いつも読んでくださって、ありがとうございます。
『銀の帳簿 ― ビザンツ漂流書記官異聞』の第二部「鉄の兵站」の最後、第十話「残すべき記録」のあとに、解説「フォカスの乱と帝都の大地震」を一話加えました。
物語の背景になった史実を、史料に書かれていることと、物語のために創作したことに分けて書いています。物語の本筋とは別の文章なので、読まずに先へ進んでも、物語は分かります。
解説で書いたのは、次のようなことです。
・登場する人物のうち、誰が実在で、誰が創作か
・フォカスの乱の始まりの日と場所が、史料によって食い違っていること
・帝都の大地震の年が、史料で989年とも986年とも書かれ、決められないこと
・物語のために簡略化したところ
・実際に読んで確かめた史料
その解説のために、反乱の地図を作りました。左が「反乱の広がり」、右が「クリュソポリスとアビュドス」です。
【地図の見方】
山と川と海岸線は、実際の標高のデータと現代の地形から描いています。10世紀の海岸線ではありません。
その上に、両軍の動きを重ねました。
・赤がフォカス側、青が皇帝側
・実線は史料と場所が確かなもの、破線は解釈、点線は史料に道筋が無く推論で補った線
・曲がっている線は、ローマ時代の街道に沿わせたもの(10世紀にもこの道を通ったとするのは解釈です)
反乱軍が通った道そのものは、史料に書かれていません。
書かれているのは「ドリュライオンまで支配した」「軍はクリュソポリスに達した」といった、着いた先だけです。
【宣言の地は決まっていない】
反乱の始まりの、皇帝を名乗った場所は、史料で一つに決まっていません。
・スキュリツェス:カルシアノンのマレイノス邸(8月15日)
・ヤフヤー:9月14日(場所は書かない)
・カイサレイア説:研究者の注にある説で、一次史料の本文には無い
地図では、史料の本文にあるカルシアノン説を主にしました。
ただし、マレイノス邸の位置は、調べた範囲では確かめられませんでした。
そこで、カルシアノンの城塞の比定地を中心に、紫の点と破線の円で示しています。
円の半径(約60km)は、出典の無い目安です。邸がこのテマのどこかにある、という程度の意味です。
カイサレイア説は、灰色の印で並べました。反乱軍の線は、紫の点から引いています。
【クリュソポリスとアビュドス】
右の地図は、反乱の終わりの二つの場所です。
クリュソポリスの戦いの年は、988年の初めとする説と、989年の初めとする説などに割れていて、決められません。
皇帝が帝都からアビュドスへ向かった道も、史料に書かれていません。そのため、皇帝の線は引かず、場所に注記だけを置きました。
青い線は、スキュリツェスが「まずアビュドスへ送った」と書く艦隊です。帝都から出たとするのは解釈で、航路も海の上に引いた目安です。
【もっと読むなら】
『銀の帳簿』はこちらです。解説は、第二部の最後にあります。
[作品のURL:未確認。投稿時に入れる]
地図の作り方は、評論「中小企業診断士、自分の小説を実験台にする」の第5回に、街亭の地図を例にして書きました。
https://kakuyomu.jp/works/11054822663727332181
【地図の出典】
・標高:Copernicus GLO-90(© DLR e.V. 2010-2014 and © Airbus Defence and Space GmbH 2014-2018 provided under COPERNICUS by the European Union and ESA)
・海岸線・河川・湖:Natural Earth(現代のもの)
・街道:Itiner-e: the digital atlas of ancient roads © 2024 by Brughmans, Pažout, de Soto and Bjerregaard Vahlstrup, CC BY 4.0
・地名の座標:Pleiades: A Gazetteer of Past Places (pleiades.stoa.org), Copyright © The Creators, CC BY 3.0
・地名の点は、古代(〜640年)の遺跡の位置で、10世紀の町の範囲ではありません
*
お楽しみいただけていたら、★評価をいただけると励みになります。引き続きお付き合いいただければ幸いです。