• 異世界ファンタジー

自家中毒という奴

2024年、あの日は確かに決然とカクヨムコンに応募したものの、見事に煮詰まる。そうしているうちに一切の更新もできないまま1年経ちました。
先に書くと、私の小説未満は読まなくていいです。あとできっと全部直すので。じゃあなぜこんなものを書いたかといえば、つまり私にはなんであれ世に出した以上、モノを完結させる責任があるということの確認と、世間様にそれをぶちまけてしまえばもうやらざるを得ないと恥を晒し直しているだけなのです。なので実はこれも読まなくていい文章です。何より先にそれを書いておくべきでした。

それはそうと、話が変わるのですが世には一人称小説というものがありますよね。僕は、私は~で~して、~であった。とかそういうものです。近況ノートにまで目を通す皆さまの中にはそれを執筆なさった方もおられることでしょう。ですが私はそれを書いたことがありませんでした。
「じゃあ書いてみるか」
今思えばそれが間違いだったように思えます。題材がファンタジーで、現代より文化資本を得にくいはずの世界の平民で、さらに悪いことに子供、そんな存在に物語の視点を託することの難産に気付きませんでした。気取った難しい言い回しはできません、子供ですから。何か迂遠な物言いやら、怪訝な比喩の類も出来かねます、僻地の村から出たこともない人ですから。少年の視点で書くのなら無闇矢鱈に他人の感情に敏いなんてことも、特段の事情がないならネガティヴであるべきなのです。別の視点から物を語るのであれば、どうにかつじつま合わせができそうな手段が塞がれて、恐る恐る抜け道を探すように文字を書いては行き詰るのはもはや己の未熟をつきつけられる状態でした。

違うのです。すべて自分の不出来を棚に上げているだけなのです。素敵な方はそれでもしっかりと世界を描くことができて、物語に没入させることができるのですから。ただ私が、主人公が見た世界を主人公の言葉で書こうとすると、どうやっても自分が子供の時に散々書かされた『僕は、で始まる小学生の感想文』の再生産になってしまうだけのことなのです。想像力に限界があって、そこの欠落に自分の子供時代の馬鹿さ加減が充填されるのです。その拙さに気付いて、取り繕いのように言葉を取っちゃ混ぜにブチ込むと今度はそれが『胡乱な千切れ文章』に化けるのです。

以上が「よっしゃ、書いたろ!」で起きた自家中毒の話です。ただそれだけなのです。結局私は長い文章を書くのが大好きで、それで今もこうやってにょろにょろと、うまくやれば三行で済みそうなものを内容を薄めながら長文にして、あわよくば誰かに読ませて、それで時間を浪費させてやろうとしているのです。

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