『アッシュと11人の家族』今週は、
147話 姉の愛
148話 私は鬼人族のアッシュ
第6章 古城の争奪戦
149話 世界の歩きやすさ①
150話 世界の歩きやすさ②
151話 雪解けの気配①
152話 雪解けの気配②
153話 グランツロリエ城
上記の通り投稿しております。
少しでも楽しんでもらえましたらうれしいです。
今回は創作話として、「小説家は体験したことしか書けない」についてお話します。
これは度々、SNSで話題になるものですね。
もはやネタなのかどうなのかよく知りませんが、Xで私は一度も触れたことがなかったと思うので、今回私の考えを書かせて頂きます。
結論「否」ですね。
私はもちろん浮遊都市に行ったこともなければ、オーガやウルフに会ったこともないですし、魔法を使ったこともありません。
体験したことのないものを書いて、一定数の評価をもらっているので、「体験したことがなくても書ける」と断言していいかと思います。
ただし。
ここからは私の私見ですが。
体験していなくても問題ないが、「自分のものにしていないと書けない」と考えています。
つまり体験したことがない事柄について調べたり、細部まで設定を煮詰めたり、現実にある事象や問題と絡めたりして「自分のもの」にしていなければ、たとえ現実社会を舞台にしていても、嘘っぽく見える作品になるでしょう。
なんとなく〜で書かないことです。
この「自分のものにする」ことを、私は「自分の手が届く範囲に持ってくる」というイメージで考えていまして。
だから私の作品はすべて、どんなに壮大だったとしても“160.4センチの世界”なんです。
160.4センチ。これは私が両腕を広げた時の長さです。これより外にあるものは書けないでしょうね。
――と、ここまで偉そうに語っていますが、私もまだまだ勉強不足です。自戒も込めてここに書き記しておきます。
じゃあ、なんでも体験したほうがいいじゃん!
と思うかもしれません。確かにいろんなことを体験して、自分を豊かにしておくことも大事だと思います。
ただ、体験してしまったがために、おもしろ楽しく書けなくなる可能性もありますよね。
知らないほうがキラキラ輝いて、娯楽としてはうまく書けるかもしれない。私たちは虚構を書いているわけで、上手な嘘つきにならないといけないんです。
そう考えれば、よく調べて虚構(ファンタジー)を混ぜる、くらいがちょうどいい距離感かもしれません。
私が尊敬する三谷幸喜さんも、あえて打ち上げなどに参加せず、俳優さんの人となりを知り過ぎないようにしているとお話されていました。
ここまで長々とおつき合い頂き、ありがとうございます。皆さん良い週末を!