なぜ俺は、他人から「それでいいんだよ」と言ってもらいたいのだろうか。他人の評価に自分の評価を委ねている。おかしい
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他人の評価に自分の価値を委ねてしまう気持ちは、誰でも経験することだ。
それは、社会的な存在として生きる中で、人は他者との関係性や承認を求める傾向があるからだ。
人間は本質的に社会的な生き物であり、他者からの承認や評価が自己認識や自己価値感に大きな影響を与える。「俺って、価値のある人間?(社会的に)」
自分に価値があるかどうかは、《《社会的には》》、絶対的に他者を必要とする。
これは、幼少期から始まる社会化の過程で、親や教師、友人などからのフィードバックによって自分がどのように見られているかを学ぶからだ。
人間は、ひとりでは生きていけない。俺は、生きることに責任を持っているのだろうな。つまり、生きていたい。
しかし、他人の評価に過度に依存すると、自己の価値を自分で評価する力が弱まってしまう。他人の意見がないと、なにも出来なくなってしまう。
俺が「それでいいんだよ」と言ってほしい理由の一つは、他人が俺を肯定する言葉が、内的な自信を補完する役割を果たすからかもしれん。
つまり、俺には自信がない。誰だって不安がまったくないなんてことはないだろう。俺だって、不安になることがある。「俺は、他人からどう見られているのだろうか」
愛は、自分→他人→みんなで完成する。自分ひとりでは、未完成なのだ。きっと、それは自分が自分を愛する愛であっても。自分を含まないみんなはない。
この傾向を変えるためには、以下の点に取り組むと良いかもしれん。
• 自己認識の強化: 自分が何を大切にしているか、何に価値を見出すかを明確にし、それに基づいて行動すること。つまり、自分がやりたいことをやる。
• 自己肯定感の育成: 自分の成功や努力を自分で認め、褒める習慣をつける。日記やメモを活用して、自分の良かった点を記録するのも効果的だ。つまり、自分で自分を褒める。美点凝視
• バランスの取れた視点: 他人の意見を参考にしつつも、《《それが全てではない》》と理解すること。他人の評価に依存するのではなく、自分自身の基準を持つこと。つまり、自分の哲学を持つ。マイルールを作成するのだな。自分が持っている杓子定規で、物事を測ることだ。他人の視点を|蔑《ないがし》ろにしてはいけないがな。社会的に死にたくなければ。
他人の評価に一喜一憂することは、絶対に、避けられないかも知れない。PVと♡☆に、自分の気持ちを支配されている。トホホ
だって、人間はひとりでは生きていけない。人間の本質は実に社会的だ。しかし、最終的には自分の価値を自分で見つけ、認めることが重要だ。「俺って、なにがしたいんだろ?」
それはなぜか? それは、愛の完成への道程が、必ず自己愛を基点とするからだ。
自分のやりたいことをやって、自分を褒めて、他人の評価と同様に、自分の自分に対する評価を大切にする。
自分を愛する心を右の翼にして、他人を愛する心を左の翼にして空を飛ぶ。
そういう執筆活動をやっていきたい。
2025年1月4日 年始の近況報告でした。まる