生成AIを用いた創作に対して敏感な反応が多く見られるため、まずは自分の立場を簡単に書いておこうと思います。
自分は生成AIに強い関心と親しみを感じています。
もともとAIそのものに魅力を感じており、ゲームプログラムに関わるようになったきっかけも、トロピコという箱庭ゲームに登場する町の住人たちが、あたかも実在しているかのように振る舞う様子に心を惹かれたためです。
実際にゲームプログラマとして働く中で、ナビゲーションAIやキャラクターAI、メタAIといった仕組みも実装してきました。そうした経験を通じて感じたのは、AIもその仕組みや原理を理解していくと、決して魔法のようなものではなく、簡単なロジックの積み重ねで成り立っているということです。
こうした背景から、生成AIに対して強い不安は感じておらず、むしろ現在のクリエイティブ業界におけるAIへの慎重あるいは否定的な見方については、率直に言ってかなり懐疑的に見ています。
これまで積み上げてきた技術や経験が急速に価値を失ってしまうのではないか、という不安や抵抗感があることは十分に理解できます。ただ一方で、ゲームの分野では、数年前の表現であってもすぐに古びてしまうことが珍しくありません。そうした環境に生きて来た自分からすると、変化そのものを忌避する姿勢は甘えとしか思えません。
こういうスタンスなので、拙作にも積極的にAIを使っています。
なぜAIを使うのか。これは単純に自分の技術力が不足しているからです。AIを使わずに自分の理想と思えるものを創るには時間がかかり過ぎるからです。
美しい情景の描写や、前後の文から浮いたりしない滑らかな文章を書く技術が自分には不足してます。場面が頭に浮かんでいても、それを自分が文章にすると日本語としておかしかったり、納得がいかない表現になるので、AIの力を借りてしっくりくる文章を作ってもらいます。
プロットやアイデア出しにもAIを使ってます。主題やストーリーの流れは全部自分で考えてますが、AIに意見を聞いたり、AIに自由に書かせた内容からインスピレーションを拾ったりします。
codexを使った自動小説執筆ツールも使ってますが、自動で描かせた文章はまったく自分の好みではないのでほぼ書き直してます。苦手な風景描写や、大してこだわりのないアクション描写は自動執筆そのままを採用する割合が増えますが、それでも半分以上は書き直してます。
(この書き直す作業にもAIを使ってしっくりする文章を選定してます)
こういう使い方なので、AIが出力した文章の採用率は5割以上確実にあります。カクヨム基準ではAI本文利用に相当するはずです。
このやり方で創られた作品について、AIが作ったものであって自分の作品ではない、とはまったく考えていません。AIが生み出した表現を含んでいることは事実ですが、それを選び、採用し、最終的な形に仕上げているのは自分です。したがって、作品に対する責任はすべて自分にあると考えています。
現在のAIは責任を負う主体にはなり得ません。作品の責任者はあくまで自分一人です。よって、寄せられる評価――称賛であっても批判であっても――は、すべて自分が受け止めるべきものです。AIに帰属させるべきものは何もありません。
したがって、拙作はAIを活用しているものであっても、あくまで自分の作品であると考えています。学習に用いられたであろう、名前も知らない誰かの作品などではありません。
以上が、私の基本的なスタンスです。
追記
AIが責任を取れるようになって、対等なパートナーとして一緒に創作する時代が来て欲しいと思ってます。シンギュラリティ早く来てくれ。