8月も末となりつつある今日この頃。
なんだってー!? なあれこれもひと段落した。いやぁ、大事なくて良かったぁと思いつつ、今後のことを色々と考えなくてはいけないのは事実なので、落ち着くことはないと思うなどしている。
さて、そのすったもんだの最中に読んだのが「神の蝶、舞う果て」。
ファンタジー小説家、あるいは児童小説家として有名な上橋菜穂子の最新作。
と、書くとやや語弊がある。
同作の後書きで僕も知った内容として、この作品は随分と前に雑誌連載されていたものを書籍化したものらしい。記述によると連載時期は守り人シリーズが完結しておらず、狐笛の彼方や獣の奏者の執筆前とのこと。講談社のHPを確認したところ、1999〜2001年連載とのことで、約25年前(現在2026年)の執筆作品だそう。
この前提を知らなかったので、僕は読んでて「おや?」と思う部分がいくつかあった。
確かに獣の奏者や鹿の王に通じる部分、特に上橋節とも言える異世界の骨格の筆致は随所にある。が、それらと比べるとなんだか人と人の思惑が、その、少し肩透かしを食らったのだ。
特に僕がそう思ったのは、ラシェランに属するラーシェル師や、<魔族の子孫>とされた人々について。
ラーシェル師にはラド先生やシーシェム師という同じ立場だった人々の中で、同じ考えを持たない人々との比較が多少は入るが、それでもあの頑なさと神官としての信仰の原点がぼやけた印象を抱いた。
ラシェランそのものも傲慢さの体現といえばそうなのだが、ただラーシェル師にも何かしらの信仰の拠り所があり、思惑があり、そして彼個人とラシェランへの帰属はもう少し複雑な葛藤があったのではないか、という気がしてくる(歴代の作品と比較すると、ラド先生とおそらく対話して、破局した過程が詳細に書かれてもおかしくない気がするキャラ造形なので尚更)
<魔族の子孫>とされた人々については、本当に僅かな情報しかない。が、あの作中の扱いと主人公たちの立場を考えると、追求がかなり難しい。
ただ、どうしても僕は、射落とされた魔族たちが小さな人となった。勇者は哀れに思い、裸で生きていくならば助けてやろうと言った。魔族たちは感謝した、の一連の流れが、最後になって人が住んでいた痕跡の残る島と重ねたとき、実に苦々しい気分となった。一方向しか見えない情景の、隠されてしまった歴史の一部が、魔族と呼ばれた人々にとって、どう思っていたのか。あるいは、思うまでもなく閉じた世界だったのか、と思いを馳せている。
らしいが、らしくない。なんだろうか、もう少しお互いの歩み寄りと思惑と信念が複雑化してもおかしくないのに、そこの部分が希薄な感じを受ける。
門扉から覗いて見える立派な家なのだが、一部明らかに作り途中と思われる頑健な土台だけがあって、その上に乗っている柱だけで壁も床も見えないような、そんな感触があった。
ただ、後書きを読んだことで、修正するにしての注意点なども明記され、なるほどという納得の気持ちにもなった。
また、25年前に執筆された作品の中で、ラシェラン語としての優位性(同じ国の中でラトゥール語やロリア語がその言語話者地方の出身者でも貧しければ後回しにされる現状)が指摘されている点で、昨今たびたび話題になっている特定言語の優位性を連想させる。
優れたファンタジーの、特に異世界でありながらも自分たちと同じ生きた人間であり、社会がありキャラクターたちは社会に属しているのだと分かる描写はさすがだと思うなどした。
なお、すったもんだの部分になるのだが、実は読んでたのが身内の手術中の家族待機の時間。手術時間は最大3時間半を予定して、2時間半程度で読み切れている。
体力的・精神的に余裕があるのなら、手術開始〜終了までの家族待機時間に読書はおすすめ。病院によってはカフェがあったりするらしいけど、僕は面倒だったので待機室での待機を選択していた。余裕なければ、とりあえず休んでほしい。余裕ないけど何かしてないと悲観的になる場合は、むしろパズルゲームとかの方をおすすめしておくぞ、僕は。
なお、今回は最初から術式的に時間は掛かるがハイリスクとは言えない類い。これ絶対待機時間は暇になる、と見越していた人間が本を持ち込んだ話でもある(一応、家族待機室にはテレビもあるし、スマホ使用も可な病院だったとだけ明記しておく)。