ウェブ小説の海を泳いでいると、心地よいデジャヴに幾度となく出くわす。転生、チート、悪役令嬢、ダンジョン、スローライフ。
トレンドという名の安全な航路が整備され、最適化された物語の港から港へとスムーズに移動する。それはそれで効率的で、疲れた現代人の脳には優しい。
しかし、どれほど美しく整えられた世界であっても、次第に物足りなさが募ってくる。
求めているのは、綺麗に舗装されたハイウェイではない。作家という一人の人間の内側から、制御しきれずに溢れ出てしまった「生々しい何か」で一見綺麗なのにいざ車で走り出したらトラップ仕掛けられた道、これである。
私が本当に読みたいのは、慣れ親しんだプロットの美しさだけではない。
作家の、狂おしいまでの『癖(へき)』なのだ。
浅瀬で浮き輪に浮かんでいるのがテンプレだとしたら、私は潜水艦で深海に行きたい。
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◆「癖」とは、計算外のノイズであり魅力である
『癖』とは何だろうか。それは物語の効率や大衆受けの良さを、時として平気で踏み潰す「執着」の別名だ。
マーケティング的に言えば「蛇足」であるかもしれない要素、たとえば、
・主人公の強さそっちのけで語られる、架空の食事の異常なまでのこだわり
・異世界ファンタジーなのに、妙に解像度が高すぎる特定の職能や法律の描写
・登場人物の人間関係よりも熱量高く描かれる、マニアックな武具や魔法体系の構造
こうした要素は、物語のテンポを悪くする原因になり得る。しかし、読者が本当に心を奪われるのは、まさにこの「計算の外側にある歪み」ではないだろうか。
紙の本はそうだった。
スマートに最適化された作品には、作家の癖の体温が感じられない。
言葉を選ばず言うとAIでも書けそう。
『癖』とは完璧なプロットの隙間に、ふと覗く「作者の偏った情熱」や「譲れない美学」そこには、こう叫びたい衝動が透けて見える。
「世間のウケなんてどうでもいい、俺/私はこれ語りたいんだ!」
その剥き出しの熱量こそが、読者に強烈な読書体験をもたらすのではないか?読書って本来そういう感じだった気がする。
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◆効率化の時代にこそ輝く「歪な作家性」
現代のウェブ小説プラットフォームは、PV数やランキングシステムによって、読者の「読みやすさ」を徹底的に最適化している。
残酷なまでに効率が重視される世界だ。
嫌いな言葉ですが、『ドパガキ』なんていうスラングが生まれるくらいに直ぐに気持ちよく効率よく楽しくなりたいという時代。
だからこそ、そのシステムからあえて外れようとする作家の存在が輝く。
王道の展開を気持ちよく裏切り、自分のフェティシズムや偏愛をどこまでも突き詰める。
読者の媚びを完全に無視した、その孤高の独りよがり(とすら呼べる情熱)に触れた瞬間、私は強烈な磁力に引き寄せられる。
「この作者、絶対にこの設定を描きたいためにこの小説を書いているな」と気づいた瞬間、物語は単なるエンターテインメントから、一人の人間の脳内を覗き見するようなスリルへと変貌する、私はこの瞬間ものすごくアドレナリンが出る。
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◆私が「癖」を愛する理由
結局のところ、私が小説を読むのは、物語の結末を知りたいからだけではない。
文字の向こう側にいる「誰か」の気配を感じたいからなのだ。
整えられたテンプレは安心感を与えてくれる。
だが、記憶に焼き付き、何年も心に残り続けるのは、いつもあの「歪で、尖っていて、どうしようもなく個性的だった作品」だ。
効率を忘れたい。
もっとドロドロとした、作家の偏愛に満ちた泥臭い世界に浸りたい。
綺麗にまとまった既製品の物語ではなく、血の通った「癖」という名の狂気を、今日も私はウェブの海の底で探し求めている。