今日はちょっと真面目な話を書こうかなと、究極のバッドエンドってなんだろうなとか、考えていた。そんな時に思い出したことをまとめた。
小学生の頃、図書館の片隅で手にしたギリシャ神話。
そこに記されていた英雄イアソンの最期は、幼い私の心に、抜き差しならない「人生の無常」を刻みつけた。
物語の絶頂期、彼は巨大な船アルゴノーツ号に乗り込み、名だたる英雄たちを率いて黄金の羊毛を手に入れる。神々の寵愛を受け、愛する女性メデイアを得て、彼は間違いなく世界の中心にいた。しかし、その輝きは長くは続かない。
神々の加護を失った彼は、坂道を転げ落ちるように没落していく。かつての仲間も、愛する子供たちも、積み上げた名誉も、砂が指の間からこぼれ落ちるようにすべて消えていった。
放浪の果て、老いたイアソンがたどり着いたのは、砂浜で朽ち果てていたかつての相棒、アルゴノーツ号の残骸だった。
往時の栄光を象徴するその巨大な影に寄り添い、彼は何を思ったのだろうか。黄金の海を渡ったあの日々か、それとも失った者たちへの後悔か。彼がその廃船の陰でまどろんでいたとき、腐朽した船首が音を立てて崩れ落ち、老いた英雄を無慈悲に押し潰した。
英雄の死としては、あまりにも救いがない。
戦場での華々しい死でも、神による祝福でもなく、自分がかつて手にした「栄光の残骸」によってトドメを刺されるという皮肉。
「形あるものは必ず壊れ、栄華を極めた者もいつかは朽ちる」
そんな言葉では片付けられないほどの、静かで暴力的な現実がそこにはあった。
小学生の私に、ギリシャ神話は教えてくれたのだ。人生とは、ただ右肩上がりに進む物語ではないこと。そして、過去の栄光にすがりついたとき、その重みこそが自分を滅ぼす凶器になり得るのだということを。
あれから長い年月が経った今でも、ふとした瞬間にあの朽ちた船首のイメージが浮かぶことがある。それは私にとって、最も古く、最も強烈な「バッドエンド」の一節となっている。