間が開いてるからかな? 奥のほうに祠みたいのがひっそり見えるわけ。鉄格子と鎖で入れないように施錠されてたりして、珍しいなぁ、由緒正しい歴史があるのかなぁ、なんて考えごとしながら、何気なく。ほんと何気なく、鏡見たら、赤ちゃんの手形が付いてるの。ヨダレなのかな、筆でなぞるみたいに、下から上まで、どちらかと言えば、上から下かもしれないけど、赤ちゃんの手形が一つだけ、ずーっと、ずーっと上の方までつづいてるの。ほとんど見えないんだけど、最後のほうは、よこにずれて、裏路地の、祠のほうにはみ出てた。そういえば、っていくひし周りを見渡した。デパートの入口にいる赤ちゃん、みんな笑ってる。ご機嫌。ぜったい泣かない。本当にたのしそうに笑ってて、何か目が離せないものでもあるのかなぁって、話。どう? おもしろい? つまんない? 笑えなかった? やっぱりー? いくひしもそうかなって思ってた。おもしろくなりたーい。おもしろいひとって、ステキですよね。おやすみー。


1164:【反省】
文芸とは関係のない話題ですが。いくひしは思ったのだ。批判されるだけ大したもんだなぁって。何もしなければ批判すらもらえない。何もしてないじゃん、っていう正論しかもらえない。どんなことでも、まずは挑戦してみたり、改善してみたり、何かを育もうと、一歩を踏みだしているだけで、見習うべき規範となり得る。学ぶべき姿勢がそこにはある。その空間に足を運んでみて、じぶんの目で、肌で感じることはだいじだなって、月並みだけどそう思いましたとさ。参加したいか、したくないかで言えば、やっぱりしたくないけれど。つぎの世代を育てようという意気込みは伝わったので、すこしだけ見直しました。好きにすればいいんじゃない、というスタンスから、応援してみてもいいかな、という感覚になったので、体験の影響力はあなどれないぞ、と認識を新たにしたのでした。


1165:【いじん】
いじーん、いくひしですか? いくひしです! はい。偉人って、すごいですよね。むかしはけっこういくひし、偉人って聞いても、へー、で済ましてたぽんぽこりんでした。だからなに?って思うまでもなく、へー、以外の感情が湧かなかった。だって何がすごいのか分かんなくない? 電気発見したからなに? 地球が丸かったらなんなの? べつに人間が気づこうが気づかなかろうが、関係なくない? その人たちが発見しなかったらいまの文明はないんだよって、そりゃそうだけど、だったらこの世に原子がなければ宇宙は存在しないし、場がなければ質量も生じない。「いま」を基準にしたらどんなものだって、過去の事象に支えられている。「いま」からすればどんなできごとだって過去にすぎないし、「いま」があるなら、それはもう、あってもなくても変わらない、用済みの判のおされたニンジンの皮だ。今からカレーを食べようとしてるのに、ニンジンの皮をこれみよがしに見せつけられて、これがなかったらあんたカレー食べらんないんだからね、って言われても、そだねー、で終われる話でしょ? でもそこで、ちょいと「未来」を支点に話を進めてみますれば、カレーパンつくりたいんですけどーってなったら、ニンジンの皮の剥き方を知っておかないとちょっと困ったことになる。ニンジンを入れないカレーをつくればいいんじゃないって思うかもだけど、それでニンジンにさよならの判をおしてみますれば、ミックスキャロットが飲めなくなるって寸法さ。定規で測ったら2ミリくらい。はい。で、なにが言いたかったんだっけ? 思いだせないんだけど、とにかく、偉人って聞いてもへーってしか思わなかった。でもね、いくひしさん、偉人がすごいなって分かるようになってきた。ぼんやりなんだけど、そっかー、おっさん、あんたのお陰でいまのいくひしたちがあるんだね、助かったよ、って思えるようになってきた。まさか何十年、何百年、否、何千年後に、いくひしに感謝されるようになるとは、さすがの偉人さまにも分かるめぇ。でも、同時に、偉人たちがいなけりゃ、いまのいくひしたちがいないんだよってのは、べつに何か未来に語り継がれるような何かを成し遂げた人たちだけじゃなくって、もっと素朴に日々をすごしていたり、或いはほかの人たちを虐げたり、虐げられていたりしていた人たちがいたお陰でもあるんだよね。いくひしにとっちゃ、過去に生きてきたみんながみんな偉人だよ。やつらみんないくひしを生かすために生きていたようなもん。ありがてぇ。同時に、それって過去だけじゃないよね。「いま」を生きてるいくひし以外のみなみなさまにも言えることであって、ホント、きみたちのお陰でいくひし生きてられる、のほほん、みゅんみゅんって息してられる。うんと感謝してるよ。言うだけならタダなので、いくらでも言っておく。さんきゅ! の一言でもろもろの怠慢の精算よろしく。でもでも、よくよく考えてみたら、いくひしがそうなように、このいくひしさんもまた未来のいくひしみてぇな図太てぇ、ふてぇ野郎の生活を、その「生」を支えているのやも?って考えたら、なまら胸糞わりくなってきた。はぁ~? なしていくひしさんがどこのお馬さんの骨とも知らぬ、のほほん、みゅんみゅん、のために「いま」を生きなきゃならんのじゃ。そいつがたとえ偉人でもゆるさんね。やだよ。いくひしはいくひしのために生きてんの。感謝するのはかってだけど、かってにいくひしをおみゃーの人生の肥やしにすんじゃねぇ。野次を飛ばしたら、「未来」のほうからおまえが言うなの罵詈雑言、「過去」のほうからも、おまえはべつに偉人じゃねぇ、の総指弾、フリーザさまの指先からの超絶ビームみたいなツッコミ受けて、いくひしの身体は穴だらけ。昼間に飲んだミックスキャロットが漏れだして、人間なのにニンジン噴きだし機みたいになっちゃった。せっかくの美人がダイナシだ。なんてアホなこと言ってるうちに、ミシンで縫って穴ふさぐ。奇人で名高いいくひしさんの威信にかけて、偉人の仲間入りを果たしたい。いくひしも、いつか、未来のあなたの「生」に繋がるじぶんの「生」を生きたいな。ニンジン噴きだし機で終わらずに、人間として生きましょう、そのためにもきちんと人生を見詰めます。思いながら、言うだけならタダだしな。これにて、がんばりましたの判をおされたい、にんげんになりたいと思うだけで何もしない、いつもの気ままな、いくひしまんでした。おやすみー。


1166:「無知の無」
基本的にいくひし、しったかぶりっこなのですが、歴史や地理に関してはもう壊滅的にわけわからん。エクアドルってどこだっけ? ガーナってペルーあるとこ? ヨーロッパってアジアと繋がってんの、え、ほんとにー? みたいなレベル。日本の県名もぜんぶは言えないし、どこに何県があるのか、ほとんど分からん。県庁所在地なんて言えるわけがない。福井県? 九州だっけ?みたいなね。ちゃんと間違ってるよね? 外したつもりで合ってたら恥ずいんだけど。新潟の近くでしょ? 知ってるよー。歴史はね、日本史も世界史も、みなさんびっくりすると思う。まずね、平成、昭和、大正、つぎはえっと、江戸時代? みたいなね。明治どこいったって、いまネットで調べてセルフつっこみ入れましたけど、そんなんだし、世界大戦って二回あったらしいじゃないですか、なんで起こったの?ってのも、まったく知らん。なんで起きたの? 原爆って第二次世界大戦だよね? じゃあ第一次はどうやって終戦したの? っていうか、そんとき日本って参戦してた? どうなった? まったく分からん。でもね、さすがにね、さすがにちょっとまずいなーって思ってきたから、ことしは歴史と地理の年にしようかと思って。今さっき閃いたわけですよ。いくひし、具体的なことや、細かいところから入ってくよりも、まずは全体像、いっちゃん大きなフレームを設定して、把握していったほうが覚えやすい。箱の中にオモチャをしまっていくみたいにして理解を深めていくので、まずは大きな箱を用意したい。で、可能なら、まずは生命誕生したときから、現代までの流れをざっと知っておきたいなーって思って、何かいい本ないかなーって探してるところ。あんまし分厚いといくひし、投げだしちゃうから、小学生でも読めるやつがいい。何が言いたいのかって? いくひしはあんぽんたんで、いい本探してますよーってご報告なのでした。


1167:【アンナチュラル8話】
ドラマ「アンナチュラル」がおもしろいって、ライター「アオヤギミホコ」さんのツイッターで知ったので、8話を観た。泣いた。いくひし、誰かが死ぬ系でもふつうに泣いちゃうけど、じぶんで物語を編むときは、安易にそういうエピソードで泣かせに走りたくない。アンナチュラルはその設定上、人の「死」を扱わざるを得ないんですけど、人は死んで当然っていう自然の摂理をまず前提において、目を逸らさずに、そこからもういちど、人間とは、というところを描きだそうとしているところがステキです。で、8話ですけど、もう最初から人間が死んでる。十体くらい遺体が転がってるわけですよ、のっけから。人の死が軽い。人は死んで当然ってところがまずあるわけですから、人が死んでてなんぼのドラマなんですよ。人が死んでても、そだねー、で終わる。じゃあどうやって感動するのって話なんですよね。いくひし、人の善意で感動できる物語が好きです。善意って、なにか善いことをしよう、っていう感情とはまた別物だと、個人的には思ってます。つい身体が動いてしまう。理屈じゃない。そうせざるを得なかった。その行動原理の底には、何か歪んだ過去や、欲望があってもいい。でも、何かを守ろうと考えるでもなく、動いてしまった。そういう、感情とも理屈ともかけはなれた、その人にしかできなかったことが、物語を通して伝わってくると、いくひし、胸を打たれて目から涙がこぼれてしまう。人間、捨てたもんじゃない、ってなる。哀しくて泣くのではない。うれしいのとも違う。気持ちを揺さぶられる。9番のお父さん、すごくよかったです。


1168:【二つの意味で、やぶれてる】
わしゃぁ、若いころはそりゃあ何かを成し遂げようと肩ひじ張っておったがね、この歳にもなると、ただつづけるだけでせいいっぱいになってきよる。なかなか成長もせんじゃろう、何か楽しみを、分かりやすい成果がほしくなってきてな。何がいいかと考え閃くのはいつも、新しい刺激がほしいという欲望じゃ。天才が見たい。かつて夢見た、じぶんの理想を軽々越えていくそんな若手が見たいんじゃ。肥やしになりとうてなぁ。いまはまだ凡人のいずれ天才と呼ばれるようになるおまえや、おまえの子供、それともその友人、その子供たちの、芽吹く土壌に紛れたい。開花するきっかけになりたいなどと身の程知らずな願望ではない。ただただ、養分としてそこにありたい。つづける理由とはまたべつじゃがな、飽きてきたらそう考えて、養分らしく腐っていこうとおのれを慰めるのよ。楽しみがあれば生きていける。生きているかぎり楽しみたい。老い、腐り、衰え、ただ死にいくだけの人生だとて、それそのものですら楽しめる。人とはなんと絢爛か。


1169:【変えていくしかない】
マンガ違法サイトについては、国が動くしか規制のしようがない(すでに政治家へはかけあっているだろう)。国家間で著作権が一律に保障されないことをまずなんとかしなければならない。コンテンツデータだけではなく、これからはますますデータの不正利用の問題が(個人情報を含め)目立ってくるだろう。そもそもを言えば、人は情報にお金を払ってきたわけではない。情報を提供するサービス、流通に対価を支払っていたのであって、情報そのものではないのだ。現代ではすでに多くの者がメディア端末を購入している(ネット通信料だって払っているだろう)。その時点で精算済み、と需要者たちに判断をされても、否定するのはむつかしい。ネット内に溢れる情報は増えることはあっても、減ることはない(サーバが消失しないかぎり)。情報に正も負もない。或いは、正や負、善悪そのものが情報だと呼べる。情報の価値はこれからますます下がっていくだろう。情報と情報を結びつけ、体系化する――これからの時代は、情報に付加価値をつけることでしか、対価をもらいうける術はなくなっていく(本質的には出版やTVなど、情報発信事業もまた同様である。情報を体系化し、加工して需要者に届けることを生業としてきたわけであるが、これからはその加工の仕方や供給の仕方そのものが、常に変化しつづけることになる。コンテンツだけでなくそれを扱うツールそのものが即座に情報化し、新たなシステムとして体系化される。例としてはYOUTUBERが挙げられる。ひと口にYOUTUBERと言っても、それだけで膨大な情報に分類できる。動画の編集の仕方から、インフルエンサーとしての事業拡大と、需要のある情報は様々だ。そしてまた、そうした情報が氾濫すれば、YOUTUBERそのものが飽和状態になり、新たな情報形態を生みだす土壌となっていく。情報と情報を繋ぎ、加工して、潜在的需要者へピンポイントで提供する、そのサイクルそのものが一つの情報として機能する。時代は加速している。技術が発展しているわけではない。みなが一様に、同様の変化を一律に、短期間のうちに完了する。変化の加速した時代だからこそ、必要なのは流れに惑わされないことである)。発掘(レコメンダシステム)、発見(検索エンジン)、発送(ネットワーク)、発表(メディアミックス&ストーリー化)、発言(SNS)、発案(コンサル&デザイン)――六つの「発」を同一の場に結びつけて『発展』させていくことが付加価値向上の要を担っていくと妄想するしだいである。ネット市場と、物理市場はいちど切り離して考えたほうが利口であろう。ネットの影響で物理市場の売り上げが落ちたとしても、ネット市場の動向をどうにしかしようと考えるのは、分厚い雲をどけようと山に登り、雨乞いをするために祭壇を建てるようなものだ、あまり利口ではない(むろん、どこかで二つの市場を結びつけて循環する回路を築くことは目的に定めることの一つではあるだろうが)。陽射しがなくとも収穫可能な果実の栽培に手を染める時期である。(アカウント登録制による課金収益型ビジネスモデルは、長期的な視野で市場拡大を目指している場合のみ有効だ。十年単位で赤字ギリギリでも構わないのであれば勝負できるだろうが、五年以内の短期戦を目指すならば、まずは誰であっても情報を手にできる形態を基準にするのがよいだろう。ビッグデータの蓄積を優先したほうが優位だ。無料でユーザーが集まらないようではお話にならない。そう、いくひしのように)


1170:【反響】
ネットで反響がなくても、いいものは売れる。むしろ、ネットの反響がなければ売れないようなものは、いいものとは言えないのでは?(反響があったほうが「商売として」有利なのは言うまでもない)


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参照:いくひ誌。【901~910】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054884457582

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