今年のカクヨムは自分にとってAI小説の年だった.
驚きから始まり,そして年内にはすでにAI小説の希少性がほとんどなくなってしまった.
AI小説の程度にもいろいろあるが,創作者や読者にとっていろいろな形でAIが浸透していった2025年だったのではないだろうか.
私はいま学位論文のために論文執筆をしている.そのなかでLaTexという厄介者を使っているのだけれど,表作成をしたり数式を作成したり,とにかく何でも体裁よく整えてくれるけれど,記述が面倒くさいものがあって.それを Cursor や Antigravity といったようなLLM駆動がメインの IDE を自身の研究プロジェクトディレクトリで使用することで,コードベース理解をしたうえで,スムーズにLaTex記述してくれる.これほど便利だと思ったLLM活用の瞬間はないかもしれない.
それと今年になって音声入力をめちゃくちゃ使うようになった.もちろん執筆には不向きだけれど,アイデア出しをするに限っては,今のLLMととても相性がよい.少しの誤認識があっても,しっかりと私の考えている内容,さっき喋っていた内容が何の間違いもなく構造化されてまとまっていく.
認知的負荷や作業負荷があらゆるシーンにおいて,下がっていくのが,日々の作業改善のただ中でわかる.
自分の作業において,こういう自動化したいなと思ったら,すぐにそういうものが作れてしまう.音声入力で,LLMで.本当にすごい時代になったものだ.
しかし,懸念するところもある.
それは,認知負荷が下がっていくことに対する危機感だ.作業負荷と認知負荷が重なり合う部分も多くあるが,実際に私たちが私たちの人生を全うするためには,この認知負荷が不可欠だと私は思っている.
悩み,苦しみ,考え抜き・・・
何かを習得しようとしたり,楽しもうとしたり,学ぼうとしたり.
そういうときに発生する心地よい負荷.認知的な負荷.これが私たちを対象へ深く埋没させてくれる.ネガティブでいて,ポジティブな要素.没頭.
LLMは私たちの面倒くさいを避ける本能を極度に最適化してしまう.局所解へ留まることを許してしまう.変な解へハマり込んでしまうことを推奨しているかのように,私たちの行動や思考の幅を狭めていっているように思えてしまう.
技術は私たちのできることを増やしてきたのかもしれない.しかし,一方でその技術の利用を想定した範囲でできることを限定しているともいえる.
まるで,一本のレールのうえ(歴史)を私たちは歩かされているようだ.気まぐれな技術が作用してまるで確率的な偶然性の選択の度重なる分岐点を私たちは彷徨うように歩いているようだ.
私は特定技術の利用が前提になった世界を否定はしない.だけれども,それによって昔の自分を,感じていたことを,すっかり忘れてしまうような生き方は嫌だと強く思う.便利のなかに埋没したくはないと強く思う.私だけの意思決定とは何かを日々の中で問うていきたい.
自分がぐるぐると大きく揺れ動いているのがわかる.どうなっていくんだろう.怖い.怖いけれども,技術が私を,世界をどう変えていくのかを当事者となり考えていくのは,とても面白い.面白いことだ.
最近やっと自分にも活力が出てきたと思う.6年間ほんとうに自分に他人が住んでいるような感覚が続いていた.無気力でただ時間だけが過ぎ去っていった.
小説を書いたり,釣りに没頭したり,サカナクションを好きになったり,旧友と今まで以上に親しくなったり,思い返せばいろいろあった.
無気力ながらも変わろうと努力していた痕跡があったとこを認めてあげたい.凄まじい無気力はまだ日々のなかでいっぱい私を襲ってくるけれど,今できることを着実に丁寧に楽しく没頭してこなしていきたい.
来年はどうなるだろうか.
飛躍の年にしたいと,抱負を立てることを恐れていた6年間だったけれど.そろそろ自分の人生を生きてみようと思う.
飛躍の年にしよう.