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異伝246話 補足説明

六角家情勢が複雑であったため、近況ノートの補足説明を入れておきます。
今後も状況説明を求められ、なおかつそれが投稿本編に組み込むことが難しいと判断した場合はこちらで出来るだけわかりやすく説明をしていきますのでよろしくお願いします。

以下補足説明

〇添付画像説明(見にくかった場合はコメントください。次回改善します)
・同色で塗られた人名は同じ人物
・足利義晴の娘は先に六角義実に、後に武田義統に嫁ぐ
・義治の娘の次子である六角義頼(四郎)が実母の縁で若狭武田家に養子入り
・六角義定は観音寺騒動で殺害、六角義賢も監禁された後に死去

※六角氏綱とその家系については史実存在していたかどうか不明です。
そのため必ずしも史実通りの家系図であるとは限りません。あくまでこの世界線はこう、ということです。


〇観音寺騒動後の六角家
・観音寺騒動勃発のきっかけは六角家重臣の強すぎる発言力と義治の冷遇、これに対する不満
・当時筆頭家臣だった両藤の内の後藤賢豊、嫡子壱岐守と六角義治の実弟である義定を殺害。当主であった義賢を監禁(観音寺騒動)
・新体制の中心が両藤から蒲生・三雲へ
               ⇩
・六角家が足利家(義秋派)と和解。対三好で団結
・義秋の上洛準備が纏まらず、六角家が半ば孤立状態
・三好家の呼びかけに六角義治が靡きかける(幕職:管領の補任)
・若狭武田家が若狭を追われる
 ・若狭武田家の実権は幼き武田元明へ(三好に支援された旧武田家臣団の傀儡)
 ・武田信豊と武田義頼はともに縁のある六角へ逃れる
 ・武田義統は朝倉家の元に身を寄せる
 ※信豊と義統は家督相続をめぐって争っていた過去あり
・義治体制移行後に距離を取っていた両藤、娘を送り込んでまで飼いならそうとした浅井家の増長によって重臣でありながら中央から排除されていた平井など、多くの家臣がこれに賛同

〇柳沢元政の策略
・美濃で発生した六角家による調略を三好家から依頼された六角義治からのものであると責任を押し付ける(事実)
・義秋主導で六角家の家督交代、親義秋派へ移行させることで美濃一色に対して矛を収めるよう働きかける
・尾張の弱体化を狙いたい美濃斎藤家は東西の同盟を呑むと予測
・上洛を目指す武田も無傷で美濃を抜けるために同盟を呑むと予測
               ⇩
     武田・六角・美濃一色による三国同盟の実現


不明な点などはコメントをお願いします。
書ける範囲で回答させていただきます。

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