近年のSF・特撮作品において、「宇宙からやってくるモンスター」というモチーフをめっきり見かけなくなった。ゴジラの原点が水爆実験の申し子であり、一九五〇年代アメリカ製B級SFの侵略者たちが赤の脅威の投影であったことを思えば、これは単なる流行り廃りの問題ではなく、時代の不安の所在そのものが移動した結果だと考えられる。
第一に挙げられるのは、冷戦という寓意装置の消滅である。かつて「宇宙から来る正体不明の敵」は、核戦争や東西対立という、姿の見えない巨大な脅威への集合的不安をそのまま形にしたものだった。冷戦終結後、人々の脅威の実感は「見知らぬ外部」から、AI、パンデミック、環境崩壊、経済格差といった、いわば「内側から発生する厄災」へと移行した。ゴジラが水爆の申し子であったように、脅威の物語は常に「誰の責任か」を問える構造を求める。現代においてその答えは、もはや宇宙ではなく地上、しかも人間自身の所業に求められるようになっている。
第二に、脅威の内在化と異世界化が並行して進んだ点も見逃せない。仮面ライダーは昭和期の宇宙人的怪人から、平成以降は遺伝子操作、パラレルワールド、企業の陰謀へと敵の出自を多様化させてきた。ウルトラマンシリーズもまた、宇宙怪獣一辺倒から地球由来・人為由来の敵を増やしている。一方で物語の主流は「主人公が異世界へ行く」型、すなわち異世界転生やダンジョンものへと移った。「脅威が外からやってくる」構造そのものが、「主人公が向こうへ行く」構造へと反転したとも言えるだろう。
第三に、宇宙という空間そのものの神秘性の希薄化がある。探査機による観測やCG技術の発達によって、「宇宙=未知で恐ろしい空間」というイメージは薄れ、むしろ「すでに知られた場所」として描かれる機会が増えた。恐怖の演出装置としての宇宙はすでに説得力を失いつつあり、代わって異次元、デジタル空間、あるいは人間の内面そのものが、かつて宇宙が担っていた役割を引き継いでいる。
「宇宙から来るモンスター」の退潮は、したがって作劇上の一時的な流行の問題ではない。我々が何を恐れ、その責任を誰に求めるかという、時代の想像力の変質そのものを映す鏡だと言えるだろう。