「読者への挑戦状」という、少しレトロな言葉があります。
今回の近況ノートは、ちょっとそれっぽい趣で書いてみます。
『バウンダリー | 若手アーティストの初期ファンダムで起きたこと』は、過去の名作映画、絵画、音楽、文学などの古典から、漫画やアニメに至るまで、巨匠たちの作品へのオマージュを織り交ぜて書きました。
ラスコーの壁画の時代から現代に至るまで、人類は絶え間なく創作を続けてきました。
しかし今、物語の楽しみ方が多様化する一方で、古典や過去の名作に触れる人が減り、世代やクラスタ間での「共通言語」も失われつつあります。
「あの作品のあのシーン」という共通のワクワクを分かち合うことも難しくなっているのかもしれません。
同時に、テクノロジーの急激な進化によって「物語」や「言葉」のあり方そのものも大きな転換期を迎えています。
作中でも触れているように、言語処理や翻訳の精度は飛躍的に向上しました。
「それっぽさ」や「人間の情緒をなぞったような表現」は、一瞬で形にできる時代です。
そうした「古典の記号化」と「表現の均一化」が進む時代の中で、生身の人間が過去の巨匠たちの汗と執念をリスペクトし、物語として紡ぐ意味とは何か。
それこそが、「メタ構造」「入れ子」「本歌取り」、そして古典へのオマージュといった文脈や階層が複雑に絡み合う「人間ならではの」表現だと考えています。
単なるパーツの切り貼り(コラージュ)ではなく、層と層が影響し合うことで生じる絶妙なニュアンス、言葉の「揺らぎ」、そして語らないことで生まれる余韻のコントロール。
本作では、過去の名作たちのエッセンスを「コラージュ(継ぎ合わせ)」しながら、同時にそれを「デコラージュ(剥ぎ取る)」していくという構造上の実験を仕込みました。
作品の底で剥ぎ取られていくレイヤーの果てに、何がむき出しになって浮かび上がってくるのか——。
これは、古典離れとテクノロジーの狭間に立つ現代の物語表現に対する、私なりのささやかな挑戦であり試みです。
古典や名作の仕掛け(ヒント)を辿りながら、どうぞ物語に潜む「境界線(バウンダリー)」の揺らぎ——
その正体をお確かめください。
《 Les collages des hommages ou des décollages des hommages 》
*近況ノート1回目は作中で明示していない「エラリイ・クイーンや法月綸太郎作品」を含むオマージュ、2回目では作中や各話タイトルに示したオマージュのリストを提示しています。