『I wish I could have spent the rest of my life with you.』
※本編を遥かに凌駕した量の長文です。お気をつけ下さい。本編の約三倍の文字数です。
忘れもしない。
あれは大学での新入生歓迎スピーチを、私が行った日のこと。
元はと言えば、主席だからと押し付けられ、途轍もなく渋々引き受けたものだった。
なのに、それに感謝してしまうほど、私は奇跡のような一目惚れをした。
「……い、おい!どうした?さっきからずっと上の空で」
「ほっといていいんじゃないのー?いつもでしょこれ。ね、それより駅前のカフェ行かない?新しいコーヒー出たらしいよ」
「そうなのか?……まぁ、こいつは放っておいても、か」
ぼんやりと窓の外を見る。何やら耳に入った雑踏の中で馬鹿にされたような気もしなくもないが、この際それは置いておいたとして。
舞い降りる桜吹雪の中で、艶やかな黒髪が太陽に照らされて煌めいている。
……あの瞳に私が映るためにはどうしたら良いのだろう?
そう私が思いを巡らせていれば、目の前の椅子が大きな音を立てて引かれて。それに導かれるように顔を上げれば、満面の笑みを浮かべた大型犬がこちらを見ていた。
「……どうした?」
「ん?スピーチお疲れ様ーって。言いに来ただけ?」
「お前がそれだけで済むとは思っていない。本題は?」
「……なんでそんなに察し良いかなぁ。まぁあれだね、俺はあの女の子に一目惚れしたの?って聞きに来ただけ」
「そうだな?」
「えっ、嘘、ほんとに?ほんとに言ってんのそれ?主席サマでお堅いお前が?」
「喧嘩を売っているのか貴様」
スパンッ、とノートでその頭を軽く叩く。それなのに嬉しそうに、そして面白そうに笑い声を上げた彼は爆速で教室から駆け出して行った。
……なんだったんだ?ただ揶揄いに来ただけか、あいつは?
そう思いながら鞄を持つ。帰りは少しだけ本屋にでも寄ってみるか。
別にそういう参考書を探しに行くとか、そういうものではないと先に言っておこう。
♢♢♢
「は」
昼休憩だからと食堂に移動しようとしたその時。思わず私は足を止めた。
何故なら目の前に、昨日私が恋焦がれた彼女が居たからだ。
というか何故ここに。ここは三年しかほとんど居ない場所なのだが。
そうぐるぐると意味もないことを考えまくっていると、ふと目があって。意を決したような彼女の表情に驚いたのも束の間、鈴のような可愛らしい音が私の耳に飛び込んだ。
「っあ、あの!ここ、は、三年の……?」
「そ、うだな?どうした、迷ったのか?」
「え、っと……何故か知らない先輩に連れてこられて……その、言い方は悪いんですけど、ゴールデンレトリバーみたいな……」
ゴールデンレトリバー?と首を傾げる前に点と点が繋がった。紛れもなく彼奴。あれ以外に犯人など存在しない。
しかし、となればこれはチャンスか?余計な事をしてくれたと言いたい気持ちもあるが、このお節介を利用するのも手だ。
「……私が案内しよう。何処に行きたい?」
「その、食堂まで……?まだ私、お昼食べれてなくて……」
「奇遇だな、私もだ。丁度良い、食堂まで一緒に行こう」
「あ、ありがとうございます……!」
嬉しそうに笑う彼女を見て、どうしようもない感情が湧き上がる。
これは偶然か、それとも奇跡か?少なくとも私を警戒していないのは確かだな。
それに神社で狛犬を飾っている理由も分かった気がする。崇めたくなるな、癪だが。
その後、二人で食堂まで向かった。元から喋ろうと思えば幾らでも喋れるタイプの人間だったので、さほど会話に困ることはなく。初対面にしては良い印象を持ってもらえたのでは?と自画自賛する程だった。
その道中、何やら友人の茶々が入った気がしたが一旦無視し。
無事に彼女を食堂まで送り届けた私は、そこで別れを告げようかと思ったのだが。何やら食券と格闘している姿を見てしまっては、見捨てることなど出来ず。
なんの神の気まぐれか、昨日の今日で食事を共にするという暴挙が完成してしまった。
「あー……君の友人は?別に私でなくとも……」
「…………その、あまり私は積極的な方じゃなくて。だからまだ、誰も……」
「そう、か。ただ、まだ二日目だ。焦ることはないだろう。私だって友人と呼べる相手が出来たのは半年後だったからな」
「えっ、そんなに……?」
「あの頃の私は少しばかり口が悪くてな。まぁ今もだが……そのせいでこう、ギスギスしたというか」
「ふふ、今ではかっこいい大人なのに、ですか」
え、と声が溢れる。いつもは良く回るはずの頭が思考を放棄した。
今、彼女はなんと?いやそんな風に笑わないでくれ、私が勘違いしてしまう!
キラキラに煌めく笑顔を浴びながら、私は目の前の味噌汁を飲んだ。
何というか、美味しかったのだが味噌の味は微塵もしなかった。
♢♢♢
「どわっ!?」
「頼む!お前以外に頼れる奴が居ないんだ!」
「待て、何の話だ?俺だけ?お前がそう必死にな……」
「あれじゃないの?一年生の。どうやったら仲良くなれますかー、じゃない?」
「……お、お前に遂に春が……?」
くそ、だからこいつらに頼るのは癪だったんだ。何だその目は、そんな心底疑わなくても良いだろう!
先達に習えとの仰せの通り、私は年中仲良しな弟カップルに恥を忍んで聞きに行った。
──どうやったら仲良くなれるか、と。
その結果がさっきの会話だ。弟は私を何だと思っている?
「あー……まぁなんだ、それでなくともお前は近寄りがたいんだから、変な事はするな。そうだな……後は勉強を教える、とか。主席の特権だろう、それが一番の」
「君の場合は帰りに“一緒に帰ろー”って言ってくれたよね。嬉しかったなぁ」
「……だそうだ。いつか誘ってやれ」
god damn it. 最後に惚気を聞かされたんだが?
……ただ、勉強を教える、か。それぐらいなら幾らでも出来るな。
まぁそこで浮かび上がるのはどうやってそれを為すか、だが。少し前の自分の奮闘のおかげで連絡先自体は持っている。ただそこからどうやれば良いんだ。
「……そうだ、そろそろ一年は試験じゃないか?聞いてみれば良いだろう、不安なことはないか?と」
「…………不自然じゃないか?それはそれで……」
「お前……入学して二日目に三学年の主席と話してるのも大概だぞ、彼女からしたら」
確かに。それはそうかもしれない。
ではもう何をしたところで不自然か。そうだな。
そう腹を括った私は彼女に一通のメールを送る。そうして弟カップルのデートを見送り、少しの間自習をしていると小さく通知の音が鳴った。
そこには──良ければ数学を教えて欲しいという旨の返信で。
思わずガッツポーズをしてしまった。私ともあろう人間が。
……それにしても、数学が得意で良かった。一通り出来るとはいえ、私にも苦手な科目だってある(文学系)のだから。
「……復習するか、一年次の数学……」
約束を取り付けた時間まで、あと一時間はある。
それまでに何とかして、質問に困らないようにしなければ。
♢♢♢
結果としては。
思ったよりも私の作戦は上手くいった。彼女自身の飲み込みも早く、寧ろ教えていて楽しかったほどだ。というわけでまぁ、それを利用して試験の度に彼女を誘っていると、遂に向こうから連絡が届くようになって。
嬉しさのあまり思わず家で叫んでしまった。そして弟に呆れられた。
仕方ないだろう、些細なことに一喜一憂するぐらいには、私は彼女の全てに魅入られているのだから。
「……で、今日はデートか」
「そうだな。ようやくだ、ようやく掴んだこの機会だ。無駄にはしない」
「…………資格を取るとき以上に気合が入ってないか?お前……」
そんなため息混じりの弟の言葉に思わず笑いながら、黒革のコートを羽織った。
何を隠そう、今日はクリスマスの一日前だ。これは実質クリスマスデートと言っても過言ではないだろう。
とはいえ、だ。自分自身、驚くほど緊張しているのも感じている。これは大学入試を超えるかもしれない。
そんなことを考えていると、約束の時間が迫っていて。夕方から夜にかけての短い時間だが、私の計画に抜かりはない。と信じたい。
「では行ってくる。お前も達者でな」
「お前はどこに行くつもりなんだ。戦場か?」
「あながち間違いではないな」
馬鹿か、というストレートな暴言が飛んできた気がしなくもないが、それに気にせず玄関を開ける。するとそこには眩しいぐらいの雪が降り積もっており、夜に見る予定のイルミネーションに丁度良いと感じた。
……さて、待ち合わせ場所まで行くか。
実はお互いの家がそう遠くないことが判明したため、待ち合わせ場所は電車で数駅の、少しばかり小洒落たエリアを指定した。
世界は広いようで狭い。そう形容したのは誰だったか忘れたが、まぁ良いだろう。
待ち合わせ時間の十分前に到達した私は、キョロキョロと辺りを見回す。流石にまだ来てないだろう、幾ら何でも……
「……ん?」
ピコン、と頭の上にレーダーが立った気がした。
私がいる場所から少し離れた所に、綺麗な黒髪の女性が見える。しかしながらその近くに、見るからに輩の金髪と茶髪が、その黒髪に言い寄っていて。
血の湧き立つ心地がする、というのはこういうことかと客観的に考えながら、考えながらも、私は気付けばその女性の肩を抱いていた。
「すまない、この人は私の女性でね。君たちのような輩にはもっとお似合いの人が──ああほら、あの女性とかどうだろう?」
「あぁ?なんだテメェ、横から割り入ってきて──って、馬鹿にしてんのか!?女性ってか野良犬じゃねぇか!」
「彼女も十分可愛らしい方だよ。まぁ最も──君たちみたいな人には、それでも勿体無いが」
「テメェ……ふざけやがって!」
風を切る音がする。それを紙一重で交わした私は、容赦なく全男にとっての弱点を蹴り上げた。元よりこういった護身術は好きで学んでいたし、何より一番効果を発揮しているのはアドレナリンだ。信じるべきは己の感情だ。
「You're so pathetic《哀れで情けないな》. 吠えるだけ吠えてこの程度か、貴様ら」
「ッくそ、覚えとけよ……!」
「……っあ、あの……」
「うん?あぁ、大丈夫だったか──」
は、と息が詰まる。
私は、私は今何をした?見てみろ、彼女の驚きに満ちた顔を。
見損なわれたか?いや前から口が悪いとは言っていたし、それでも、いや、もう取り返しはつかないか……!?
「……すまない。見苦しい所を見せた」
「いっ、いえ!助かりました……!それにその、先輩は英語では口が悪いんだなぁって、知れましたし……」
「あー……その、英語では感情が出しやすい、というか……いや、どちらにせよすまない。君の前では冷静な大人で居たかったんだが……」
「?十分かっこよかったですけど……」
……この天然の彼女をどうにかして欲しい。
多分悪気はない。それは知っている。だがそれでも、彼女の言動に一喜一憂してしまう自分が確かに存在している。
「……行こうか、少し早いが」
「は、はい……!」
そうして一夜限りの、夢のような時間は始まったのだった。
♢♢♢
その後、落ち着いた雰囲気の洋食店で夕食を摂り(勿論私が出した)、二人で少しだけ買い物をして回った。私は彼女にシンプルなネックレスを贈り、逆に彼女は私に黒のマフラーをプレゼントしてくれて。一生大切すると心に決めた。
そうこうしていると、イルミネーションが点灯し始める時間に近づいていることに気付いて。それとなく彼女を公園に移動させ、ベンチに座らせた。
その途中、彼女が寒そうに手を合わせていたので、私が羽織っていたコートを渡したところ、慌てたように返されてしまって。君のマフラーがあるから大丈夫だと返せば、何故か顔を逸らしながら受け取られてしまった。
?まぁ良い、あの黒革のコートが地面に叩きつけられなかっただけよしとしよう。
「そ、の……先輩、は……」
「?あぁ、どうした?」
「……いえ、なんでもないです」
俯いた彼女の睫毛に雪が乗る。
──その瞬間。月の光よりも輝く、煌めくようなイルミネーションが一斉に点灯した。
ぱ、と彼女の顔が上がる。その瞳に光を揺蕩わせた彼女は驚いたように息を呑んだ。
「綺麗……」
「君のお気に召したようで何よりだ。私も昔、よく来ていたからな」
「先輩が子供の頃……?」
「あぁ、やんちゃでミニサイズの私が喜んでいたよ」
「っふふ、可愛いですね、それはそれで」
ふわり、と花のように綻ぶ。君の方が遥かに綺麗だよ、とは流石に言えないが。思うぐらいは許されて良いだろう。
キラキラと輝くような笑顔をそっと眺める。
きっと彼女は、私のことなど“ただの優しい先輩”としか思っていないだろう。
それで良い。それで十分、私の人生は彩られている。
最近仲の良い友人が出来たと話していたし、魅力的な彼女のことだ。その魅力に気付きでもすれば、私よりも余程、同学年の男の方が口説く機会だって多いだろう。
「……腹が立って来たな」
「えっ、な、何にですか……?」
「あぁいや、こちらの話だ。それより身体を冷やしてはいけない、そろそろ帰ろうか」
「あ、もうそんな時間なんですね……」
近くまで送ると私が告げれば、嬉しそうに感謝の言葉が返ってくる。本音を言えば少しでも長く居たいだけなのだが、まぁこの際それは置いておいて。
心配という名の盾を掲げて、彼女の家の近くまで送ったのだった。
ちなみに私が家に戻った途端、弟に質問攻めにされてしまったのだが、ある意味良い思い出である。
♢♢♢
桜吹雪が舞う。何の因果か卒業式のスピーチまで任されてしまった私は、またもや渋々壇上に上がることになった。ただ、すぐさま彼女を見つけた私は、全体を見るふりをしてこっそり彼女をずっと見つめていたのだが。
……それはともかく。
結局何も告げないまま、今日という日が来てしまった。
新品のスーツに身を包み、古びたため息を青空に吐いて。一体私は何をやっているのだろうと自嘲した。
心配そうな弟の目も、不安そうな大型犬の目も跳ね除け、私はひとり空を仰ぐ。
すると、視界の端に黒髪が揺れた。躊躇うような足音に首を傾げてそちらを見ると、そこには私の恋焦がれる彼女と、少し後ろには何やら見知った顔と数名の新顔が見えて。
もしかしてこれは、と思う前に、私は彼女の言葉を手で制した。
流石に、私が言うべきだろう。
「……君が好きだ。一年前のあの日、壇上で君を見つけて一目惚れをした。だが、無理強いをするつもりはない。私は今日でこの大学を去るし、君はもしかしたら、いや億が一、これから先の未来で私よりも良い人に出会えるかも知れない。だから……」
「……っふふ、先輩」
「?どうした」
「そんなに名残惜しそうに腕を掴んでたら、説得力ないですよ」
「え?あ……」
がっしりと無意識のうちに掴んでいたらしい手を離す。くすくすと笑みを溢す彼女を見ていると、どうしようもない羞恥が湧いてきて。今からでも発言の取り消しをしたいぐらいだった。
「……私、先輩のお陰で、この一年とても楽しかったんです。最初はなんで三学年の主席さんとお話ししてるんだろうって思いましたが、貴方があまりにも楽しそうに笑うから、いつの間にか気にならなくなりました」
「そ、そんなに分かりやすかっただろうか……」
「はい、とっても」
むず痒い。何というか、じわじわと真綿で首を絞められているような気がする。
そんなこんなで呆然としていると、突然、目の前の彼女は私を抱きしめる。若干その行動に混乱しつつも、私はゆっくりと抱きしめ返した。
小さくて温かい。ほんのりと香る華やかな香水は、もしかして私と同じ……
「えっ……待て、何故、これを……?」
「……少しでも先輩の側に居たいなって、思って……」
ちら、と綺麗な瞳がこちらを向く。
いや待てそれよりも、今、彼女は何と……
「私も貴方が大好きです。今世は貴方の隣を、私が歩いても良いですか?」
泣きそうな顔でそう微笑む。文学部に所属する彼女の言葉は私と違って柔らかく、けれどそれでも、芯のある言葉で。
思わず私は彼女を強く抱きしめた。震えた声で、それでも嬉しそうに笑った彼女はどうしようもなく。
……どうしようもなく、愛おしかった。
「よか、ったぁ……っ、ぼく、振られたらどうしようって……」
「そんなことはしない。ようやく触れられるんだ、君を死んでも離してやるものか」
「ふふ、先輩ってば愛重い……」
何やら遠くで拍手されているような気がする。
しかしまぁ、悪い気はしなかった。
♢♢♢
おまけのおまけ
「そういえば、君の一人称は“僕”なのか?」
「っ!?えっ、私言ってました……?」
「先程な?」
「…………なんというか、そっちの方がしっくりくるというか……先輩の英語と一緒なんです、多分」
「それは少しばかり比較対象が悪い気もするが……まぁどちらにせよ君は愛らしいな」
「な……」
バシ!とそこそこ強めの力で背をはたかれてしまったのは、少し後のお話。