こんばんは。ホワイトデーですね。
現在は「秋霖ピアス」を連載中。
読んでいただいて、ありがとうございます。
また、投稿が不定期となってしまい申し訳なく思っています。
以下には、言葉が浮かんだときに書き置いていた近況を。
第2話には『雨音に負けない、芯の通った高い金糸雀の歌声が、なおやの耳元で美しい雨を歌う。』という、なおやがワイヤレスイヤホンで音楽を聞いている描写があります。
以前、X(旧Twitter)にて小説を音読しますよ〜みたいなスペースの存在を知り、そこで「秋霖ピアス」を読んでいただいたことがあったのですが。
雨を歌うという表現に少し驚いているご様子でした。
第5話までは、連載を考えていなかった時にかなり衝動的に書いたものだったので、表現が攻めているといいますか。独特なところがある気がしないでもないって感じかと。
第6話以降も書き始めて、1〜5話を見直したことはあったのですが。自分の文章らしさだと思ったので残しています。
どこまでが小説的表現として許容されるかという区切りは、これからも研究していきたいですね。
小説を書きたいと感じたきっかけは、自分が書いた文章を母が当てたことでした。
というのも中学生の頃、1クラス1人が採用され、学年だよりに掲載される学校行事の感想の欄がありまして。
スキー体験で書いた感想が選ばれた時、自分は母に「どれが自分のだと思う」と聞きました。
全員分、5クラスあったので5つに目を通した母は多少迷いはしたものの、見事に自分が書いた感想を指差しました。
「なんでわかったの?」と驚きながら聞くと、「雪山の景色がよく浮かんだから」と。
自分は確かその時、母は自分の書いた文章がわかるんだと、心の内で喜んだはずです。そう記憶しています。
この思い出は、きっとこれからも忘れることはないと思いますし。
自分が文章を書くモチベーションの根底は、胸を張ってこれだと言えます。
人が書いた文章には、たとえ微々たるものでも癖がうまれる。
長く読むことで感じられる、言語化できない雰囲気。感銘を受ける、初手一文の運命的な出会い。分の要素のバランス。
その、小さいようで大きな差異は、書き続けることに対し十二分な理由です。
世界に80億人が存在して、その物語の続きを知っているのは、たった1人。
その表現を、その字並びを選ぶのは貴方、たった1人。
それを、とても大好きなことだと思うのです。
最後に、彼らの物語は小説としての結末へと、緩やかに進んでいます。
これでは足りないと、つい自身の完璧主義な部分が顔を出し、投稿までに時間を有していますが、必ず終幕まで書き続けます。
勝手ではありますが、それまでは気長にお待ちいただけるとありがたいです。
結びに、貴方へ心からの感謝を。
そして、これからも、なおやたちを見守っていただけると嬉しいです。
ここまで読んでくださった方の、息災を祈ります。