教育理念を基本とした教育体制の下で育った戦後日本社会
対人関係の気風
・相手や状況に合わせて言葉を選び、自分や相手の考えや感情を正確かつ効果的に伝え、受け取れる能力が豊か
・失敗に対する寛容の文化があり、原因を解決した者の再出発を妨げる烙印はあまり押されない。公務員や企業の評価制度は加点方式。
政治・メディア
・政治討論でも、節度・道義・敬意がベースとなっており、反対の意思を示す際は対案を示しつつ鋭く論じる文化が確立している。
・社会報道は正義を示すよりも、事象への理解を深める報道へと変化しており、エスプリが利いた政治風刺や一般的な教養番組も娯楽的地位を獲得している。
・コントや物まね番組などのお笑い番組も新しい芸能の一形態として評価されているが、あまりにも他人の人格を貶めるような内容はNGとされる。
・ドッキリ番組は、仕掛けられる側の危機管理意識を問う番組と化している。
日常の美意識
・清潔感・節度・公共マナーが制度による強制ではなく自ずから身についている行為として定着している
・公共空間では、だれかが見ているからではなく、自分がそうありたいから。と振舞う事が一般的。
子どもたちの様子
・思慮深く、羞恥心を言語化できる力がある
・「学ぶこと=立派になること」という文化が自然に共有されている
教師・学校文化
・道徳授業は「理念を押しつける場」ではなく、「語り合い、問い返す場」として機能
・管理ではなく信頼する文化がベースにあり、校則も内面を形にする言葉として運用されている
・不登校の子どもも、欠席ではなく「自己との対話期間」として包摂されるようになっている。
因みに大戦の総括
【手段が誤っているのならどんな高邁な理想を掲げてもそれは誤りにしかならない】
事実上の敗戦を単なる「負け」ではなく、「誤った手段(武力)を選んだことへの痛切な自己批判」として定義し直しています。
教訓:「世界を救う」や「共栄」という目的があったとしても、武力という手段を選んだ瞬間に、それは理想ではなくただの侵略になる。
歴史教育は、「なぜその時、その選択をしたのか」という因果関係を徹底的に検証する科目になりました。
例:「理想を掲げながら武力という安易な手段に逃げた時、国はどう滅びるか」を、感情論ではなく論理として教えています。
道徳は生存権と他者への敬意と知恵を持つ者の責任を教える教科です。
例①:資源を無駄にすることは、自分だけでなく未来の世代や他国の生存権を奪う「悪」である
例②:他国を力で屈服させる(手段の誤り)のではなく、教育と知恵を分かち合うことで共に歩む「徳」を教えます。
例③:「技術を売って大金を得る」ことと「技術を守って国を存続させる」ことのどちらが正しい選択かを議論
教育理念や教育基本法・学校教育法で1980年代にどこぞであった「教育の荒廃」や「学力偏重・管理主義の反動的爆発」のような現象は、構造的・文化的にかなり起こりにくい状況のはず。
制度的側面
・人格と公共性の明文化:教育のゴールは良い大学に入ることや試験で高得点を取ることではなく、徳性を備え、自律した、社会と世界に貢献できる人間になること。この大原則が法と理念の両面から繰り返し強調され、教育現場や家庭、社会全体が「学力」のみを絶対的な価値基準とする「学力偏重」に陥ることを、文化的に強く抑制。
・科学・道義・母性の三位一体的設計:知的・倫理的・情緒的な多軸から人間形成を支える構造により、いずれかの側面の劣化が起きにくい。
・学びの場所の分散:学校だけでなく家庭や社会教育に理念的な責任が明示されており、「学校に全てを委ねすぎる」状態が回避されている。
・成功の形の分散:優れた教師になること、高度な技術を持つ職人になること、専門分野のプロフェッショナルになることが、大学教授や高級官僚になることと等しく、社会的に尊敬される「成功」の形として認知されている。
文化的側面
・理念心得による規範の内在化:「法的に禁止されていないからOK」ではなく、「どうあるべきか」が文化として共有されている。
・修身・道義教育の尊敬性と継承性:形式的な徳目暗記ではなく、「生活をつなぐ思想」として修身が生きており、教師・親・地域がそれぞれの言葉で語り継いでいる。
問題は次の3点。
・保護者・地域社会で【教育は学校に任せればよい】という消極的姿勢が広がったとき
・科学・知性の重視が進みすぎて、感性や恥・畏れの文化が薄れ、修身が古典化したとき
・師範学校が「就職ルート」や「安定公務職」として制度上の通過点と化して教師の質が落ちたとき
この三つの問題、制度的・理念的に穴は塞いだつもりだが、これが拡大したときは多分こんな日本になっている。
子供たちの基本的な生活習慣や道徳観の欠如が社会問題として顕在化し始め、試験結果は優秀で表面的には礼儀正しいが、「慎み」や「義憤」といった人としての道徳心を失った、内面は空虚な人間が増加し、汚職や不正が横行しても社会的な怒りが湧き起こらず、人々が利己的な振る舞いに終始する、法と理念の形骸化した日本。