はじめに。
創作雑談もしくは路地猫(わたし)に興味のない方には、面白い内容ではありません。
甘党聖教皇に興味のある方には、多少は面白いかな、という程度の内容です。
流し読み、もしくは回れ右でOKです!
-----
私が、聖教皇やヴァンに対して使う表現として、「最初からそこにいた」「作者の指示を受け付けない」というものがあります。あぁなんか聞いたことあるなと、思い当たる方もいらっしゃるかもしれません。
聖教皇について、さっき昼寝しながら考えていたので、ぼんやり語りたいと思います。
*
小学生の頃、図画工作の時間に作った作品があります。粘着紙の上に、カラーサンドを撒いて、絵にしたものです。今でも実家に現存しております。
この絵に、白い馬がおります。
少女を乗せて、ほかの猫やら鳥やらという動物たちとともに、街の上を飛んでいるのです。背後には、五色の虹が架かっています。
この絵における空は、青色ではなくピンク色、それも単色ではなく、ほかの色の残りを混ぜた「混色のバラ色」なんですね。
たぶん少女は私自身をイメージしたものでしょう。子どもの頃から動物が好きで、たくさんの動物と触れ合いたいと思っていたので。
なぜ空がピンク色かと問われても説明できません。
白馬には角も翼もないけれど、なぜ空を飛べるのかは分かりません。
でもたぶん、この絵が、拙作『終末の王国』の原風景なのでしょう。
*
この白い馬、ときおり夢に出てくる生き物でした。
古びた家の階段……そう、のび太くんの部屋に上がる、あの階段。あの階段の右手の壁をぶち抜いた大きな穴があって、そこをくぐると、緑豊な森へ出るのです。
翳りから、日向へ。黄金色の光が降り注ぐ中に、白い馬がいてこちらを見つめています。会話をした記憶はありませんし、特段、いっしょに何かをしたとかはないような……乗馬の知識もありませんでしたし。なんならこの森、木がヒョロヒョロとして、広葉樹か針葉樹かも判然としないし、花のひとつも咲いていません。
夢をリアルに見るための知識がなかった時代の夢です。
その白い馬のモデルは分かります。
手塚治虫さんの『ユニコ』の主人公である、ユニコ。つまり、ユニコーンですね。西風に抱かれて、怖いものから逃げる、寂しい子どもです。
子どもの頃は、風邪ひくと、これかトトロばかり見てましたね。木の根元を覗き込んで、トトロの巣を探す遊びやりませんでした?
西風さんは、アニメとしてビジュアルがあったはずなのに、今思い出すのは、『銀河鉄道999』のメーテルですね。長い髪に神聖さを感じるのは、この影響かも。古来の日本において、髪を大切にしていた習慣も混ざっている気がします。
*
挙がった作品は、いずれも「大いなる名作」と呼んで差し支えないでしょう。
子どもの頃に、名作に触れるという経験を得た、それが今に繋がっているのかなと。
聖教皇という人の陰には、このような名作が潜んでいるのです。(たいへん、おこがましいとは思いますが。)
*
さて、ではかの名作たちをAIに学習させたら、同じく名作が生まれるでしょうか?
著作権云々により、近代のものは学習していないかもしれませんが、今のところ生まれていませんね。
続いて。
これも、あつかましい意見ですよ。
じゃあ、名作を学習したAIが、私と同じ動物やなんやらかんやらの知識を得たら、『終末の王国』は生まれるか。
たぶん、生まれないですね。
AIは、激甘カフェオレ飲みながら三流演劇を鑑賞して感動し「おい座長、その虹色のビーチチェアを譲ってくれ」と言い出すユニコーンを描かないと思います。
代わりに、きちんと10万字でオチがつき、かつ一話ごとのヒキも見事で読みやすい作品を作るかもしれません。
*
たまに触れてますが、私自身AIさんにお世話になってるし、彼らを「悪」とは思いません。文明は発達し、そのたびに何かしら便利になるんです。井戸から水をくんでいた時代の人が現代を見たら、「蛇口をひねったらキレイな水が出るなんて、もはや魔法だ!」と驚くことでしょう。
AIは学習する。体験しない。
AIは状況を理解する。情感は理解しない。
人間がAIというものを理解し、ルールを定め、適切に使用すれば、文芸界においても共存の未来はあり得ると考えています。
*
話が逸れた。
聖教皇は、最初からいた存在。たぶん私の意識の外から来た存在。
彼は、もう夢に出てきません。
同様に、いつか去っていくのかも。
私の中に、聖教皇のいる間が。
私にとっての、創作のベストシーズンなのかもしれない、と思ったので、書いてみました。
……もうエッセイにしたらいいんでない? という長さですね。
いつもすみません。そして、ありがとうございます。