ざっと十年前のことである、推しがバンドを解散した。
もともと彼が一人で作詞作曲をしていたようなバンドだったから、辞めたくなる気持ちもうすうすは分かっていた。雑誌のインタビューで、『自分が必死にレコーディングをしている隣の部屋で他のメンバーが酒盛りしてぐでんぐでんに酔っぱらっている』と、はっきり文句もこぼしていたのだ。
しかし、告知は唐突に理由もはっきりとは明かされず、そしてファイナルツアーもなしという状況は私を打ちのめした。
――だが、推しは着実に活動を続けていた。
解散から一年でバンド時代から行っていたソロ活動のセカンドアルバムを発表したのだ。
なんと、それにともないツアーもやるという。
私はそのころ、ちょうど会社を辞めて失業保険で暮らすけっこうなご身分だったので、行くしかないと思った。
推しは、そのころバンドをやっていないせいで界隈ではほぼいない存在になっていた。
チケット売り出し時間早々にアクセスした結果は、見事整理番号七番という喜んでいいのか微妙な数字を出した。
そして、私は片道五時間かけて見知らぬ土地へと押し活旅行をした。
ずんだ餅を食べたり、伊達政宗公とコラボしたドラちゃんのキーホルダーを買ったり、博物館へと行ってみたりと旅行もじゅうぶんに楽しんでいざ会場へ。
そこで私は呆気に取られた。
開場十分前にもかかわらず、人が一人もいないのだ。
あっという間に開場を迎えた。そこでさらに驚かされたのはエッセイのタイトルの事項である。
そこには、段差も柵もなく、最前列からの距離はほぼ七十センチほど。そこにパイプ椅子が整然と並んでいる。
――マジかよ!
ほとんど心のなかで叫びながら一番前の椅子に座った。
開演の十分前になって、やっと人が集まってきた。周囲の椅子が埋まり、その後ろのスタンディングスペースにも大勢の人間。
騒がしくなってきたと思ったころに、推しと、サポートスタッフが現れた。
私は、情けないことに固まっていた。そもそも椅子があることが初めてなのである。もっぱら行くのはオールスタンディングのみ。モッシュやダイブに揉まれて、踊りながら聴くというスタイルしか知らないのだ。
「来てくれてありがとうねー」
アルバムの一曲目が始まった。することがないので、一緒に歌う。
――近い。ギターピックが飛んだら確実に当たる距離である。
目の前に推し。目が合うどころじゃない。かち合うとでも言ったほうがてっとり早い。
緊張して、MCの内容が余り入ってこない。
モッシュがしたい。身体を他人とぶつけあって、跳ねながら曲を聴きたい。
中盤、推しは『仙台の歌』という即興の曲をやってくれた。
しかし私はアウェイの人。歌詞の内容が分からないが、爆笑している周りに合わせて笑っていた。
終盤はアップテンポの曲が多くなり、たぶん後ろのお客は椅子から立ち上がっているだろうなーと思いながら口ずさんでいた。
こうしてライブは終了。ワンマン、というか推しの一人のライブなので当然推しは物販にもいた。シャツや推しの掘った版画のエコバッグなどを購入。物販がはけると推しと話をさせてもらえる機会に恵まれた。サインと写真に快く応じていただく。
そこで、ずっとこちらを見ている女性がいた。
「『推し』さん、ちょっと失礼します」
私は彼女のもとへ行った。そして、どうしてこちらを見ているのかを訊いてみた。
彼女は、どうしても写真を撮りたいのだが、勇気が出ないという。
「すいません、この方と写真を」
彼女の腕を引っ張って連れてきて、そう推しにお願いすると、彼はこの日一番の、ライブでも見せなかった良い笑顔になり、私に「ありがとう」と言って彼女と写真を撮った。
結局、推しが帰るまで私とその彼女は会場に残り、黒いワンボックスで去る推しに手を振ってもらった。
聞けば彼女も遠征組で、駅まで一緒に話をしながら歩いた。
駅で別れて、また五時間かけて帰る。
帰りの四人一部屋の寝台で、隣のおじさんグループが、「女性が俺たちの席にいたらかわいそうだろう!」と駅員さんにかけあってくれて、私は静かで広い四人スペースを占領し、アプリのメガテンをやって時間を過ごした。
これが、おそらく人生で最初で最後の推し活メイン事件の詳細である。
今でもグッズは宝物で、特にトートバッグは友人に可愛いと褒めてもらえる。
写真とチケットの半券も手帳のなかにて健在だ。
ちなみに推しはメンバーをほんの少し変えて、バンドを再結成し全国を飛び回っている。
――私も、モッシュは辞めたけれど、後ろのほうで酒類のドリンク片手に、彼やメンバーを応援し続けている。
―了―