今の時代は、コピー&ペーストの時代だ!
なんて嘆かれてますが
大学のレポートで、これが見つかると処罰の対象でした。
なぜ見つかるかというと、
とっても記憶力の良い教授陣が、いわゆる書籍と関連研究論文のまさしく「虫」なわけで
「ムム、このくだりは見たことあるぞ」というところから、束になって(決して一人の犯行ではない)見つかってしまうのです。
僕は正直、彼らの学生番号の張り出しを見つけたとき、
「すげぇ」という、感想を抱きました。
誰かの書いたものをコピーすることへの、なんとなくの抵抗感とか、
学生としての規範意識とか、その他もろもろ大事な何かを、
"乗り越えた" 人たち、(勿論だめですよ)
というのもあるのですが
こと現代の意匠、デザイン、文章において
あまりに多くの生産者がいる以上、
厳密な「新規性」なんてものはフィクションであって、
どこまでも「程度」の問題になってしまうのが分かる。
(そもそも"本当に新しいもの"なんて、受け容れられるのだろうか?
という問いもある)。
その曖昧なラインを決めるのも人なので、
制度として成り立っているのだろうと(ごめんない)
勝手に思っていますが
そうしたことを全部分かっていて、
"copy&paste"してみせるということは、
それ自体が、一種の「告発」のようにも思えてならなかったんだと
今なら、おもいます。
振り返れば小さい頃から
「あなたは、私たちと違う」
と言われ続け、
受け入れてもらえる「普通」が
何より、素晴らしいことだと信じていたのですが、
どうも、生活は似ていても、
着目する部分と関心の持ち方が、いちいちズレているようで
ふと思ったことを、実生活で口にすること自体、
「厄介だ」と感じることが多かった。
だからこそ自分は、
書く、という手段に落ち着くのだなと、結論づけては見せますが、
この実感は、なにより
学生時代、ニーチェに心酔→共鳴してから、得た認識の一つであり
彼のようになりたいと思った、あの時分の名残でもあるのです。
いやはや、違いって、本当に難しいものです。