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「一個の必然」

一時期、
小説とは何だろうと真剣に悩みつつ、
ひどくその問いに
"囚われていた" 時期があった。

おぼろげにも、正統派の理解を求めるなら
日本「小説」の歴史を紐解くべきか、と考えつつ
webで検索をしてみた。

そうすると、期待した以上に
とてもたくさんの断片的解釈があったのだ。

その中に、
「小説は一個の必然を描出するものである」
というのがあった。結果これが一番、印象的で、自分の気に入った。

そもそも「必然」ってなんだろうか。

何かの場面や、条件や、人がいて、
会話とかもあるだろうか。

感情の交錯だとか、そういうのも色々あって
さいごに、"話の終わり"がやってくる。

そのとき、「あぁ、そうか」と思うもの。
「えっ、なんで?」と思いつつも、「他の終わり方って無いな」
と思わせてしまう話。

いやいや、難しいでしょう。

見えた壁は、いよいよもって、正体不明に。

そういう小説は、たしかに「いいな」と思うけど、
理屈でもない「必然」の展開なんて
いったいどこに転がっているのだろう。

その疑問符を大事に保存して、
いまも何かを書こうとしている。

現時点では、小説の中の "人物" が選ぶ展開と、
終わり方の遵守、これに尽きている。

自分の中の多重性に、どういう底があるのか、

"彼ら"が出てきて、語り始めるとき、
それを聞く"私"ないし"僕"もまた、
読者の立ち位置になる。

じっとこらえて耳を傾けていると、
思いがけないことが起きていく。

他人の顔をした言葉、発想。
決して、新規なものではないはずなのに
懐から飛び出すというだけで、
「驚く」というわけだ。

読むことで得られる驚きは「めぐり合い」もしくは「天与の奇跡」
書くことで得られる驚きは「奇奇怪怪」

そんな感じがする。



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