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浅はかな知的好奇心のゴミ箱

色彩規範同調理論について


なぜ私たちは「正しい色」を共有できてしまうのか。

まず気になったきっかけとして、
幼児の描いた塗り絵を見ていると、たまに強い違和感のある配色に出会うことがありませんか?

人物の顔が青い。
空が赤い。
草木が紫。

ただし、描いている本人はまったく気にしていない。
線からはみ出していても、色の組み合わせが破綻していても、迷っている様子がない。…ように見える。

一方で、ある年齢を越えると、多くの人はほぼ同じ色を選ぶようになる。

空は青。
肌は肌色。
木は緑。

そこから外れると、「変」「間違っている」という評価が自然に出てくる。

私は、ここで少し引っかかりを覚えました。

私たちは、いつから色の「正しさ」を共有するようになったのか。

そこで思いついた仮説を、とりあえず
『 色彩規範同調理論』
と仰々しく呼んでみる事とします。笑

前提は単純に、
人間は、生まれつき色を識別できる。
ただし、色に付随する「意味」や「適切さ」は先天的な能力ではない。
成長の過程で、色の判断は社会的規範に引き寄せられていくのではないのか。

重要なのは、幼児が「正しい色を知らない」のではなく、複数の色を同時に認知、解釈している可能性があると考えると、この理論が途端に面白くなると思いませんか?笑

大雑把に色の認識を、三層に分けてみるとします。

物理層:光の波長としての色
知覚層:個人が感じ取る色
規範層:社会が許容・推奨する色

幼児期は、物理層と知覚層の結びつきが強く、規範層はほとんど機能していない。

だから
「空は青でなければならない」
という規範が、まだ存在しない。

成長とともに、規範層が急速に強化され、
(絵本、教育、評価、同調圧力、等々)
「ここはこの色」という対応関係が、効率よく固定されていく。

その結果、規範から外れた知覚は、徐々に切り捨てられるようになるのではないか。


あくまでこの理論は、幼児のほうが優れた色彩感覚を持つ。と言いたいわけでも、規範は不必要だと言いたいわけでもありません。

ただ、私たちの感覚が「自然なもの」として誤認されるまでの過程を説明するため、枠組みを考えてみたものです。

いまのところの結論めいたものとして、私たちが共有している「正しい色」は、自然現象というより、かなり安定した社会的合意に近い。

安定しているがゆえに、それを疑う理由がなくなっているだけかもしれない。


まぁ、そんな事を考えていました。
今日はここまで。




※ここに書いた内容は、
思いつきを仮説や理論の形に寄せてみただけのフィクションであり、実際の科学的知見や学術的立場とは関係がありません。

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