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子育て経験を魔改造して、青年の関係性小説に使う

いま書いている小説は、「言葉で伝わらないなら触れろ」の哲学、「言語より身体性」のオキシトシン哲学で書いています。



小説の主人公たちは二人の青年ですが、発想元は、キッズの子育てです。

とりあえず「抱っこ!」と言いまくる子供たちを見て、「人間の根源欲求は、触れ合いと安心からくる承認だよな」と、つくづく思います。



実際、触れ合うことで分泌されるオキシトシンのストレス軽減効果は、すさまじいものがあります。

日々キッズを抱っこしてて、そう思います。


一方、大きくなるにつれ、身体的な接触は極端に減ります。女性よりも男性の方が、相互ケアの機会は減ります。



でもそれはつらい、人のぬくもりはストレスを解消するし、自分の居場所を思い出す、と私は言いたい。

なので、大人になってももっと触れ合え、キッズの心を思い出せ、原初の心に還れ、というつもりで、小説を書いています。

大人だからこそ、「触れて安心したい」原始の欲求を思い出して、大事にしてほしい。

人間は、過酷な世界の中、穏やかに安心して眠るために技術を磨き進化してきました。

それゆえ、幸福とは、穏やかに触れ合って眠ることだと思うわけです。

1話は、わりとその哲学がど直球に出ていると思います。




子供と一緒にくっついて寝ていると、つくづくそういうふうに思います。

その日々の経験を、砂漠の限界感情に魔改造するのが、小説を書く醍醐味でもあるわけです。


小説トップ↓
https://kakuyomu.jp/works/16818792440695617972


2件のコメント

  • うちは娘なんですがいくつまでこうしてひっついて来てくれるんかなぁ?と戦々恐々としております。
  • そうですよね。この幸せを味わっておかねば、と思っています。
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