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短編「透明な歌姫」

ねえ、あなたは聴いたことがあるかな。
なんとなく流れてくる動画のはしっこでだけ出会える、その声に。

出会えたら、しばらくその歌声をループし続ける。
一緒に口ずさんで、いつのまにか眠っていて、気づくと少し泣いている。

彼女の名前をいつも、覚えられない。
高評価もコメントも、ふと忘れてしまう。
まためぐりあって、今度こそはと思う度に気づく。
その子のチャンネルには、コメントができないこと。
概要欄に一言だけ、「私は透明でいたいです」と書かれていること。

本当に透明でいたいなら、動画なんてあげないはずなのに。
どうしようもなく矛盾するその言葉が、他人事には思えなかった。

※※※

何かを始めなくちゃいけない気がする。
それが何かなんて、全然わからないのだけど。

お正月も夏休みも三連休も、本当は人に何も強制することはできないはずなのに。
自由時間はときどき、仕事よりも綿密に私を息苦しくさせる。

ショート動画の流れるレパートリーは、段々と似通ってくる。
このひとつひとつは、きっとそれぞれ途方もない時間を割いて作られたものなのだ。

そう思った瞬間、流れてくる一つ一つがこちらを追い詰めてくる。
頭がきゅるきゅるして、どこかへ走り出したくなる。

あの歌声だけは、そんな苦しさを貫通してくれた。
アルゴリズムのなかでは、彼女は透明ではいられない。

届いた歌に少し泣く。
それからふっと眠ったり机に向かったり、外へフラッと出掛けたりして、なんとなくその後を生きてしまうんだ。

※※※

昔聴いた音楽って、想い出と結び付いてるらしい。
聴いたこともないのになんだか懐かしくなる音楽には、多分その粒子が入ってる。

透明になりたい彼女の歌には、想い出の粒子が詰まっている。
たぶん、同じくらいの歳だ。

きっと、もっと歌が上手い人はたくさんいる。
でも、生きることをなんとなくでこなし始めたとき、一番やさしく叱ってくれるのはいつもあの声だ。

汚れたくない。
だけど、透明でいるのは、すごく寂しい。
だから、また静かに手を動かす。
恥ずかしいけど。

✕✕✕

私のもとには、透明な歌姫の動画は流れない。
想い出の歌は、聴くよりも歌う方が苦しくなるんだ。

高校を卒業するとき、
卒業アルバムを作るためにみんなに好きな歌を聞いたよね。
いつかこの透明な時間を忘れてしまうのが嫌で、どこかに今の欠片を渡せばさびしくないと思えた。

その欠片を静かに流したら、
どこかにいる友達になっていたかもしれない誰かに届いてくれた。
なにか特別なものを作れた気がして、ドキドキしたのは本当だ。

だけど、私は透明でいたい。
あの日の、何者でもない想い出でいたい。
こんな165センチのちっぽけな体じゃなく、
無限の何者にもなれる私からキミに送りたい。

動画の収録を終えて一息つくと、昔の友達から着信があった。
『ねえ、元気? なんかさ、急に話したくなっちゃって』
「うん、久しぶりだね。どうしたの?」
『うまく言えないんだけど、なんとなくなにかをしたいなって思ったの。一人で終わらないような、なにかを』
「わかる。そんなときってあるよね」
『てかさ、──ちゃんの声最近聴いた気がするんだけど』
「気のせいだよ」

何者でもない私たちは、そのままなんとなく週末に遊ぶ約束をした。
空が澄んでいる。
こんな日はカラオケボックスを避けて、外で遊ぼう。

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