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君の恋人は、そこにはいない メイキング (本編ネタバレ注意)

この度は、『君の恋人は、そこにはいない』をお読みいただき、誠にありがとうございます。

作者の水越ゆきです。

本作はKADOKAWAのホラーコンテスト応募作として執筆したため、本編にあとがきを載せることができませんでした。
ですので、この場を借りて、少しだけ作品の裏側をお話しできればと思います。

今回は特別に、物語の「設計図」ともいえる、執筆前のプロットを全文公開します。

私は一つの物語を全力で駆け抜ける短距離走のようなスタイルでして、シリーズものを書くのは少し苦手です(笑)
その分、一つの作品にかける設計には、強いこだわりを持っています。
執筆を始める前に、物語の核となるログラインやテーマ、全体の構成、そして伏線と回収(プラント&ペイオフ)に至るまで、詳細に設定を固めていきます。
これは以前、映像制作に携わっていた経験から身についた姿勢でして、「広げた物語は、責任を持って畳み切る」ことを常に信条としています。

物語をそのまま味わっていただくのはもちろん最高に嬉しいことですが、作者がどのような意図でこの物語を構築したのか、その設計図を覗いてみるのも、また違った楽しみ方ではないかと思います。
本編に至るまでに変更された初期案との違いなど、皆さまなりの発見を楽しんでいただけたら幸いです。

※私が初期に書いたMarkdown形式を機械的に変換してるため、一部読みづらい部分があったら申し訳ありません。


0.コンテスト要求分析
ジャンル:ホラー、学園もの、青春、エンタメ、隠し要素でモラトリアム
作品傾向:審査委員の傾向から人間の根源的な恐怖、学園ものと青春の組み合わせからゴアではなく、サイコスリラー系を希望か?(想像)
対象読者:30代前後の男女、2008年代のMMOをプレイしていた人たちをターゲットにする。ただし、モラトリアムなどの観点から10代もキャッチアップする。

1.ログライン (Logline)

「優等生」の仮面を被ることに疲弊した主体性のない男子高校生が、いじめられっ子の同級生を助けたことをきっかけに始めたオンラインゲームで、理想の人物「ゾンデビ」と出会う。彼の導きで自信を取り戻していくが、やがてゾンデビの現実の姿である完璧な女性「みのり」に心酔し、彼女に依存することでしか自己を保てなくなっていく。しかし、その完璧な彼女の正体は、彼を独占するために周到な計画で理想の女性を演じていたいじめられっ子の同級生であり、愛と信じたものの全てが虚構だと知った時には、彼はすでに彼女の作り上げた世界から逃れられない共依存の関係に囚われていた。

2.テーマ/コアステートメント (Theme/Core Statement)

自己肯定感と他者承認の罠: 他者からの評価(「優等生の遥」)によって自己を規定されることの危うさと、真の自己肯定感を他者への依存(みのりへの心酔)によって得ようとすることの末路を描く。「自己を見失った人間は、たとえそれが巧妙に作られた虚構の愛であっても、自らを肯定してくれる存在に依存し、やがては主体性を奪われ、支配される運命から逃れられなくなる」というコアステートメントが根底にある。

現実と虚構の侵食: 現実の息苦しさからの逃避先であったオンラインゲームという「虚構」が、いつしか「現実」を侵食し、最終的に主人公が「作られた虚構(みのりとの関係)」の中でしか生きられなくなる様を描写。どこからが自分で、どこからが演じている自分なのか、その境界線が曖昧になることの恐怖を示唆している。

愛と支配の表裏一体: 遥とみのり(篠原)の関係は、純粋な愛と献身に見せかけた、篠原による周到な計画に基づく「支配」である。愛の名の下に行われる精神的な束縛と、孤独を埋めるための「依存」が、いかにして歪んだ共依存関係を形成するかを問いかける。

3.登場人物 (Characters)

遥 (ハルカ・ハル):
役割: 主人公、物語の視点人物。
人物像: 真面目で優しいが、それは周囲の期待に応えようとする「優等生」のペルソナ(仮面)。内面では自己肯定感が低く、強い孤独感と、自分の意思で何かを決めることへの恐怖を抱えている。流されやすく、精神的に依存しやすい性格。
変化/結末: 当初は虚像である自分に苦しんでいたが、ゾンデビ(みのり)との出会いを通じて一時的に行動力を得る。しかし、それは自立ではなく依存先の乗り換えに過ぎなかった。みのりへの愛が深まるにつれて、彼女の言葉だけが自分の価値基準となり、思考を放棄していく。最終的には、みのりの正体が篠原であるという衝撃の事実を知っても、彼女が作り上げた虚構の世界で生きることを受け入れ(あるいは、受け入れるしか選択肢がなく)、完全に彼女の支配下に入る。

篠原 みのり(しのはら みのり)/ゾンデビ(ゾンビデビル):
役割: ヒロインであり、物語を操るアンタゴニスト(敵対者)。
人物像(ペルソナ):
篠原: クラスでいじめられている、内気でか弱い少女。遥に助けを求める存在。
ゾンデビ: ゲーム内の豪快で頼りになる兄貴的な存在。遥を導き、勇気づける理想のメンター(男性アバター)。
みのり: 銀髪でミステリアスな、非の打ち所がない美しい女性。遥の理想を完璧に体現し、彼を優しく包み込み、全てを肯定する聖母のような存在。
本質: 極めて計算高く、執着心が異常に強い。いじめられた経験から「ありのままの自分では愛されない」という深いコンプレックスと、自分を救ってくれた遥への歪んだ感謝・独占欲を抱えている。遥の好みや弱さを徹底的に「観察」し、複数のペルソナを完璧に演じ分けることで、彼の心を計画的に手に入れていく。彼女の行動原理は「愛」であるが、その表現方法は完全な「支配」である。

4.モチーフ/シンボル (Motifs/Symbols)

ピアノ/譜面: 当初は遥の「優等生」という役割を象徴する義務的な行為。しかし、物語の終盤では「彼女の譜面の中でしか生きる方法を知らなかった」という比喩で、遥が完全に篠原の描いた筋書き通りに生きるようになったことを示す、「支配と被支配の関係性」の象徴へと変化する。
オンラインゲーム『Lunaphelle Online』: 現実からの逃避先であり、ペルソナ(偽りの自己)を纏って他者と交流できる場所。遥と篠原(ゾンデビ)が出会う、「虚構の世界への入り口」を象徴する。
ウィッグとカラーコンタクト: 篠原が「みのり」を演じるための物理的な道具。他者を欺き、自己を偽る「ペルソナ(仮面)」そのものの象徴。
二つのチョコレート(みのりの黒い箱/篠原の水色の箱): 遥の「決定的な選択」を象徴するアイテム。篠原の告白(現実)を拒絶し、みのりとの「元には戻れない」虚構の関係(黒い箱)を選ぶことで、彼の運命は決定づけられる。
高級ボールペン: みのりが遥に贈ったプロポーズの返礼品。「大事な約束をするときに使う」という名目で渡されるが、実質的には遥を法的に縛る「婚姻届という契約書にサインさせるための道具」であり、支配の最終段階を象徴する。
写真: みのり(篠原)が呟く「『残す』って、不思議だね」という言葉に象徴される、「関係性の固定化への執着」。消えゆく現実の中で、遥との関係だけは形として永遠に残したいという彼女の強い願望を示す。

5.時系列スクラッチ (Timeline Scratch)

物語は約1年半の期間を描いている。

(1)高校2年の2学期頃: 遥と篠原の出会い。遥が『Lunaphelle Online』を始める。
(2)同 秋: ゾンデビとの出会い。文化祭の合唱練習と本番。合唱は成功。
(3)文化祭後: ゾンデビ(みのり)とオフラインで初対面。関係が始まる。
(4)同 冬: 後期中間考査。イルミネーションデートで一夜を共にする。
(5)冬休み〜3学期: 初詣。進路相談で遥は地元就職を決意。
(6)2月14日(バレンタインデー): 篠原からの告白を断り、遥はみのりとの関係を決定的に選ぶ。
(7)3月14日(ホワイトデー): プラネタリウムデート。
(8)高校3年: 就職試験勉強。
(9)同 秋: 市役所採用試験。2度目の文化祭。みのりが遥の学校を訪れる。
(10)試験合格後(冬): イルミネーションデートで遥がプロポーズし、成功。
(11)同 冬〜3月: 両親への挨拶、顔合わせ。新生活の準備。
(12)卒業後の3月: 市役所の窓口で婚姻届を提出。全ての真相が明らかになり、遥は篠原(みのり)の支配を受け入れる。

6.構成 (Structure)

物語は典型的な三幕構成に沿って展開し、終盤でジャンルが反転する構造を持つ。

第一幕: 設定(Setup)
「優等生」の仮面を被る遥の日常と苦悩。
きっかけ(Inciting Incident): 篠原を助け、オンラインゲームの世界に足を踏み入れる。
葛藤: ゲームに没頭し、頼れる存在「ゾンデビ」と出会う。現実の篠原いじめ問題に直面し、どうすべきか悩む。

第二幕: 対立(Confrontation)
前半(上昇展開): ゾンデビの助言を元に行動し、文化祭を成功させる。小さな成功体験を通じて、遥が成長しているかのように描かれる。
ミッドポイント(Midpoint): ゾンデビが理想の女性「みのり」であることが判明。物語が「自己成長物語」から「恋愛物語」へと大きく転換する。遥の目標が「自己の確立」から「みのりとの関係維持」へとすり替わる瞬間。
後半(下降展開): 遥はみのりに完全に依存し、彼女中心の世界に生きていく。篠原からの告白を断る(Point of No Return)。プロポーズを経て、みのりとの結婚というゴールに向かって突き進む。随所に散りばめられたみのりの意味深な言動が、サスペンスの色を濃くしていく。

第三幕: 解決(Resolution)
クライマックス: 市役所での婚姻届提出の瞬間。みのりがウィッグを外し、正体が篠原であったことを告白する。彼女の計画、執着、そして歪んだ愛の全てが遥に明かされる。
結末: 遥は抵抗できず、あるいは自ら望んで、篠原が演じる「みのり」との生活を受け入れる。彼は主体性を完全に放棄し、彼女の作り上げた「譜面」の上で生きていくことを選ぶ。
最終イメージ: 二人の影が重なり、深く沈んでいく描写。救いのない、閉じた世界で二人が永遠に結ばれたことを示唆する、悲劇的で美しいバッドエンド。

7.プラント&ペイオフ(伏線→回収)

篠原がゲームを「昔、少しやっていただけ」と言いつつ、専門的な知識を披露する。→ 彼女こそが熟練プレイヤー「ゾンデビ」本人であった。
ゾンデビが遥に「君が彼女(篠原)を助ければいい」と、まるで他人事のように助言する。→ 篠原が自分自身を助けさせるように、遥を裏で操っていた(マッチポンプ)。
遥が、みのりとデュエットした際に彼女の歌声に「既視感」を覚える。→ その声は、文化祭で一緒に練習した「篠原」の歌声だった。
みのり(篠原)が、一夜を共にした際に遥の肌に爪で「消えない印」を刻む。→ 二人の関係が単なる愛情だけでなく、逃れられない「所有」「契約」であることを物理的に象徴する。最終的に遥がみのり(篠原)の支配から逃れられなくなる運命(結婚)を決定的に予兆する。
みのりがデート中に「ハルくんが思ってるような私じゃないかもしれないよ?」と繰り返し警告する。→ 彼女の正体は遥が知る「みのり」ではなく、「篠原」であることを示唆する最大のヒント。
篠原が「私と遥くん、足して二で割ったくらいがちょうど良さそうだね」と意味深に呟く。→ 遥の「他者の期待に応える」性質を利用し、自分が理想の存在になることで彼を支配しようとする計画を示唆していた。
みのりがバレンタインチョコを「これを食べたら、もう元には戻れない」と言って渡す。→ このチョコを選ぶことは、篠原の計画を受け入れ、後戻りできない道へ進むという契約を意味していた。
みのりがプロポーズの返礼に「大事な契約に使う」として高級ボールペンを贈る。→ それは遥を法的に束縛する「婚姻届」にサインさせるための道具だった。
両親との顔合わせで、みのりがウィッグを「コンプレックス」だと説明する。→ それは偽りであり、正体を隠すための道具だった。このカミングアウトで遥の両親を信用させた。
婚姻届を提出する際、遥は内容をよく確認せず、みのりに任せきりにする。→ そのため、提出の瞬間まで「篠原みのり」という名前に気づかなかった。
篠原が「あのとき彼⼥が僕を逃がさないと決めていた」と遥が回想する冒頭の記述。→ 物語の全ての始まりが、篠原の計画であったことを示す、冒頭に仕掛けられた最大の伏線。

8.叙述・視点・演出方針

視点: 物語は一貫して主人公「遥」の三人称一元視点で語られる。これにより、読者は遥の主観(孤独、恋心、依存)を追体験し、彼と同じように篠原の計画に気づかないまま物語を読み進めることになる。この視点こそが、結末の衝撃を最大化するための叙述トリックの根幹となっている。

叙述: 遥の心理描写が非常に丁寧で、彼がみのりに惹かれ、依存していく過程に説得力を持たせている。一方で、みのり(篠原)の心情は一切語られず、彼女の行動や意味深なセリフのみが提示されるため、ミステリアスで不穏な雰囲気が醸成される。

演出方針:
ジャンルのスイッチング: 物語は「①冴えない少年の成長物語」→「②甘美な恋愛物語」→「③サイコホラー/サスペンス」へと巧みにジャンルを変化させていく。読者を安心させたところで、徐々に違和感を植え付け、最後に突き落とす演出が効果的。
比喩表現: 「彼女の譜面の中でしか生きられない」「呪いの調べ」「深く沈んでいく」といった文学的な比喩表現を用いることで、遥の精神的な隷属状態と逃れられない運命を詩的かつ印象的に描き出す。
音響演出(映像化する場合): 真実が明かされる市役所のシーンでは、周囲の雑音を全て消し、篠原の告白の声だけが響くような演出が考えられる。遥の主観的な世界の崩壊を音で表現する。

9.リスク&整合性チェック

ここは秘伝のスープ(アキレス腱)なので省略

10.登場人物(初期案)との比較分析

プロットで描かれる遥と、提示された初期案の遥では、その人物像と物語における役割が根本的に異なる。両者の差異は、物語のジャンルそのものを「心理ロマンス」から「心理ホラー」へと変質させる決定的な要素である。

初期案の遥:仮面の下に「能動的な自我」を隠し持つ少年
立場と仮面: 「学年一の美少年」と称されるクラスの中心的な人気者。しかし、その完璧な優等生という姿は周囲の期待に応えるための「仮面」であり、本人は強いプレッシャーと孤独を感じている。
隠された本質: 仮面の下には、「大胆で少し強引」「寂しがり屋で甘えん坊」という明確な自我(本当の自分)を隠し持っている。彼の葛藤の核心は、この「本当の自分」を受け入れてほしいという自己開示への渇望である。
物語への影響: この遥が主人公の場合、物語はみのり(篠原)によって「仮面」が剥がされ、隠された自我が解放されていく「心理ロマンス」となる。彼の持つ「大胆さ」が、篠原の計画に対して予期せぬ抵抗やカウンターとして機能し、二人の関係はより対等で複雑なパワーゲームになった可能性が高い。

プロットの遥:虚像の裏に「受動的な空白」を抱える少年
立場と虚像: 成績優秀な「優等生」ではあるが、クラスの中心というよりは「周囲から期待される役割をこなす存在」。彼の完璧さは虚像であり、その内側は空虚である。
本質: 彼の葛藤は、演じるべき役割(虚像)と「本当の自分が何なのか分からない」という自己の不存在から生じる。彼には初期案のような明確な自我がなく、常に他者からの評価や指示によって行動する受動的な存在である。
物語への影響: この遥が主人公であるからこそ、物語は「心理ホラー」として成立する。彼の心の「空白」は、篠原にとって自身の理想を書き込むための完璧なキャンバスとなる。彼は支配に抵抗する自我を持たず、むしろそれを「救済」として受け入れてしまう。彼の主体性の欠如が、篠原による完全支配を可能にしている。

11.舞台装置としての『Lunaphelle Online』

『Lunaphelle Online』は単なるゲームではなく、主人公・遥の心理状態を映し出し、物語のテーマである「現実逃避」「孤独と絆」「虚構による救済」を象徴する、極めて重要な舞台装置として設計されている。

世界観と雰囲気の役割:
「月の都ルナフェル」を舞台とし、「月夜」「星明かり」が特徴的な幻想的、かつ「どこか“もの寂しい”」世界観。これは、現実世界で孤独を感じる遥の心象風景と強く共鳴し、彼にとって心地よい「精神的な逃避場所(サンクチュアリ)」として機能する。
メインテーマ曲の「寂しさと温かさが同居する旋律」や、ノスタルジックなグラフィックは、遥が現実よりもゲーム内で素直になれる環境を演出し、彼が他者(ゾンデビ)に心を開くための説得力を与えている。

ゲームシステムと物語の連動:
ソロプレイも可能だが、「協力クエスト」や「露店」での交流が盛んな設計。これは、他者との繋がりを渇望しながらも現実では踏み出せない遥の欲求を満たし、ゾンデビ(篠原)が自然に彼に接近し、信頼関係を築くための導線となっている。
プレイヤー間のコミュニケーション(ささやき、チャット)が重視されている点は、遥がゾンデビに現実の悩みを打ち明ける舞台となり、篠原が遥の思考を誘導し、精神的な支配を確立していくための重要なプロセスを描写する。

テーマ性の象徴:
このゲームの根底にある「絆」や「孤独」というテーマは、物語全体のテーマと直結している。「いつの間にか消えているフレンド」の存在は、繋がりが刹那的である寂しさを示唆し、だからこそ遥は目の前にいるゾンデビという「絆」に強く依存していく。
「月下演奏会」など、遥のアイデンティティであるピアノとゲーム内イベントがシンクロする設定は、現実(ピアノ)と虚構(ゲーム)の境界を曖昧にする効果を持つ。最終的に遥がみのり(篠原)の作る虚構の世界を受け入れる布石となっている。この世界は、彼にとって「もう一つの現実」そのものであった。

12.分析:篠原がバレンタインに告白した理由 — 自己統合への渇望と破綻

みのりとして遥との関係が盤石であるにもかかわらず、なぜ篠原は「篠原」として告白するという、計画そのものを危うくしかねない行動に出たのか。この不可解な行動は、彼女の抱える根源的な矛盾と渇望に起因しており、物語の恐怖を深化させる重要な「仕掛け」として機能している。

分裂した自己と矛盾した欲求
篠原は「理想のペルソナ(みのり)」として遥と親密な関係を築く一方で、学校では「現実の自分(地味な篠原)」でいなければならない。この二重構造は、「遥が愛しているのは、私が演じる理想像であり、“本当の私”ではない」という深刻な自己否定を生み出す。ペルソナによる成功体験が積み重なるほど、その裏側にある「篠原」としての自己は満たされない空洞を抱えていく。結果、彼女は「篠原としても遥から肯定されたい」という、極めて矛盾した根源的な欲求に駆られたのである。

自己統合を賭けた最後の試み
この告白は、単なる願望の表明ではない。それは篠原自身にかけられた「理想を演じても決して満たされない」という呪いを解くための、自己を統合するための最後の賭けであった。遥との幸福が最高潮に達した瞬間に、あえて最も拒絶されるリスクの高い「篠原」としてぶつかる行為は、無意識下の自傷衝動であると同時に、分裂した自己を一つにしようとする悲痛な試みでもあった。

「回収されない幸福」という恐怖の核心
しかし、この賭けは失敗に終わる。告白を断られたことで、「現実の自分」は再び遥に拒絶されるというトラウマを再生産する。みのりとして得た幸福が、篠原としての不幸によって決して完全に満たされることはない。この「永遠に満たされない渇望」と「回収されない幸福」こそが、本作の静かな恐怖の核である。篠原も遥も、互いの“本物”の姿を完全には愛しきれず、また見抜くこともできずに終わる。この相互不幸が、物語に底知れない深みを与えている。

読者の違和感を誘う「ズレ」の演出
篠原のこの不可解な行動は、物語における効果的な「ズレ」として機能する。読者は「なぜ?」という強い違和感を抱き続け、その答えの無い問いがサスペンスを持続させる。そして結末で「みのり=篠原」という真相が明かされた時、あの告白が「理想による肯定」と「現実による肯定」の間に存在する、埋めがたい溝の象徴であったことが明らかになり、読者に深い戦慄をもたらすのである。

総括として、篠原の告白は、理想のペルソナを演じるだけでは決して埋まらない心の穴を満たし、「両方の自分」が肯定されることで初めて完全な救済を得ようとした、悲痛な叫びであった。そして、その願いが決して叶わないという事実、その永遠の渇きこそが、この物語を静かで、それでいて底知れない恐怖譚たらしめているのである。

13.遥のキャラクターアーク — 「成長」ではなく「自己の明け渡し」という悲劇

この物語における主人公・遥のキャラクターアークは、一般的な「成長物語」とは真逆の軌跡を辿る。それは、自己を確立していく「ポジティブアーク」ではなく、自己を失い、他者の作り上げた世界に囚われていく「ネガティブアーク」として設計する。

第一段階:自己の不在(The Lie / 虚構)
物語の冒頭、遥は「優等生」という虚像を演じているが、その内面は空虚である。彼には確固たる「本当の自分」が存在せず、「他者からの期待に応えること」が行動原理となっている。篠原を助ける最初の行動すら、「『優しい遥』なら、きっと。」という他者目線から発せられており、主体性が完全に欠如した状態から物語は始まる。

第二段階:代理の自我(The Crutch / 杖)
『Lunaphelle Online』で出会った「ゾンデビ」は、遥にとって初めての「杖」となる。ゾンデビの言葉に導かれ、遥は初めて「自分の意思で」行動したかのような成功体験(文化祭)を得る。しかし、これは真の自立ではない。彼の行動基準は「自分の価値観」ではなく、「ゾンデビの承認」へと置き換わったに過ぎない。彼は自己を確立する代わりに、思考を代行してくれる代理の自我を見つけたのである。

第三段階:自己の明け渡し(The Point of No Return / 後戻りできない選択)
ゾンデビが理想の女性「みのり」として現れたことで、彼の目標は「自己の確立」から「みのりとの関係維持」へと完全にすり替わる。そして迎えるバレンタインデー。篠原からの告白(現実)と、みのりからのチョコ(虚構)を前に、遥は明確に「虚構」を選択する。「お願い……僕を捨てないで」という懇願は、彼が自身の空白を埋める唯一の存在としてみのりに依存し、自らの意志で自己を明け渡すことを決意した瞬間である。

第四段階:隷属の自覚と肯定(The Fall / 堕落)
「それが偽物だとわかっていても、もう彼女の譜面の中でしか生きる方法を知らなかった」という内なる独白は、彼が自身の状態を客観的に認識していることを示す。彼は騙されているのではない。自ら進んで、その甘美な支配を受け入れている。プラネタリウムで口にした「自分で“選んだ”から」という言葉は、「隷属することを選んだ」という、最も皮肉で悲劇的な自己肯定である。

最終段階:アイデンティティの完全な喪失
市役所での最後の真実の暴露。ここでポジティブアークの主人公であれば、偽りだった関係を拒絶し、痛みと共に自立への一歩を踏み出す。しかし、遥はそうしない。なぜなら、彼のアイデンティティは既に「みのりの恋人である遥」として完全に上書きされており、それを失うことは、物語冒頭の「空っぽの自分」以下の状態、すなわち「無」に戻ることだった。

5件のコメント


  •  貴方は国常立尊(くにとこたちのみこと)が高天原から使わせた神の巫女ですか?それともプレアデス星団やって来た異星人でしょうか?
     なんちゅうことをしてくれたんでー。「銀河騎士隆盛 零」のレビュー読んで、還暦越えのオッサン、ションベン、ちびりそうになったわ。あんたは天使か、それとも天才児か?
     近況ノート、目にして脳がフリーズしたわ。オッサン、あんたの才能に惚れました。明日、病院の帰りに、あんたが薦めてくれた作家の本、三冊とも借りてきて読ませてもらいます。ゆきさんのファンになった還暦過ぎのオッサンより。
  • ジム様

    あはは、ありがとうございます。
    残念ながら私も他と変わらない人間でございます。
    ぜひ、お時間あれば私の作品も読んで頂けたら幸いです。
    今後ともよろしくお願いします。
  • 失礼します。

    なんか、とにかく凄いとしか言いようがなくて······私には、とても、ここまで考えられないし、こんなに緻密に計算する?ことなんて、私には無理です。

    レビューは、本物にありがとうございます。
    あんなに繊細に、しかも長文で、なんと言うか、とにかく感謝です。

    ありがとうございます。

  • 豊島様

    私の作品を読んでくださり、ありがとうございます。
    無理とは言わず、小さい物語から書いてみるといいかもしれません。
    基本的に小説の書き方って構造解析すれば、プロでもワンシーンにおける割合をどうするかの話なので、プログラムと一緒です。
    無理は0パーセントですが、踏み出せば1パーセント以上の可能性がある世界なので、是非頑張ってください。
    豊島様の作品もとてもいい作品だと思いました。
  •  作家間で直接、交信するような場が無いので、この場をお借りして、お便りと言うか、お願いの文を書きます。
     ゆき様、僕の小説「銀河騎士隆盛記 零」を書いた目的の一つは五次元意識(天界の住人が、通常、感じている意識。)への到達の補助が目的です。貴方ほどの聡明さがあるのならば、五次元の意識(ただの空虚な「空」ではなく、意識は快晴の空のように晴れ渡って、すべてが満たされていおり、それでいながら、精神は活動的になり、血沸ちわき肉踊にくおどり、身体は充足感で満ち。すべてから解放され、なんの憂いも執着もない心地。同時に、最高に幸福な境地。それこそが真の「空」であると、バルドソドル(チベット死者の書)に書かれている通りの、天界の住人が感じてる感覚と、同じ境地のこと。)の域に達するだけの、資質を備えていっる稀有の存在であると僕は感じています。その貴方に是非、その実証をお願いしたいのです。
     一度、地の章だけでなく、天の章も通して読んでもらえないでしょうか?
     その上で、その結果と感想を送って来てはもらえないでしょうか?
     還暦越えのオッサン、ジム・プリマスのお願いです。
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