まず、透明人間には明確なイメージがあります。
ひとつは、東京事変の透明人間という曲。
個人的に東京事変は12歳からずっと好きで聴いてる。
もうひとつはラーメンズの銀河鉄道の夜のような夜。
知らない人はYouTubeにあるので見て欲しい。
このふたつをイメージして本作の透明人間は構想されています。
途中にホラー的な回がありますがあれはそういうつもりではなく夢もしくは錯覚、幻覚のような類いです。
あくまでも核は「誰かに見られること」「誰かを見ること」の温度です。
三島が最後救われるのは「見られることを手放した」からです。
見られる存在ではなく見る側になった。
透明になる恐怖は、
見られなくなることではなく、
見ることを諦めることだった。
みたいな。
読み終えたあと、街の光が少し違って見えたなら
それは、
もうあなたも「透明ではない」証拠です。
透明人間は消えていく人間の話ではなく消えそうな存在をどう受け止めるかという作品でした。