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読者に寄り添うとは…?


昨日の今日、小説はおやすみとか言ったそばから独り言は大いに投稿し対価発芽。

読者を意識したかと言えば、サッカーのサポーター(ロミジュリ)は、ちょっと意識したのですよ!(当社比

もちろん、私の好きなものを押し付けた感あるのですけども💦
サポーターたちの対立とか、雰囲気が全く知らない人に伝わればいいな思いながら書きました。(サッカー知らなくても、ほかのスポーツやなにかに置き換えて、みなまで書かなくても伝わっていたのかもしれませんが)

楽しんでもらいたいと思いながら、書いてて楽しかったのは自分です笑
でもやっぱり落ち着いて見れば、自分の好きなものは別に相手には好きでもなかったりするわけで、どう押し付けとかではなく、楽しんでもらったり、切なくなってもらったり、してもらえるのか。自分で書き上げたものを、冷静になって見ていきたいものです。


悪役令嬢が畑仕事して、ダイコンに負ける公爵さまの話も、面白かったっていってもらえたんですけど。アレは私は書いてて、よくわからなくなって、今、思い出してもよくわかってません!!!

でもある意味で、chat GPTに悪役令嬢とはなにか、溺愛ものとはなにかを書きながら、書いたので読者意識したと言えばしたに入るのでしょうか……?


読者意識するとは、真心を込めるという感じでしょうか。もう少し、誰かに話しかけるように書けたらいいなって思いました。

2件のコメント

  • 難しいですよねー。

    読者に擦り寄る……のは違いますし。
    そもそも大勢に読まれている感覚がないので余計に意識が難しい気がします(^_^;)

    子ども達の大会時に、先生がよく「人に見られている自覚をもて!細部まで神経いったやつじゃないと上にはいけん!」と言っているのと似てるなあ……なんて。

    私も意識が足らないな、と思いつつ、どこに意識をやれば良いものやら。悩む事が勉強なのでしょうねえ(汗)
  • >東雲晴加さま

    たしかに!ずっと片隅で書いてきたので、そもそも誰かに読んでもらうって意識が疎いのもあります。
    フィーリングで読んでるので、「これは自分に合わなかったんだな」で終わらしていて、どうして面白くなったのかまでは、分析してなかったと改めて思ったらします。
    いやでも、ちょっと深みにハマってるかも…?

    自分がふわっとしたから読んでないから、自分の作品をどう読まれているのかも、考えたことなかった…。

    周りにどう思われてるのかの意識、
    自分はどう周りをみているのか。もっと周りに興味を示していくことから始めないとダメかも

    なんていろんなことを考え始めてます。
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