突然だが、私こと夜柳茉莉には好きな人がいる。
私がそのことを友人に話すと、友人は決まって驚くのだ。
『茉莉は、そういうのに興味がないと思っていた』
私は、学校では恋愛方面で少し浮いた人間だと思われているらしい。
なぜそうなってしまったのか、その自覚は少しだけある。
自慢ではないが、私はそこそこモテる。
容姿は整っている方だと思うし、社交的な方だし、家事だってそれなりにできる。
さらに私は歳の離れた兄の影響でゲームが好きで、そういう関係で仲良くなる人も多い。
だから、そういう話が耳に入ると、ついつい会話に入っていってしまいたくなるのだ。
こっちとしては、男女問わず普通に接しているだけでも、相手からしたら異性に特別親しくされている、みたいに感じるらしい。
らしいというのは、以前私に告白してきた男子がそう言っていたのを聞いたから。
そして、私が恋愛に興味がないと思われているのは、そういう男子からの告白を今まで受けたことが一度もないからだ。
というより、私は今まで誰から告白されてもそれを受けたことがない。
ただ、誰もその理由に踏み込んでこない。
私が困ったような笑みを浮かべて断ると、それで話はおしまいになる。
私が、男女の関係よりも、友達と遊んだりゲームをしたりするのが好きなのだと勝手に納得していく。
事実ゲームは好きだが、流石にゲームと恋愛を比較して断っているわけではないのだ。
だから、もう一度言う。
私、夜柳茉莉には好きな人がいる。
好きな人がいるから、相手の告白に応えられない。
それだけなのだ。
さて、ここまで言うと私の好きな人はいったい誰なのか、どんな人なのか、と大抵の友人には聞かれてしまう。
そう言われると私は少しだけ困る。
私が彼に惹かれた理由はきっと、誰にも分かりやすいような劇的なものじゃなくて。
だけどどうしようもなく、その出会いが私を救ってくれたという、それだけの話なのだ。
そうやって私が困った顔をすると、友人たちはなおさら面白がって聞き出そうとしてくるのだ。
なので、まず彼との出会いから話そうと思う。
私、夜柳茉莉が、私の好きな人──上杉志摩くんと出会ったときの話から。
──────
「今年から、こちらの部屋に住むことになった上杉志摩と言います。よろしくお願いします」
私が初めて志摩くんと挨拶をしたときは、そんな感じだった。
その時、志摩くんは私の父が大家をやっているアパートに越してきたところで、父と会話しているところにたまたま私が通りがかったたのだ。
「はじめまして。夜柳茉莉です」
私は社交辞令として挨拶を返した。
その時はそれでおしまいだ。
だけど、私はぼんやりと志摩くんの印象が残っていたのを覚えている。
(この人、あんまり私のこと見てこないな)
その時の私は中学三年生で、客観的に結構可愛い女の子だったと思う。
今年大学生というならそれほど年の離れていない男の子なのに、志摩くんは私のことをそういう、女の子を見るよう目で見てこなかったのが印象に残っていた。
ただ、それだけだ。
だからどうというわけでもなく、私の中で志摩くんはアパートに来年から住む学生の一人という認識で終わった。
私と志摩くんが、まともに話をしたのは、それから少し後。
……あまり思い出したくはないのだが、その日は私の中学の卒業式の日。
そして、私がクラスの男子に告白された後の話になる。
──────
「夜柳。好きだ。俺と付き合ってほしい」
放課後、校舎裏に呼び出された時点でそういう話かなとは思っていた。
彼は中学三年間クラスが一緒だった男子で、それだけでなんとなく親近感があったのは覚えている。
人当たりの良さそうな男子で、友人たちとグループで一緒に遊んだことはある。それくらいの仲の良さ。
だけど、私にとってはそれだけだった。
「えっと、その、今は私、男の人とそういうの、あんまり興味なくて。ごめんね」
だから、私は断った。
別に相手が嫌いだったというわけではない。
ただ、相手と自分が恋人同士になるというのが、どうしても想像できなかったから。
この頃の私は、今よりも告白慣れしていなくて、なんとか相手を傷つけないように言葉を選んでとか色々と考えていた気がする。
思えばこの頃は、友人たちが想像する『恋愛に興味がない私』で間違いなかったと思う。
ただ、今の私の告白があっさり終わるのはそのイメージが浸透しているからというのもある。
このときの私にはそういうイメージはなくて。
だから、彼はそこで諦めるということをしなかった。
「今ってことは、将来は分かんないんだろ!?」
「ひっ」
突然の大声に、私は自分らしくもない悲鳴が出るのに驚いた。
私に告白した男子は、そんな私にずんずんと迫ってくる。
私は思わず後ずさるが、そんな私の心を彼が省みることはない。
「俺、本当に夜柳のことが好きなんだ。お試しでもいいから! だから!」
「ご、ごめん」
「なんで!」
「っっ!」
彼の大きな声に、私の背中が縮こまる。
私はそのとき、どうしようもなく怖くなった。
どうして、告白を断ったということが彼をこんなに怒らせてしまったのかわからなかった。
今にして思えば、別に彼は怒っていたわけではないのだろう。
彼は彼で、自分の中の恋愛感情というものに必死だっただけだ。
必死すぎて、私の気持ちなど考えられていなかったわけだが。
ただ、当時の私にとっては、彼の豹変がただただ恐ろしかったことだけが事実で。
「さよならっっ!!」
私は、走ってその場から逃げ出したのだ。
ただただ、全速力で。荷物も何も持たず。後ろも振り向かず。
彼がいつ追いかけてきて、自分を捕まえにくるのか分からなくて。
それがどうしようもなく、怖くて。
もしその時私が後ろを振り返っていたら、自分のしたことに今更気づいた彼が、呆然と立ち尽くしている姿を見られたかもしれない。
だけど、その時の私には、ただただ自分を『女』として見てくる彼が怖かったのだ。
──────
「……ただいま」
結局、私はいつの間にか自分の家まで逃げ帰っていた。
そこまで帰ってこないと、私は安心できなかったのかと呆れてしまった。
「……鍵が」
そして、玄関を開けようと思って、自分の間抜けさに気づく。
家に両親が居るわけがない。二人とも、私の卒業式に来てくれていたのだから。
手元に鍵があるわけがない。荷物も何も置いて出ていってしまったのだから。
更に言えば、携帯すら式だからとカバンの中で、私はただただ家の前で困ってしまった。
「……はぁあ」
ため息を吐いて、私は玄関に体育座りをした。
卒業式は三月。季節は春の入りとは言え、まだ肌寒い。
しばらく待っていれば、きっと私の姿が見えないことに気づいた両親が帰ってきてくれるだろう。
そのしばらくが、いつまでかは分からないけど。
「なんだかなぁ……うぅ」
そうやって一人でいると、急に怖くなってくる。
さっきの彼が、ここまで追いかけてくるんじゃないか。
そうして、逃げ場がなくなった私を追い詰めるんじゃないか。
もしかしたら、そのまま襲われてしまうんじゃないか。
「……やだ。やだ、やだ」
一度考え出したら止まらなくなって、私は中学生にもなって涙が溢れてきて。
そんな時だった。
「あっ」
「っ」
自分に向けられた声に、思わずビクリとする。
だが、目を向けるとそこにいたのは当然、告白してきた彼ではなく。
「……あー。夜柳さんちの……娘さんだよね。どうしたの?」
少し前に挨拶をしただけの、学生さんだった。
それが、私にとっての志摩くんとの本当の会話の始まりであった。
「…………」
私は、志摩くんからの言葉に無言を返した。
きっとその時の私は、野生動物にも負けないくらいの警戒心で彼を見ていたことだろう。
それこそ、もしも私が志摩くんだったら、声をかけたことを後悔するくらい。
「ええと、もしかして家に入れないの? 鍵は?」
だが、志摩くんは少し困ったような顔で、それでも私に話しかけてくれた。
私は、まだ彼を睨んだまま、ぼそりと返す。
「学校に、忘れて」
「学校に。だったら取りに戻れば」
「それはいや!」
突然の大声に、志摩くんは面食らっていた。
当然だろう。彼としては当たり前の提案をしただけだ。
だって、家から通っていた中学校まで大した距離なんてない。
それこそ、私が走って帰ってこれる程度の距離なんだから。
「……あー。じゃあご両親は?」
だが、志摩くんはそれ以上踏み込んでこなかった。
これは彼の優しさというよりは、彼の無関心が成せた業だろうと今ならわかる。
私を傷つけそうだから踏み込まなかったのではなく、面倒臭そうと思ったから避けたのだ。
ただ、どちらであっても、その時の私にはありがたかった。
「お父さんも、お母さんも学校」
「え?」
「……今日、卒業式だったから」
「……なるほど?」
志摩くんは明らかに困惑の表情を浮かべているのが分かった。
それはそうだろう。
学校で何かがあったのは察しても、それが何かは分からない。
わかることは、学校に行けば解決するのに、それをわがままで渋っている女子中学生がいることだけだ。
「じゃあ、俺から大家さんに連絡するよ。それですぐ帰ってきてもらう。それでいいよね?」
「……あっ」
そんな簡単な解決方法を彼は持っていた。
彼はすぐに父に連絡を取り、私が手ぶらで帰ってきていること、寒空の下にいるので早めに迎えにきてあげてほしいことなどを伝えていた。
「ええと、茉莉ちゃん? でいいんだよね? 何かお父さんに伝えることあるかな?」
電話の途中で、志摩くんはスマホを差し出しながら私にそう尋ねた。
おそらく、本当に私がここにいるという事実確認もかねての提案だったのだろう。
私は彼のスマホを受け取り、父と二言三言話した。
詳しい話は聞かれなかったが、すぐに帰ると言ってくれた父が嬉しかった。
「さて、それじゃ、こんなところでいいかな」
父との連絡を取り終えた志摩くんは、そう告げるとそそくさとその場を立ち去ろうとする。
そんな彼を私は思わず呼び止めていた。
「ま、待って!」
「え?」
「ど、どこに行くの?」
我ながら、間抜けな問いかけだったことだろう。
事実、志摩くんも何を言われたのか分からないという顔をしていた。
だって、彼は私の家の隣のアパートに住んでいるんだから。
「どこって、家に帰ろうかと」
「な、なんで?」
「なんでって、買い物帰りだし?」
そこでようやく、私は彼がスーパーで貰ったらしい透明な袋を持っていることに気付いた。
中身は、お惣菜のお弁当と飲み物だろうか。
時間的に、彼のお昼ご飯であることは明白だった。
「……あ。その……」
そこで私は、自分がどうしようもなく彼を邪魔していることに気付いてしまう。
もともと、私に話しかけてくれたことが、成り行きだったとはいえかなりの親切で。
話が終わった以上、彼がここにいる理由など一つもない。
「……ごめんなさい」
だから、私はそれ以上何も言えなかった。
ここで「怖いから一人にしないで」と言えるような関係は私達にはなかった。
ただ、弱々しく、見捨てないで欲しいと縋るように彼を見つめているだけの私だった。
「…………」
志摩君はしばらく無言だった。
その時、彼が何を考えていたのかは良く分からない。
ただ、少なくとも弱った女性に付け込んであわよくば、みたいなことを考えていなかったのは知っている。
だって、ここまで来ても彼は、私を女性として見ている様子は一切無かったから。
「……はぁ。茉莉ちゃん。外は寒いし、良かったらウチで待ってる? 十分くらいだろうし」
「え」
「何も無いけど、お茶くらいなら出すからさ」
「え、あの」
彼の提案に、今度は私が面食らう場面だった。
そんな風に誘われるとは思っていなかった。
ただ、両親が帰ってくるまでの間、無言で良いから隣に居て欲しい、それくらいの気持ちだったから。
ただ、私の戸惑う様子がどう映ったのか、志摩君は慌てて付け足す。
「もちろん何もしない。もし心配なら今鍵を渡すから、一人で中に入って、鍵を閉めてくれて構わない」
「あ、違くて」
私の戸惑いをどう受け取ったのか、志摩君は慌てて言う。
そして、私を窺うように、付け足した。
「なんか知らないけど、男が苦手なんでしょ?」
そうやって見透かされた感じになるのが、私はとても恥ずかしかった。
男性が苦手というのとはちょっと違うのだけど、きっとその時の私は酷く怯えていたから。
志摩君からみて、そういう風に見えるのは仕方なかっただろう。
そして、そんな提案をする志摩君の顔が、本当に私に興味がなさそうで、それが少し不思議で。
さっきまでの警戒心がどこに消えたのか、私は差し出された手に素直に縋ってしまった。
「えっと、あの、中に入れてくれるだけで大丈夫です。その、すぐに出て行きますので」
「……了解。まぁ、一応お父さんには連絡しておくから」
そして私は、まだマトモに話した事が一度も無い男性の家にお邪魔する事になった。