『臨界のアルケミー』の制作裏話、5回目です。今回は、この物語のタイトル———「アルケミー(錬金術)」の核心に、少しだけ近づく話をします。
これから読む方には、ほんの少しだけ物語の"匂い"に触れる回になります。核心そのものは伏せますが、気になる方は、本編を読んでからのほうがいいかもしれません。
■「団信」という、身近な保険
家を買うとき、ほとんどの人が住宅ローンを組みます。そしてそのとき、多くの金融機関で加入が必須になるのが、団体信用生命保険———通称「団信」です。
仕組みは、驚くほどシンプルです。ローンの契約者が、返済の途中で死亡(または所定の高度障害状態に)した場合、保険金がローンの残りをすべて肩代わりして、残債がゼロになる。遺された家族は、ローンのない家に、そのまま住み続けられる。
つまり団信とは、「契約者にもしものことがあっても、家族に借金を残さない」ための、家族の命綱です。何千万円というローンを背負う人にとって、これほど心強い仕組みはありません。事実、これは善意で設計された、まっとうな保険です。
■「死ねば、チャラになる」という事実
この仕組みを、少しだけ違う角度から眺めると、そこには、ぞっとするような一面が現れます。
団信に加入した人間が死ねば、住宅ローンは消える。これは裏を返せば、「契約者の死」そのものに、ローン残高と同じだけの金銭的価値がある、ということでもあります。数千万円の借金が、一人の死によって、一瞬で消滅する。
普通に暮らしている限り、この事実は、ただの安心材料でしかありません。誰も、そんな角度からこの保険を見たりしない。
でも、もし———
借金に、家族の負債に、逃げ場のないほど追い詰められた人間が、ある夜、ふとこの仕組みの"別の顔"に気づいてしまったら?
自分の死が、家族を救う金に変わる。鉛が金に変わるように。
主人公・匡が「錬金術」と呼んだものの、入り口はここにあります。
■そこから先は、書きません
匡が、この発想をどこまで突き詰め、そして何をしたのか。それは、本編を読んで確かめていただくしかありません。
ただ、この物語の恐ろしさは、特別な悪人が特別な悪事を思いつくところにあるのではない、ということです。誰もが加入している、ごく当たり前の保険。その仕組みそのものの中に、彼を破滅へ導く発想が、最初から静かに埋め込まれていた。
「完全犯罪は、手作りできる。」
このキャッチコピーの"材料"は、私たちの誰もが、すでに手にしているものなのかもしれません。
次回は、シリーズの中での一番重く、それでも書く必要があった命の喪失の「手続き」について書きます。
『臨界のアルケミー』全30話・完結済み https://kakuyomu.jp/works/2912051599243086716